すしざんまい木村清の生い立ち~子供時代や銀行の裏切りと仲間の助け

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木村清アイキャッチ

株式会社喜代村が運営する「すしざんまい」。

CMや看板で見かける両手を広げたポーズ、一度は
見たことありませんか?

木村清社長が自ら名付けた「マグロ大王」の
ニックネームでマグロの解体ショーを披露するなど
社長自ら広告塔となっているのでテレビでもよく
見かける方です。

明るくチャーミングな木村清ですが、実は結構壮絶な
人生を歩んでおられます。

そんな木村清の生い立ち、すしざんまいの設立までの
波乱の人生を調べてみました。

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すしざんまい木村清の生い立ち~

1952年4月19日、千葉県野田市にて、農業の傍らで
自動車販売を営んでいた両親の元、4人兄弟の長男
として誕生しました。

4歳の頃に父親が他界、幼い頃から貧しい家庭で
暮らしていました。

初めてのアルバイトはなんと小学2年生からで
新聞配達などのアルバイト
をして家計を助けて
いたようです。

この頃、生活が急に苦しくなったものの、母親は
いくら貧乏になろうと義理と人情は欠いてはいけないと
言い、法事や結婚式に行く度に、マグロを2、3切れ持ち
帰ってきてくれたといいます。

賽の目に切ったマグロを家族四人で食べている時
「将来はおふくろにいっぱいマグロを食べさせたい」
と強く思ったそうです。

この時の思いが、

「お客様に一番いいマグロを食べてもらいたい」
という今の気持ちに繋がっています。

1968年、15歳で熊谷市の航空自衛隊第4術科学校
生徒隊に入隊し、浦和校の通信制4年に編入しています。

入隊後2年9ヶ月で高卒認定試験に合格し、F104の
パイロットを目指すようになりました。

引き続き、中大法学部の通信教育を受け続けましたが
三重県笠取山えの訓練中の事故で目を悪くしてしまい
パイロットの夢を断念せざるを得なくなりました。

1973年、21歳で退官してしまいます。

そんな時、先輩から
「そういう大変なときほど、いまできるものを一生懸命やるんだよ」

と励まされたそうです。

その事が絶望の淵にいた木村清を動かします。

自衛隊を辞め、次に目指したのは司法試験への
合格でした。

中央大学法学部へ入学します。

2年で択一式試験に合格し、1979年に中央大学を
卒業します。

資金が続かなかったのもあり、百科事典のセールスマンなど
職を転々としながら、1974年に大洋漁業(現在のマルハニチロ)
の子会社である「新洋商事」に入社します。

もとよりアルバイトのつもりで入ったのですが、自衛隊
時代の経験からか、納品時に倉庫などが散らかっていると
つい整理整頓してしまったそうです。

そうすると取引先に喜ばれ、自分から商品を買って
くれるようになったそうです。

木村清はそれが元となり商売にハマっていきます。

冷凍食品の販売会社でしたが、冷凍食品だと誰も見向き
しないので、工夫をするようになります。

魚をスライスし、1枚あたりの原価が分かるようにして
販売していきました。

また、当時は考えられなかったという「温かい弁当」
材料に出来るのでは、と自身で始めてみたり、残ったものを
集めて土日だけスーパーのように販売するなど、様々な
提案をしたといいます。

