横井英樹は叶姉妹のパトロン?生い立ちから戦争成金へ波乱の一生涯

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横井英樹アイキャッチ

孫のジブラの不倫旅行で久しぶり話題
となった横井英樹。

ホテルニュージャパンのオーナーとして
戦中戦後のバブル期に希代の実業家として
悪名高かった横井英樹氏。

生前の横井英樹氏と叶姉妹との関係や壮絶
な貧困を生い立ちに持つ横井が戦争成金と
呼ばれるまでを追ってみました。

まさに裸一貫で時代の寵児と呼ばれボロ儲け
の天才と呼ばれたのか横井英樹の生涯を追って
みましょう。

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横井英樹プロフィール

氏名;横井英樹(よこいひでき)
本名:横井千一(よこいせんいち)
生年月日:1913年(大正2)7月1日
出身地:愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)
没年月日:1998年11月30日(85歳)
出身校:高等小学校
職業:実業家

横井英樹は叶姉妹のパトロンだった?

希代の実業家として戦後の混沌とした日本で
成功した横井英樹氏。

横井氏の名前を一躍有名にしたのが一般的には
ホテルニュージャパンのあの大火災だと思います。

1982年2月8日深夜3時過ぎに発生し33人もの
死者を出す大惨事となりました。

当時のホテル社長だった横井英樹氏の火災後の
発言が世間を騒然とさせました。

33人もの被害者を出しだホテル火災だたにも
関わらず横井氏の主張は一貫して終始

「自分たちは被害者」とし、人命より金儲けに
執着した発言などで大変話題となりました。

火災で脱出した宿泊客への対応も粗末でホテルの
防火設備なども十分でなく、横井社長は有罪判決
受けます。

そうした悪名高い横井英樹氏が現在もセレブ姉妹
として話題となる叶姉妹と関係があったと言われて
います。

叶姉妹
横井英樹氏は叶姉妹のパトロンだったという噂は
本当なのか気になりますが、姉の叶恭子の方と愛人
関係であったということが伝わっています。

その馴れ初めは恭子さんのショッピング中に
横井社長が声をかけたことだといいます。

もともとミスコン好きで知られた横井氏はコンテスト
参加者をしばしば愛人にしていたのだとか。

女性に声がけするのも慣れたものだったのでしょうね。

横井社長は叶姉妹の常連客であったとも言われ、
社長と恭子さんが一緒に写る写真が週刊誌にスクープ
されているなど何らかの付き合いがあったことは
確かといえます。

姉妹にとっても横井氏は頼りになる存在だった
ようで、パリの国際空港で姉妹が国際売春婦
として足止めされた時、横井氏に連絡し大蔵官僚
経由でシラク大統領を動かし入局許可が下りた
という驚きの噂が出ています。

また、社長の死後2人が多額の遺産
(100億ともいわれる)を手に入れたといわれ
いつも身に着けているゴージャスな高級品の
資金は横井社長の遺産から出たものではないか
と推測の声がある程です。

横井社長が他界した時期から叶姉妹が芸能界
進出しブレイクしたとされており、彼女たちの
活躍は社長なくしてはあり得なかったのかも
しれません。

横井英樹の生い立ち~極貧の少年時代

横井英樹社長は大正2年愛知県中島群平和村
(現在の稲沢市)で貧しい農家だった横井家の
次男として誕生しています。

父親の鉞次郎(えつじろう)は18~19歳の頃
お尻にデキモノが出来、それを手術した事で
足を悪くしたことで、まともに仕事をしなく
なったそうです。

仕事をしないだけでも、どうかと思うモノを
鉞次郎(えつじろう)は自分の身を嘆いてか
ヤケになっては朝から酒を煽り年中酔っぱらて
いる状態でした。

しかも身体は当時の成人男性としては、とても
大きく相撲取りのような体系で酔っぱらっては
道の真ん中に寝転がり、通行人にお金をせびる
などの愚業をする男だったので周囲でも有名で
誰もが避ける存在でした。

そんな働かない夫の変わりとなって朝に晩に
身を粉にして働く妻の政に髪の毛を引っ張ったり
の暴力を振るう完全なるDV夫。

身勝手に暴れる父親から逃げるように裸足で
母の政と、当時の横井(千一)は家から飛び出る
事もあったようです。

この父親の影響から後に実業家として大成功する
横井は女遊びはしても酒はほぼ飲まなかったと
言われています。

身体の不自由を嘆いて酒に逃げ年中酔っぱらう
父親に、そんな父の代わりとなって機織りなどして
一家を支える母を見て千一は小学生から働いたと
言います。

その様を見て近所の石田輝英という土地持ちが
不憫に思い自分の畑の端の90坪の土地を千一に
貸したそうです。

その借りた土地で千一は母の政に楽をさせたい一心
でジャガイモや白菜を作り近所に売り歩き、その儲けで
母に美味しい物を買ってあげる優しい少年でした。

また当時から貧しくとも勉強はできた千一でしたが
自らが働く事を放棄して酒に溺れ放蕩していた鉞次郎
(えつじろう)は千一が学校に通う事を嫌い千一の
カバンを隠したり教科書を破ったりするなどの信じがたい
行為までしたそうです。

事あるごとに
「うちのような貧乏人は子共を学校なんてやらんでいい。字なんて覚える必要がない」

そんな環境の中、遅れてでも学校には通った千一は
ガキ大将のようなヤンチャな一面はあったものの
当時から勉強はできる優秀な少年だったようです。

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横井英樹の起業と戦争成金まで

極貧の中、くだを巻き人生も家庭も放棄した父親を
反面教師としつつ、自らが知恵と工夫を凝らして
金を稼ぐ事を身をもって体感していた横井少年は
このまま学校に進学しても意味が無い、と思った
のかもしれません。

