実業家の生い立ち

スーパーアキダイ場所と従業員数に絶句!秋葉弘道の生い立ちも凄すぎ

秋葉弘道アイキャッチ 実業家の生い立ち

テレビ局の取材が殺到する異色のスーパー「アキダイ」の社長として、情報番組ひるおびに度々登場する秋葉弘道社長。

秋葉さんが23歳の若さで縁もない東京都練馬区で、スーパーアキダイ関町本店を構え、紆余曲折ありながら全国一の知名度を誇るまでにしたそのやり手ぶりにも視線が集まっています。

話題のスーパーアキダイの場所や従業員数、秋葉弘道の生い立ちなどについてお伝えします。

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スーパーアキダイの場所と従業員数が驚き

全国区のお昼の情報番組「ひるおび」で度々その姿を見るスーパー「アキダイ」秋葉弘道さん。

個人的にも人の好さそうな秋葉弘道さんの姿に、感じの良さそうな従業員さんだな、と思っていたから社長だと知って結構ビックリしています。

しかもいつも「ひるおび」で放送されるアキダイのみの経営かと思ったら全く想定外に八百屋を中心とした飲食店経営を7店舗も経営する社長さんだとか。

あまりの想定外に、益々秋葉弘道社長のヒストリーがきになってしまいます。

スーパーアキダイは東京都練馬区に関町本店を構え、従業員170人、店舗も練馬区と杉並区にスーパー5店に手作りパン工房、創作料理の居酒屋も経営し7店舗を経営する実業家でもあります。

★スーパー5店~関町本店、中村橋店、荻窪店、阿佐ヶ谷店、高円寺店
(ユータカラヤ内)、松戸店(ロピア内)

パン・居酒屋~あきぱん(東京都練馬区)・北彩亭(東京都杉並区)

スーパーアキダイは関東圏ではテレビに出ない日はない、というほどの知名度を誇ります。

その出演回数も脅威の年間250本。1ヵ月65本の記録もあるんだそうです。

有名になるはずですよね~でもその背景には、秋葉弘道社長の人となりとココまでのサクセスストーリーにも関係があるような気がするのです。

この新型コロナウイルス感染拡大で休業が相次いだ昨年春以降も、生活を支えるスーパーとしての使命から休業せずフル回転していたそうです。

懸命に頑張る社員のために従業員へ激励金を出したり、ボーナス増額もという手厚い支援を行うなど、不況にあっての独自の取り組みでスーパー
「アキダイ」に注目が集まっています。

スーパーアキダイの秋葉弘道は社長だった!