「どうしたら売れるか」「どうしたら人が喜ぶか」
「こんなものがあったら喜んでもらえるんじゃないか」

とそんなことばかり考えるようになったといいます。

三ヶ月で辞めるはずだったアルバイトのはずが
いつのまにか築地市場で多くの取引先を持つように
なりました。

木村清のすしざんまい設立まで

そうして、1979年6月、27歳で新洋商事を
退職し独立します。

株式会社喜代村の前身となる「木村商店」
を創業します。

木村商店では、弁当屋、移動式カラオケ店、ビデオ店
魚介類の仕入れ・卸売り・養殖、屋台村など、80以上の
事業を手がけていました。

後に彼の代名詞ともなる本マグロの漁獲販売なども
この頃からです。

1985年には現在の喜代村を設立しました。

しかし、バブルの崩壊で経営危機に陥ります。

後述しますが、取引銀行とのやり取りで、すべての
事業を清算することになってしまいます。

手元に残ったお金はわずか300万円。

普通の人ならここで諦め、苦のないように
生きていくでしょう。

しかし木村清は、築地時代の友人からの援助もあり
築地に小さな寿司屋を作りました。

その際、
「木村さんにだけは貸す。その代わり、築地に人を集めてくれ」

と友人らに頼まれます。

当時、築地への来場は150万人を切ってしまっていたのです。

寿司屋を作ったのは、築地だから魚に特化したものを
と友人の思いを受けたことからでした。

すしざんまいの第一号店でもある『喜よ寿司』でした。

その後、2001年4月に築地場外に日本初の年中無休
24時間営業の寿司店『すしざんまい本店』を開店しました。

木村清は、よくすしざんまいの社長として紹介されますが
実際はすしざんまいを運営している株式会社喜代村の社長です。

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木村清の銀行からの裏切り行為

今となってはすしざんまいが生まれるきっかけと
なったのですが、それは銀行による裏切り行為でした。

当時、幅広く商売を手がけていた木村清は、メイン
バンクから総額百数十億円を借りていました。

バブルが弾けたために、銀行側は木村清に
返済を求めました。

木村清は、残り4500万円くらいになるまで返済。

その頃、中国で漬物を作る事業を行っていた彼は
大根の作付けの資金を別の銀行に貸してもらおうと
しました。

しかしその銀行で「木村さんにはお貸しできません」
と言われてしまいます。

おかしいと思った木村清が詳しく聞いてみると、元金も
金利も払っていないとして、リストに載っていたそうです。

しかも整理回収機構行きだとも。

事の真相は、当時のメインバンクだった北海道拓殖銀行が
四千数百万と新たな借入金の一括返済を求めてきていたのでした。

一方の木村清はそんな求めがあったとも知らず。

これまで一度も返済を遅らせたこともありませんでした。

北海道拓殖銀行とは手形の貸付という形で金を借りていて
これは、年に一回書き換えをすればあとは借りっぱなしでも
いいという約束のものでした。

しかし、何故か木村清の妻に一括返済の書類にサインを
させていました。

それも、木村清が海外にいるときにです。

妻から電話で、

「銀行から、手形の書き換えで判子を押してほしいと頼まれている」

と言われたそうで、木村清は、手形の書き換えだったら
問題ないと判断し、「いいよ」と伝えました。

その書類には、「一括返済」の文言が入っていました。

分厚い書類の束の中にほんの小さな字で書いて
あったといいます。

木村清の復活と仲間からの後押し

木村清は、長い付き合いだった銀行の
仕打ちに虚しさが募ります。

涙を流す妻を見て、申し訳無さと同時に、事業を
継続する気持ちは失せていったといいます。

そして木村清は、会社の整理をはじめました。

独立を志望する者には独立をさせ、パートナーや
友人に事業をそれぞれ引き取ってもらいました。

ある日、築地の仲間に誘われてゴルフをしていたところ
妻から電話で伝えられます。

「うちの口座に、知らない人からバンバンお金が振り込まれてくるんだけど、どうしたの?」

思いつきもしませんでしたが、それはその時
ゴルフを共にしていた友人たちによるものでした。

木村清の事情を知った友人たちが話し合い
振り込んでくれていたのでした。

「マグロの夢があるんだろう。その夢のために使いなよ」

数百万もの大金を、借用書もなしに振り込んで
くれた友人に、木村清は感激します。

一度は夢潰えた彼を後押ししたのは、他でもない
身近な仲間の存在だったのです。

そのお金を使って、アイルランドに向かい、マグロ
獲りにいきます。

2本しか釣れませんでしたが、応援してくれた人たちに
振る舞ったそうです。

いつの間にか仲間から振り込まれたお金は「マグロファンド」
と呼ばれるようになりました。

妻はそんな経緯を知り、
「そんなにいい仲間がいるんだったら、事業を続けてよ、お父さん」

と言います。

手元に残った300万のそのうち、200万円
小さな寿司屋を作りました。

「喜よ寿司」は、わずか10坪という狭い寿司屋でしたが
どこよりも高品質、低価格。

瞬く間に行列を作る大きな店になりました。

そうして、すしざんまいが出来上がりました。

すしざんまいは前代未聞の、24時間年中無休営業です。

誰でも、いつでも寿司を食べてもらいたいという
木村清の思いからなるものです。

今でも、常に満席ですが、出店のペースは
ハイペースではありません。

これも、品質を重視しているため、ガツガツしないと
いう木村清の生き方、温かい人柄が見えてきます。

人が喜ぶために働く、という信念は今も変わっておらず
マグロ大王の名の通り、特にマグロへの品質は決して
妥協していません。

マグロ解体
名物となった本マグロの解体ショーは社長自ら行います。

最も美味しいと言われる200~300kgの本マグロを
10分程度で卸していきます。

ダイナミックな迫力と臨場感に、観客は驚きの声と
共に笑顔が溢れます。

このマグロも、いつもギリギリの赤字覚悟の価格で
提供しているため、本人の収入も成功の割にそこまで
高くはありません。

すしざんまい公式サイトから見れる木村清のプロフィール内の
項目、信条・信念に書かれている夢は捨てるな!!」
「人は人の喜びによって生かされる」
は、苦しい時を経験した
当時から今も、変わらないものだとわかります。

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おわりに

地獄を見た後、最後は大成功した木村清。「すしざんまい」が人気店に至るまでには、壮絶で壮大なドラマがありました。今ではお寿司といえばすしざんまい、とまで言われるほどです。
今後も変わらない経営体制で、人々を笑顔にさせてほしいです。


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