重光武雄ロッテの生い立ち~コリアンドリームの評判となれの果て

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重光武雄アイキャッチ

日本の大手菓子メーカーのロッテと、韓国
大手財閥ロッテグループ創業者として日韓
幅広く活躍した重光武雄(韓国名・辛格浩)氏(98歳)。

日韓を股にかけ活躍した実業家として名高い
重光武雄さんが今月19日老衰のためソウル市内の
病院で亡くなりました。

在日韓国人であった重光氏は戦争で疲弊した韓国
再建に尽くし、ホテルや百貨店、テーマパーク
などにも事業を広げ、ロッテをコリアンドリームの
代表企業に育て上げました。

重光武雄氏のロッテの起業するまでの生い立ちや
コリアンドリームまでの壮絶な苦労、逮捕劇など
なれの果てについてお伝えします。

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重光武雄プロフィール

氏名    重光武雄(しげみつ たけお)
朝鮮名   辛 格浩(シンキョッコ・キョクホ)
生年月日  1921年11月3日
死没    2020年1月19日(98歳)享年
生誕地   慶尚南道(日本統治時下朝鮮)
国籍    大韓民国
最終学歴  早稲田実業学校
職業    ロッテグループ創業者・総括会長

 

重光武雄ロッテの生い立ち~在日韓国人として

生い立ち

日本統治時代の朝鮮の釜山市北(現大韓民国)で
10人兄妹の長男として生まれた重光武雄。

本名は朝鮮名で辛 格浩(シンキョッコ)とも
キョクホとも呼ばれる人物です。

当時73世帯の小さな村では比較的裕福な家庭と
して育ったそうです。

日本に渡る決意をしたのは、そんな小さな村での
老人らの家長制度が根強く残った変化を嫌う風土を
嫌った事が発端となり18歳だった重光武雄氏は一代決心。

『老人が牛耳る故郷の発展は無い』

1942年日本本土へ転居し当時からあった韓国男児の
義務でもある徴兵を避けるため化学工学を専攻し、新聞・
牛乳配達をしながら早稲田実業学校を卒業します。

新しいことをするのを認めない老人が牛耳る故郷に
未来はない、と見切りをつけ当時既に朝鮮人の妻が
ありながら妻と娘を残し日本へと移住します。

こうした行動力にも若き野心が見えるところです。

1945年、太平洋戦争が終わり、進駐軍が持ち込んだ
チューインガムが人気を博しているのを目の当たりにし、
ガム製造を始めます。

1948年に株式会社ロッテを日本で設立し、社長となり、
ガム人気と当時の戦後の日本の高度経済成長に乗じて
大きな成功を収めました。

愛読書のゲーテの『若きウェルテルの悩み』の主人公が
恋する誰からも愛されるシャルロッテから「ロッテ」
とつけたといいます。

元々小説家を夢見ていたこともあり、文学作品からの
ネーミングは彼の託した広大な夢を象徴しているようです。

重光武雄のコリアンドリームまでの壮絶苦労

とは言え簡単に起業にこぎつけた訳ではなく日本に
渡った当時彼は牛乳配達、新聞配達をして生活を凌いで
いました。

それでも一念発起し日本へ渡った重光武雄氏の
コリアンドリームまでの道のりは決して順調では
なかったようです。

大学卒業後、最初に手をつけたのは金属加工用の
切削油製造で懸命に働く若い青年だった重光氏の
真摯な姿勢に投資した日本人の存在があります。

当時の金で6万円と言う高額な金を重光氏に投資して、
金属加工のビジネスを進めます。

ただ投資してもらい起業した金属加工工場を設立
しますが、稼働前に空襲の爆撃により全焼してしまう
悲劇に襲われます。

ですが、そうした災難にもめげずに軍需工場で石鹸を
作り再起を果たし、自分を信じて多額の援助をしてくれた
日本人投資家に借金を返済し、住宅1軒を送ったそうです。

身よりもなく在日韓国人であるばかりに、言語や
事業などの面での差別や中傷もなかったとはいえません。

ただ学生時代の誠実さだけを信頼し手助けしてくれた
日本人に最大の感謝を示したといえます。
ロッテ

やがて日本人には不可思議な存在に過ぎなかった
チューインガムに注目し、ガム製造に乗り出しわずか
1年足らずで株式会社ロッテを設立し成功していきます。

当時の重光武雄氏が持っていた所持金は、当時の
お金にしてもわずか83円だったそうです。

日本の終戦後から僅か3年後の1948年に物凄い
スピードで戦後復興を目指す日本の変換機の流れ
に乗って重光氏が設立した会社こそが従業員わずか
10人の『ロッテ』を設立します。