アキダイ
秋葉弘道さんは1992年創業のスーパー「アキダイ」の社長さんです。

1968年(昭和43)生まれの52歳で、プライベートでは2人の双子の娘の父親でもあります。

秋葉社長は一代で独立した社長でもあり1992年秋葉さんが23歳と言う若さで練馬区関町の本店をオープンさせ、店舗を拡大していきました。

「ひるおび」中心に年間メディア出演が250本と、言われる秋葉弘道社長は人気番組にも多く出演。

「たけしの日本のミカタ!」でも

「テレビに出すぎの八百屋さん」などと紹介されひっぱりだこ。

野菜高騰や軽減税率のニュースなどでも八百屋さんの話になるとなぜか登場することで、

「日本一の知名度を誇るスーパー」と言われています。

そんな町のスーパーを全国区の知名度にしてしまった秋葉弘道社長とはどのような人物なのでしょうか。

秋葉弘道の生い立ち~

秋葉弘道さんについては、埼玉県富士見市に誕生し、地元の小中を卒業後工業高校に通っていたことが伝わっています。

小学校時代は口下手で周囲とは喧嘩ばかり、いつも担任に怒られていたそうですが、高校生でそれを克服しようと生徒会長に立候補したこともあったとか。

「購買部にパンしかないのはおかしい。弁当も売るべき」

を公約にすると当選してしまい、『弁当会長』のアダ名がついたそうです。

やんちゃな高校生だったという秋葉さんも、高校3年生になり進学を進められましたが当時父親の仕事が思わしくなく、就職を希望します。

父親は兄と共に伝票の製本業をしていたそうですが需要が減り、不景気の波にあい住宅ローンも抱えていました。

卒業後には大崎電気工業という大きな会社の検査部門に配属が決まり、上司にも可愛がられ将来も安定が見込めるはずだった秋葉弘道さん。

両親もとても喜んだ大企業への就職でしたが本人は、満ち足りるものがなく入社から僅か1年後に

「父親が体を壊した」と嘘をつき辞職します。

そこから19歳で青果店へ戻って正社員になるのです。

何故、大企業を辞めて秋葉弘道さんが青果店への道へ就職したのかが気になりますよね。

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秋葉弘道の生い立ち~伝説の桃売り少年の過去!

秋葉社長が、まだ若い年齢にも関わらず、人も羨む大企業を辞めてまで青果店への入社を決めたきっかけが凄すぎるんです。

秋葉社長は高1の終わりの春休みに地元の八百屋でのアルバイトを始めました。

その青果店でのバイトを決めたきっかけは当時の、どのバイトより時給が高かったからだそうです。

たったそれだけの理由で始めた青果店での高校生の秋葉さんが当時ある種の伝説と呼ばれる存在になったのが桃の爆売りにありました。

その時の経験が現在のアキダイの原点になっているといるようなのです。

小学校時代から口下手で喧嘩っ早い性格で叱られる事が多かった秋葉弘道社長。

ですがヒョンな事から始めた地元の八百屋のバイトで、たくさんの客を相手に、たくさんの青果を売ることで話術もさえ、知識も身に付き売れ
行きにつながっていきました。

午前9時からの仕事でしたが、1時間早く出勤し売りやすいように品物を並べたり自主的な姿を見せ、1日で桃の箱を130箱売ったそうです。

当時のその桃箱130箱を売り上げたコツは高校生のまだ若い兄ちゃんが奥様やお母さん世代の女性に、こう耳打ちして桃を紹介したんだそうです。

『この桃は美味しいよ、でもこっちのが甘くてイイよ』

たったこのひと手間の秋葉弘道の声掛けが面白いように主婦をその気にさせ桃箱がたちまち130箱完売。

商売の面白さを実感してやりがいを感じた彼は、その日の社長に次の日には150箱桃を仕入れて下さい。

150箱完売すると豪語して仕入れの増量を提案したそうです。

結果は想像とは違い完売は出来なかったそうですが、その売れ残った桃箱を担いで駅まで売りに行ったと言うから驚きです。

高校生のバイトですよ。時給が高かったと言っても当時の時給で600円。10時間労働で6000円のバイトです。

たかが高校生の少年がする言動ではないですよね?