書道の腕を見込み忍順寺の住職が高等小学校
へとあげてくれましたが千一は1年で退学します。

15歳の年齢で浴衣に、ぞうり姿で僅かな荷物を
もって家を出る事を決意。

「出世できるまでは帰らない。」

といい上京、東京日本橋のメリヤス商会という
繊維問屋に丁稚奉公します。

この時祖母に付けてもらった本名の千一から
英樹に戒名。

商売の才能に長け、非凡であった横井氏は
僅か2年後の17歳で独立し、繊維問屋
「横井商店」を開業します。

そして太平洋戦争勃発により軍需品に目を
つけた横井氏は、第二次世界大戦後GHQ出入りの
商人となります。

進駐軍への衣料品販売などで利益を得、横田
立川基地の家族住宅設営まで手掛け若くして
一財産を築いたといいます。

横井氏29歳で「横井産業」を設立し、社員
3000人の大企業の社長という偉業を軽々と
成し遂げ戦争成金として大成功を収めました。

戦争により利益を得ることに味をしめた横井氏は
不動産にも手を広げ、買った土地で儲けを出し
資金を拡大。

江戸時代からの老舗デパートの白木屋の経営
破たんに乗じて株式を強引に買占め乗っ取りで
金儲けをしようと思い立ちます。

横井氏の、時に手段を選ばない、その暴力的な
行為を

「どこの馬の骨かわからん者を受け入れることが絶対にできない。」

と拒絶する白木屋社長ら経営陣を、あらゆる手を
使い退かせた彼は「乗っ取り屋」として広く名が
知られることになります。

横井英樹の実業家へ

白木屋の乗っ取りを契機に、金を、つくるためには
温情などない野望に満ちた実業家となった横井英樹氏は
日本のバブル期もあり、その後ホテル経営に目を付けます。

政財界の有名人も多く出入りする東京千代田区
永田町の「ホテルニュージャパン」の社長に
就任します。

またその後も株買い占め、ホテル買収に執念を燃やし
巨大な資産を持つ有名実業家としての道を歩んでいます。

1991年にはニューヨークエンパイアステートビルを
共同購入者(ドナルド・トランプ)の一人として
買収するなど、事業で手に入れた金の大きさ、財政界
での人脈も豪勢なものだったといえます。

ところが、金儲けのための、これまでの強引な
手法が仇となり出したようです。

やはりある中堅財閥から買収した一社とされる
ホテルニュージャパンの建設費用や設備投資を
削る違法と名の付く経営に制裁が下り、彼の
実業家人生に暗雲が立ち込めます。

後に問題とされる火災時の横井英樹氏の対応は
人命救助を第一とするべき起業家の言動とは
かけ離れた対応だったのです。

ホテルニュージャパン火災発生時は、火災中に
ロビーにあったヨーロッパの高級インテリアを
運び出すよう秘書に指示。

人名より、資産を優先した指示には金儲けに
執心する傲慢さが感じられます。

それまでの経営にもワンマンぶりが見え、ホテル
開業時320人いた従業員も離れていき134人にまで
減少し、後年は財はあっても少なくとも慕われる
実業家とはいえなかったようです。

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横井英樹のホテルニュージャパン事件と晩年

「昭和の買収王」の呼び名で知られた
横井英樹氏はホテルニュージャパン事件に
おいて世間から大きな非難を浴びた人物でした。

ホテルニュージャパンは地下2階、地上10階の
ホテルで、地下にあるクラブ

「ニューラテンクォーター」は政財界の社交場で
知られ国内外の客がよく使っていたといわれます。

火災は深夜3時過ぎから翌日昼過ぎまで続き、
宿泊客・従業員全403人中死者33人を出し
史上最悪の人災と言われました。

9階に泊まっていたイギリス人観光客が、酒に
酔い部屋に戻ってきてからの寝タバコが出火原因
されています。

裁判記録では、火災当時、従業員が館内放送を
せず、消火栓や火災報知器の使用法も知らなかった
といい、一部を除く客室部分にスプリンクラーが
ないという衝撃の事実も明らかになりました。

取り付けられていた一部のスプリンクラーも
ダミーで水が出ないもので、ホテルの造りも
すき間だらけの欠陥が災いし大惨事を招いた事が
明らかとなります。

また従業員の通報も火災から既に20分経過
しており、全てが遅きに過ぎたことはいうまでも
ありません。

あらゆる火災の責任は横井社長にあるとして
禁錮3年の刑が下った横井氏。

1997年に刑期を終え晩年は叶姉妹とのパーティーの
交流や、ホテルニュージャパン火災犠牲者となった
台湾人観光客の遺族を毎年慰霊のため日本に招待
したとも言われています。

田園調布の駅前一等地に豪邸を構えていましたが、
死去する一か月前に手放し弟夫婦と共に生活して
いたそうです。

1998年(平成10年)85歳で虚血性心疾患で
死去し生涯を閉じたのでした。

おわりに

ホテルニュージャパン事件で、ずさんな防火設備や人命軽視の経営が暴露された横井英樹氏は叶姉妹のパトロンの噂があり、姉の恭子さんとの写真も撮られており、多くの遺産を与えたともいわれています。
横井氏は貧しい生い立ちから上京し、商才に恵まれ17歳で繊維問屋を開業し、軍需に目をつけ巨大な財産を築き戦争成金として成功します。
ホテルニュージャパン事件で有罪判決を受け、服役後晩年は豪邸も手放し、弟夫婦の元に身を寄せひっそりと亡くなっていますが、身一つで自身の才能を若くから発揮し、戦争をもチャンスに変えながら富に溺れた彼の波乱の一生涯は昭和を怒涛のごとく駆け抜けていったのでした。


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