宗次徳二の生い立ち~壮絶幼少期とココイチの成功一人息子への想いに驚愕

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誰もが一度は食べた事があるだとう全国チェーン
展開されているココイチカレーの創業者宗次徳二氏。

今や異端児の実業家として様々な活動で話題の人で
ある彼の成功はただの実業家ではありません。

壮絶過ぎるその生い立ちは、この世に生まれ落ちた
その日から苛酷過ぎる幼少期を送られています。

ココイチを成功させるまでとココイチを早期退任した
後の活動がある意味あり得ない宗次徳二さんの、生涯は
やはりその生い立ちがルーツになっているのだと思わざる
得ません。

誰が見ても成功者となった彼の一人息子への想いと
宣言にも深く考えさせられる宗次徳二氏という人物の
生涯を追ってみようと思います。

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宗次徳二プロフィール

氏名    宗次徳二(むねつぐ とくじ)
生年月日  1948年10月14日(70歳)
出身地   石川県
職業    壱番屋特別顧問(創業者で元会長)
NPO法人  イエローエンジェル理事長
      宗次ホールオーナー

宗次徳二の生い立ち~実の両親に捨てられて

今や全国チェーン店で展開されるココイチカレーの
創業者である宗次徳二氏の出生は想定外だ。

宗次氏は石川県で誕生し、生後間もない乳飲み子
の間に実の両親は彼を手放し、兵庫県尼崎の孤児院
へ預けたという。

その為、戦後生まれの日本がまだ混沌としていた時代
とは言え宗次氏は実の両親の存在すら知らず育つ事になる。

その後3歳まで孤児院で育った彼を養子へと向かえ入れた
夫婦が雑貨商を営む宗次福松と清子夫婦だった。

この二人を始めての両親として宗次氏は幼少期を
過ごすのだが今とは違い養子制度に、最低生活基準の
ボーダーラインも役所からの厳しい精査も無かったのだろう。

この養父や養母との暮らしもまた、産まれと同じく
壮絶な幼少期を過ごす事に・・・

現代ではありえない養父に貰われた宗次氏の壮絶な
生い立ちはここからが本番と言える程壮絶な暮らしを
強いられるのだ。

宗次徳二の生い立ち~壮絶幼少期

養父となった福松は小さいながらに雑貨商を営む家庭
ではあったがその生活ぶりは困窮を極めていた。

理由は商売が繁盛云々では無く養父の博打好きだ。

競輪や競馬パチンコなど博打好きが講じて宗次家の
生活は常に不安定。

そんな生活にも夫にも愛想をつかし、まだ幼い徳二
がいるにも関わらず妻の清子は夫福松に愛想をつかし
失踪をする。

徳二氏が8歳の時、失踪していた養母が見つかり養母
の住む名古屋市のアパートに養父とともに家族三人の
暮らしが始まるが、当然暮らしは楽にはならず、住まいは
四畳半。

当然逃げるように養母はまた失踪。

その後、養父と暮らすも、物心がつき始めた徳二は
暴力的で博打好きな養父との壮絶な極貧生活を
強いられる。

時代が時代とは言え電気は引かれず、水道も出ない。

数百円でもあれば、それをギャンブルに使う人だった
そうです。

気に入らない事があると暴れまくり、包丁を持って
暴れるなど、もうメチャクチャな父親だった。

明かりはロウソクの光を頼りにし、食べるモノなど
ある訳も無く空腹のあまり雑草を抜いて食べて暮らす
程の困窮ぶり。

気に入らない事があると徳二さんを殴り付ける養父
との暮らし。

当時の生活の中、千円札なんて見た事もなかったと
当時を振り返って徳二さんは言います。

15歳まで生活保護を受けて育ち、その後も名古屋から
岡山県など廃屋を養父と転々としその日暮らしで暮らす
も養父に言われてパチンコ店のシケモク(吸い殻)を
拾うなどして生計を助ける。