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重光武雄のコリアンドリームは漢江の奇跡

戦後の焼け野原で進駐軍の兵士らが噛むガムに目を
付けて起業した重光氏ですが、その狙いはビンゴで
当時のチューンガムは「ロッテ」設立から直ぐに
行列ができる程の人気商品となります。

その成功を足掛かりに当然遅れながら国の変換機を
迎えようとしていた祖国韓国への貢献を願い67年には
韓国で『ロッテ製菓』を設立。

ロッテは在日朝鮮人だった重光氏が日本国内で当初
起業した会社で日本で成功を収めた後に母国である韓国
で更なる事業家として菓子生業からホテルや遊園地など
多岐に渡る事業を成功させたのは有名な実話です。

ただ日本企業でありながら、創業した重光氏が在日
韓国人でもあるため韓国とのつながりも強く、売り上げも
百貨店やホテル業により日本の何倍もの利益を出す財閥
として、韓国経済を救ったと言われています。

当時の朴正煕大統領の願いから現在も韓国一の繁華街で
ある明洞の中心地に「ロッテホテル」を建設したのは
有名な話です。

時を同じくして朝鮮戦争からの復興を目指す時の
大統領、朴正煕が国の再建を目指した時圧倒的に
足りなかったものこそが「資金不足」だった。

そこに渡りに舟で登場したのが、起業家として既に
日本で大成功を収め祖国に錦を飾る状態で韓国で
ロッテ製菓を設立した重光武雄氏だったのです。

現在でも明洞の中心地にそそり立つロッテホテルは
その国家再建の象徴として朴正煕大統領が希望して
建設した「ロッテホテル」がその象徴として1979年に
開業しています。

くしくも同年10月26日に朴正煕大統領は暗殺されて
しまいますが…

時の権力者と国の再建を願って大企業へと成長した
様は韓国の高度経済成長と共にあった事から
漢江の軌跡として5代財閥の中に見事カウントされる
起業へと成功します。

重光武雄のロッテの評判がブラック過ぎ?

従来の勤勉さと米軍の持っていたチューインガムを
元に事業を起こす非凡さが称えられた一方、日本ロッテで
得た巨額の利益を使って韓国ロッテをはじめ大事業につぎ込み、
日本に一銭も還元していないといったブラックとも見える
評判が立ったことも事実です。

ロッテは韓国企業なのか、日本企業なのかといった話まで
持ち上がり、近年では韓国の日本製品不買運動においても
ロッテの立場が取りざたされたりしています。

重光武雄氏率いるロッテの日韓での華やかな経営は、
「両国で歓喜と疑いを同時に受け、韓国人が日本でカネだけ稼いでいく嘲弄と誹謗を聞いたりした」

という影の部分を提示したのは確かです。
(中央日報、日本語版より)

後に述べるお家騒動の時にも、武雄氏が日本語を
使うことや家族の使う韓国語の不自然さが、韓国でも
疑問を呼び本国の持つ在日韓国人対する差別があらわに
なったとも言われています。

重光氏は冒頭で紹介した通り在日朝鮮人として日本
統治時代の朝鮮で誕生するも、その後未来を見込んで
日本本土に移住します。

現在でも反日問題で話題となる徴用工問題や慰安婦
問題のさながらの時代に重光氏は誕生して終戦後で
さえ母国朝鮮ではなく日本での未来を信じて日本に
渡った人物です。

そうした経緯からも統治時代は日本が韓国人に
日本語を強要した事も災いして重光氏は日本語は
話せても母国語であるハングルは、かなりの訛り
があるハングル語だった事も当時の韓国人には不審
に思われる要因の一つだったようです。

日本統治時代を経ている韓国は当時から反日感情が
根強かったのも、そうした原因の一つなのでしょう。

実情は日本で最初起業して設立した「ロッテ」で
大成功した金で祖国韓国で更なる投資という手段で
大財閥へと駆け上がった事からも、そうした揶揄が
多かったのでしょう。

韓国民でさえこういったそうです。

「ロッテは日本企業か?韓国企業か?」

重光氏からしたらどちらも自分が育った背景で
あり成功の足掛かりとした日本も当時の40代の
年齢にして既に日本在住歴が30年以上だった事も
あり、どちらも母国には違い無い想いだったと
思うのですが…

また当時日本で起業してロッテを成功させてからも
社評としては、あまり評判が良かったとも言えず
起業当初の噂だと思うが集金ですっぽかされたり
借金を踏み倒されたりなどの悪評もチラホラあって
の大企業への成り上がりだったようです。

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重光武雄の婚姻歴も凄い?