この根性と規格外の桃の爆売りが市場で話題となり”天才桃売り少年”と評判になり、当時の鳴り物入りで

入った天才バッター清原和博にちなんで

『秋葉は青果界の清原だ』とまで言われたんだそうです。

完全なる青果市場の伝説的天才桃売り少年として、当時は物凄い話題となったんだそうです。

そして、そうした市場での評価と仕入れた品を、売りさばく商売の楽しさや遣り甲斐に高校生ながら秋葉弘道さんは商売の面白さを肌で感じたのでしょう。

だって、こんな高校生がいる訳ないですもんね。

秋葉弘道のスーパーアキダイへの道のり

元気のよい茶髪でパーマ姿の秋葉さんのアルバイト時代は、周囲からも認められ必死に売ることで手ごたえを得た充実感で満たされておりとても
楽しかったそうです。

だからこそ、無事に就職した一部上場企業の大崎電気工事に就職を決めるも、やめてしまい結局アルバイト先だった八百屋に勤めることを決意します。

その決意に母親は反対しますが、父親は

「好きにやらせればいいだろう」と応援したといいます。

その父親の言葉に後押しされ、迷いも吹っ切れた若き秋葉弘道氏は一念発起。

興味の対象である青果店への再度の就職先として選び、自分の選択に迷いが無かったかを確信する為にも飛び込むのです。

当時19歳で青果店に戻り正社員になり22歳で店長に昇格。

将来を見込んで大企業を辞めて出戻りした秋葉弘道氏の働きぶりは想像以上だったのでしょう。

当時の秋葉弘道氏は市場の関係者に

『数十年に1人の逸材』

とまで言われる程の働きぶりだったそうです。

とうぜん自らの実体験で青果店への熱意や情熱を再確認した、秋葉弘道氏は23歳で独立を決心。

東京都練馬区にテナントを見つけ開業に踏み切ります。

しかも猛烈な働きぶりで必至にためた自己資金とはいえその自己資金は200万円です。

その間21歳では奥様との結婚もしているのだから、秋葉弘道氏が如何にプライベートも商売もイケイケだったのかが分かります。

お店の開店も当時の23歳と言う若すぎる年齢からココこそはと目星をつけた空き店舗のオーナーは、誰も首を縦に振らなかったそうです。

その中の唯一首を縦に振ってくれたオーナーこそ関町本店である「ひるおび」でいつも社長がコメントする関町本店のオーナだったそうです。

不動産オーナーの契約の決め手は、やっぱり秋葉弘道氏の熱意と自分の娘と同年だった事。

「こんな若い子がこれほどの熱意で言うなら」

と最後は折れて最初の記念すべき1号店の契約が決まったんだそうです。

実際23歳の青年がスーパー規模で店舗を借りようと思ったら相手もかなり躊躇するのは当然ですよね。

そんなアキダイの社長が自身の初伝記を発売しました。希代の伝説の桃売り少年から年商30億円越えの八百屋にした秋葉弘道さんの経営術!

スーパーアキダイの秋葉弘道がやり手で凄い

やり手
ただ、この時の秋葉弘道さんの熱意は結果本物で、その後が物凄い快進撃となって本気で市場関係者のいう『数十年にひとりの逸材』的な存在となるのです。

この秋葉弘道氏の、ここまでの経歴を見て、改めてメディアで「アキダイ」を取り上げて秋葉弘道社長が逐一コメントする理由に納得できました。

秋葉弘道さんはアルバイトから青果店の魅力に取りつかれ、今や多くの店舗を持ちメディアをも独占する勢いのスーパーを作りました。

ネットでは「イオンも逃げ出す『OKストア』の半端ない集客力」、ニュースや情報番組にも出過ぎといわれる、やり手の秋葉さんで知られています。

彼は東京都練馬区での最初のオープンでさえ人通りもなく、客も来ない立地で、開業資金もほとんどなく一時は閉店も考えたそうですが、たまに来るお客への豊富な知識での元気な接客トークに周囲の人々が動き出しました。

店前を通るシルバーバスに見えるように、大根1本の値段を大書し「安い」アピールのボードをかざし高齢女性の集客にも成功し、自然と売り上げも上がり毎日100万円が続くようになっていきました。

今では関町本店は多いと1日2000人来店する繁盛店に成長。

今期の年少はコロナ渦の影響でお家時間が増えた影響もあり、前期2割増しの35億円と言うから売り上げも個人経営規模では規格外の繁盛店。

仕入れは1日700万円、4トントラック8台分の全ての仕入れを秋葉弘道社長が賄っているそうです。

世間に「またアキダイ」といわれるほど、情報番組やニュースなどでコメントする秋葉さん。

情報番組のディレクターは彼が

「いつでも簡単に取材を受けてくれる」

ことをあげておりどんなときでも何でも答えるという積極的な姿勢と的確な現場の声が評価されているようです。

「お客さんだけでなく、社員にアキダイのファンになってもらうこと」

が夢であると話す秋葉さん。

誰からも愛されるアキダイを育てている真最中のようです。

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おわりに

テレビ常連のスーパーで、商売だけでなくそのやり手の様が評判のアキダイ社長秋葉弘道さん。杉並区や練馬区に店舗を広げ順調に見えますが、開業当時は店も閑古鳥の状態。苦心して立ち上がり、高校での八百屋アルバイト経験が彼のスーパー人生を支えたことがわかります。
30年近く一心に仕事に取組み、ようやく旅をする楽しみなどが出てきたそうですが町の八百屋さんの域を超え、人としての信頼を全国からあつめることとなったスーパーアキダイの軌跡は不況であえぐ人々を励ましてくれる大きな存在と言えるでしょう。


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