養父はシケモクを拾わなかったり、掃除を怠ったりする時
は徳二を全裸にして藁で叩くなどの暴力を続けたという。

完全なるDV行為に地を這うような極貧生活。

こんな暮らしが幼少期から青年期の宗次徳二氏の
記憶に残る両親との想いでだったのだろう。

この時の屈辱と壮絶過ぎる生い立ちが後の宗次氏
を唯一無二の実業家へと導くのだが・・・

両親と同じ時代に生きた人物の、貧しくとも
家族が支え合って暮らした時代。

それなのに彼は実の両親に捨てられ、養父となった人物
に虐待されて育てられた人にしか分からない想像を
絶する当時の慟哭が聞こえてくるようです。

そんな生活から、ようやく解放されるのは15歳で
養父が胃がんでこの世を去った時から、ようやく徳二
氏の人生が開けてきたのかもしれません。

端から見たらそんな飛んでもない養父でしたが
それでも徳二さんは言います。

暴力も振られたし荒れた生活だったけど養父の事が大好きでした。唯一の思い出は職業安定所から一時金でもらったお金でリンゴを2つ買ってくれた。思い出らしい思い出はそれだけだけど、その時の嬉しい気持ちを今でも覚えています。

学校にお弁当さえ持っていけない生活。

先生が自宅訪問すると言っても極貧生活をしている
所を見られたくなかったと言います。

当然でしょう。

みんなが貧しいとは言え、これ程の荒れた生活と
食べられない生活の中思春期真っただ中の青年にも
自尊心があったはず。

みんながめいめいに持って食べる弁当を後目に
弁当が無い彼は、誰にもバレないように校舎の裏に
行きじっと待っていたといいます。

それがどんなに辛く孤独だったか・・・

養父亡き後は養母と暮らし、ようやく普通の高校生活を
送れるようになった徳二氏。

それでも生活が楽になったとかでは無く、ようやく普通の
貧しい一学生になったというスタート時点に立ったのです。

朝は5時半の始発電車に乗って、同級生の父親が経営する
豆腐屋でバイトをして、その金で自らの学費を稼ぎ、それで
彼は愛知県小牧高等学校を卒業します。

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宗次徳二のココイチの成功

高校卒業後の宗次氏はまずは広告を出していた
不動産会社に入社。

その約3年後には大和ハウス名古屋支店に入社
してその会社で後の奥様となる、現在の壱番屋
相談役を務める奥様直美さんと出会い結婚する。

結婚2年後に独立し、1973年に自宅兼会社として
自宅の1階を会社として不動産仲介会社を開業する。

だが最初の夫婦の立ち上げた不動産仲介会社は
なかなか上手く行かず、収入も不安定だった事から
思い切って1974年ココイチの前身となる喫茶店
『バッカス』を夫婦で名古屋市西区で開業する。

今でもそうだが当時から名古屋近郊で喫茶店と言えば
モーニングが付いて無い店など皆無だったが「バッカス」
は独自の路線でモーニングではないサービスを心掛け
独自の路線で経営。

真心を込めて「お客様第一主義」を心がけて経営した
そうです。

でもその独自路線がきっかけとなり年間150万円の
売り上げを上げたら二号店を出そうと夫婦で話して
いた「バッカス」は起動に乗り出した。

妻の直美さんの手作りカレーも評判を呼んで大当たり。

当時はまだ不動産仲介業者と兼業で喫茶店経営を
行っていたが起動に乗り出しどんどん飲食店に面白さ
を感じ不動産業から撤退。

1号店の「バッカス」開業の1年後1975年には
コーヒー専門店「浮野亭」を開業。

この頃妻直美さんが作ったカレーが評判を呼び
カレー専門店への転身を決意する。

1978年(昭和53年)愛知県春日井に1号店となる
『カレーハウスCoCo壱番屋』を創業開店する。

この10ヶ月後に初の飲食店だった「バッカス」はじめ
2店舗の店を処分する。

このカレーハウスcoco壱番屋の初出店から10年後の
1988年には500店舗出店に。

今では国内で1000店舗のモンスターカレー専門店で
国外にも出店を持つ唯一無二のカレー専門店と
なっている。

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宗次徳二のココイチ退任後が更に異端児?