過去の重光武雄氏の画像を見ても晩年の重光氏
の画像を見てもわかるように重光武雄氏は若い
頃からとってもハンサムだった事が分かります。

そのせいもあるのか、はたまた見た目に関わらず
ハングリーでやる気に満ちた青年企業家だった男
が魅力的だったのは想像に容易いのも世の習いです。

最初の結婚が日本移住前の日本終戦前に韓国人
妻との間に娘を一人設けていながら単身日本へ
と移住した重光氏。

そして2015年から「王子の乱」や「兄弟の乱」と
言われたように長男宏之氏と次男昭夫氏こそが
日本で起業するさなか知り合った日本人妻の重光夫人
との間の息子さんなのです。

韓国名、辛 格浩シン氏であり日本名重光氏
で知られる重光氏の日本名は日本で結婚した先
で名乗るようになった名前でもあります。

そして当然英雄色を好むは間違えた言葉ではない
のでしょう。

お妾さん徐美敬(ソ・ミギョン)初代ミスロッテ
との間にも娘が誕生1977年生まれで誕生。

まとめるとこんな感じです。

最初の妻(朝鮮人)盧順和(ノ・スンファ)(1922-1951)
長女:辛英子(シン・ヨンジャ)
2番目の日本人妻:重光初子(旧姓:竹森)(1927-)
長男宏之氏、次男昭夫氏

妾:徐美敬(ソ・ミギョン)(1959-)初代ロッテ
との間に次女次女:辛ユミ(1983-)誕生。

98年の生涯で2人の嫁と1人の妾との間に4人の
子供をもうけています。

やっぱり英雄色を好むは間違ってなさそうな
言葉ですね。

しかし最後の妻となり日本企業時代から最後まで
寄り添った妻が日本人妻で長男次男の母親が日本人
と言う事実もまた親日と言われる要因だったのかな
と思わざるえません。

恐らく本人(重光氏自身)は日本人韓国人など
全く気にしてなさそうではありますが…

だって飛ぶ鳥を落とす勢いの起業家として日本と
韓国を股にかけて活躍して、そんでもってあの
ビジュアルです。

世の中の女がほかっておくわけがないですよね~

重光武雄の成れの果て(お家騒動と逮捕劇)

重光武雄氏は2009年、ロッテグループ社長を退き、
会長となり2015年には名誉会長になっています。

その頃のお家騒動や逮捕劇が話題を呼びました。

日本ロッテ会長となった武雄氏は日本事業を
長男宏之氏に、韓国事業を次男昭夫氏に担当させます。

ところが、2015年宏之氏が解任され、武雄氏も
代表権のない名誉会長に退くという次男昭夫氏の
ワントップ体制が火種となり、長男宏之氏が原状
回復を求め訴訟を起こしました。

経営権をめぐって対立したロッテのお家騒動として
話題になりました。

2017年、今度は武雄氏が、次男昭夫氏と勤務実態の
ない親族に計500ウォン(当時約52億円)代の給与を
支払ったとして横領、脱税などの罪に問われ逮捕され、
懲役4年(求刑懲役10年)となりました。

次男の昭夫氏もくしくも父親重光武雄が親密だった
朴正煕大統領の娘である朴槿恵前大統領の贈与絡みで
懲役2年6カ月の実刑判決を受けました。

既にこの刑を言い渡された時は高齢だったため、
健康上の理由で収監はされず、高齢による症状の
治療で入院生活をしていました。

現在でもロッテを牛耳るべく会社経営に携わる
長男と次男は犬猿の仲だと言われています。

僅か83円のお金を資本に一代企業としてロッテ
帝国を築いた重光武雄氏のコリアンドリームを
今後子供達がどう受け継いで継承していくのか
金持ち3代続かずと言われる諺もあるように重光氏
亡き後にどう変貌していくのでしょう…


おわりに

重光武雄氏は在日韓国人として身一つで日本に渡り勉学に励み、作った工場が全焼するという苦労がありながらも、米軍の噛んでいたチューインガムに発想を得て、株式会社ロッテを設立し成功しました。
ロッテコリアンドリームの陰には、大富豪ならではの中傷や在日韓国人への冷ややかな目もありましたが事業拡大を多方面に向け、成れの果てには、権力をめぐっての親族の対立、武雄氏の裏金事件による逮捕があり世間を驚かせます。

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