カレーハウスcoco壱番屋出店のわずか4年後の
1982年には売上が3億を超えて法人化して宗次氏
も代表取締役に就任。

その後1988年の店舗数500店になった時社長を
妻の直美氏に譲り自身は代表取締役会長になる。

その後も2002年の宗次氏53歳の時後継者が育った
との理由で社長を退任。

19歳からアルバイトとして働いていた現社長の
浜島俊哉副社長を社長を決定。

自身は役員も経営からも辞退している。

退任後は高校1年の時聞いたメンデルスゾーンの
ヴァイオリン協奏曲を聞いて以来クラッシック音楽が好きで
クラシック音楽の普及を目的として28億円の私財を投じ
「宗次ホール」を設立。

また福祉事業団体NPO法人イエローエンジェルを設立。

理事長として活動をしている。

カレーハウスcoco壱番屋の時からそうだが宗次氏は
毎朝4時に起き、宗次ホール周辺の掃除をして花を植え
昼食にはスタップ15人程のまかないを作る生活を送っている。

ヴァイオリン奏者として知られる五嶋龍はじめ、葉加瀬太郎
らにストラディバリウスの貸与を始め数々の音楽家を陰となり
支えるスポンサーとしての顔も持つ。

また経済的理由で進学できない音楽家志望の児童の支援や
小中学校への吹奏楽器寄付も行っている。

その額も半端ではない既に6億の寄付をしているとの事・・・

自らは980円のシャツをい着て時計も9800円の時計で
充分だという宗次氏・・・

宗次氏曰く
『お金を自分の為に使うのは恥ずかしい』んだそうです・・・

凄すぎる異端児と言われる由縁でしょう。

夢を持つな! 目標を持て!

宗次徳二の息子にも私財を残さない主義に絶句

それにしても宗次徳二さんには一人息子の宗次弘章さん
います。

1980年生まれ3月生まれとの事なので今年39歳
の息子さんです。

何でもプロゴルファーをされているらしいのですが
既に結婚してお子様も見えるそう。

職業はcoco壱番屋のカレーで役職でも付いている
のかと思ったら想定外のプロゴルファー。

ただゴルフファンが聞いてもあまりというか正直
分からないレベルのゴルファーみたいですが・・・

周辺や父親の徳二氏の発言から今でもゴルファー
として活動を続けてみえるみたいです。

ただ私が驚いたのは、この息子さんが見えるにも
関わらず、父親の徳二さんは自分が亡き後の私財
についてこう宣言しています。

これがもう凄い潔い。

『私財は相続させず、奨学金やホームレス支援などにすべて投じます』

coco壱番屋の社長時代から退任するまで一貫して続けた
宗次徳二さんの働き方はまさに最初の喫茶店「バッカス」
を開店したときからの「お客様第一主義」で一貫してました。

文字通り全てをお客様に捧げ、出勤はどの従業員よりも
早く出勤し、掃除をして毎朝4時45分に出社したそうです。

そして友人も退任するまで一人も作らず、睡眠時間は
常に3時間から4時間。

365日の中で休みは年に15日程、そして彼が考案した
「お客様アンケート」を必ず全て読む事も日課にしていた
そうです。

そんな彼が15歳で養父が亡くなるまで本当に孤独だったと
打ち明けている言葉がありました。

ここに全て宗次徳二さんの人生観が詰まっているのでは
ないかと思い引用させて頂きました。

すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった。
ベンチャー通信:引用

この気持ちの継続がcoco壱番屋のルーツとなり
今でも「感謝」を忘れないこと。

初志貫徹をモットーとして目の前の1日1日を
大切に生きているという宗次氏の言葉が胸に
刺さります。

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おわりに

結局人は生まれも育ちも関係ない。自らの求めるように望むように人生は手に入るのだと思い知らされる宗次徳二さんの生い立ちとその現在に続く生涯を調べて思い知らされた気分です。
これ程までに実業家としての成功を収めた人物が、あれほどの壮絶なお生い立ちを過ごして尚「自分にお金を使うのが恥ずかしい」と言い切る宗次氏。
この人だったからこそcoco壱番屋の成功があった。そう思わされる人物そのものです。丸ごと真似は出来なくても心を現れる思いがする。宗次徳二さんの作ったお店のカレーが食べたくなりました。凄い人物ですね。


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