実業家の生い立ち

高橋治之の実弟もいわく付き実業家?兄弟の知則の逮捕理由と死亡の訳

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東京五輪・高橋治之元理事の巨額汚職事件が世間をにぎわせていますが、彼の実弟知則さんもいわく付き実業家として話題になっています。

兄弟である知則さんは、バブル経営者の典型で環太平洋のリゾート王の呼び名を持つ実業家でしたが、逮捕され、59歳で死亡しており、その逮捕理由や死因も気になります。

高橋治之の実弟もいわく付き実業家、兄弟の知則の逮捕理由と死亡の訳をお伝えします。

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高橋治之の実弟もいわく付きな実業家

巨額汚職事件で話題の東京五輪元理事高橋治之(はるゆき)氏の弟、高橋治則(たかはしはるのり)氏は2005年7月18日に59歳の若さで他界をしています。

弟

治則(はるのり)氏は、兄の高橋治之(はるゆき)氏とは1つ違いの弟で、二人とも慶應義塾大学卒の実業家です。

父親の義治(よしはる)さんは、電器機器卸売会社「イ・アイ・イ」を経営、治則さんは慶応大卒業後日本航空入社後、結婚し、その後日本航空を退社し実業家の道へ進みました。治則氏は父の会社の副社長を経て、やがてその会社を譲り受け社長に就任しています。

高橋治則氏は、「イ・アイ・イ・インターナショナル」の社長として、電器機器からリゾート開発に大きく路線変更し、世界各国を飛び回ります。

バブル期にはホテル・リゾート開発事業を中心に総資産1兆円超の企業グループを構築し、「環太平洋のリゾート王」と称されていました。

兄・治之さんは、大手広告会社電通専務などを経てスポーツ界にも精通し「スポーツの祭典のドン」といわれましたが、 弟・治則さんは「環太平洋のリゾート王」としてバブル期の典型的経営者として知られています。

その後、大規模リゾート開発で資金繰りの悪化が表面化した「イ・アイ・イインターナショナル」は、当時のメインバンクであった日本長期信用銀行(長銀)の管理下に入り、長銀主導の下で債務の整理を行うことに。

1993年に長銀による支援が打ち切られ、自主再建を試みますが自主再建は難航を極め、1994年に東京協和信用組合が破綻し、治則氏は1995年6月27日に背任容疑で東京地検特捜部に逮捕されます。

バブル経済崩壊とともに、日本経済は急速に勢いを失い、数多くの不動産会社や日本長期信用銀行、日本債券信用銀行など金融機関が経営破綻します。

2000年に「イ・アイ・イ インターナショナル」は破産申し立てを受け、負債総額は4,764億円といわれました。

「長銀(日本長期信用銀行)を潰した男」の異名を持つイ・アイ・イ・インターナショナルの高橋治則社長は、実利主義で兄同様いわく付きな実業家だったことがわかります。

高橋治之の弟治則の逮捕理由

元東京協和信組理事長で、リゾート開発会社「イ・アイ・イ・インターナショナル」の高橋治則(たかはし・はるのり)元社長は、旧日本長期信用銀行のバックアップを受け、バブル期にイ社を舞台に、国内外で大規模なリゾート事業を展開しました。

高橋氏は、山口敏夫元労相や旧大蔵省幹部など政官界にも人脈を広げ、東京協和信用信組などから無担保や担保不足のまま、イ社関連のゴルフ場開発会社などに巨額の融資を引き出して焦げ付かせ、これら信組は1995年に解散に追い込まれることに。

同年6月、旧安全信組に約273億円の損害を与えたなどで、東京地検特捜部に背任容疑で逮捕され、2003年6月に東京高裁で懲役3年6月の実刑判決を受けました。イ社は2000年に破産宣告を受けている。 (日本経済新聞:引用)

“治則氏の力の源泉は政治家をテコに、無限なまでに膨らませたバブル・マネーにあった。銀行、大手生保から、無尽蔵のように資金が流された。  中でも、日本長期信用銀行との関係は、ただならぬものがあった。(中略)治則氏に対する融資にお墨付きを与えたのは“長銀のドン”杉浦敏介氏だった。しかし、これらの事業は、バブルの狂乱時代と終焉とともに、ことごとく失敗した。長銀をバックに治則氏が投資した不動産関連案件は、最盛期には2兆円といわれた。長銀グループはピーク時に6000億円を融資していた。治則氏は、この巨大マネーを、湯水のごとく使い果たしたのである。”(Yahoo:引用)

高橋氏は、イ社の開発の資金繰りに失敗し、理事長を務めた東京協和信用組合など2信組の破綻させたため、背任罪で起訴され逮捕されたのでした。

高橋治之の弟治則の死亡の訳

巨大な「イ・アイ・イ」グループを率いた、元東京協和信組理事長の高橋治則(はるのり)氏の死亡の訳は一体何だったのか気になりますね。

2005年7月18日午前9時36分に死去した高橋治則氏の死因は「くも膜下出血」と報じられています。

当時治則氏はまだ59歳の若さでした。

治則氏は、前述の背任容疑での逮捕当時から一貫して無罪を主張していましたが、1999年10月東京地方裁判所より懲役4年6ヵ月の実刑判決を受け控訴、2003年6月東京高裁より懲役3年6ヵ月の実刑判決を受け、最高裁判所に上告しました。

東京高裁での判決後、長銀による不法な債権回収手段が明るみに出る等、実態解明が進み、破綻した東京協和信用組合の業務を引き継ぎ、背任罪で刑事告訴した原告・整理回収機構(RCC)が、高橋治則に刑事上の法的責任を求めないとの意見書を最高裁に差し入れ、最高裁の判決を待っていた最中のことでした。

くも膜下出血により死去した治則氏の通夜、葬儀は、2,000人を超える参列者であったといわれています。

サウナ帰りの出来事だったそうです。裁判のストレスの中のサウナが良くなかったのか定かではありませんが、どちらにしても59歳は早すぎる死だったと言えるでしょう。

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高橋治之の家族構成(実家)

前述のイ・アイ・イグループ社長の高橋治則氏は、終戦直後の1945年10月、父親・義治氏の実家がある疎開先の長崎県平戸市で生まれました。

治之氏と治則氏は、この年代(昭和19年20年)にしては珍しく2人兄弟で両親との4人家族だったようです。

自身の現在の家族構成は、長男義明(昭和44年生まれ)TBS勤務が居るようで、その下に長女で現在51歳の家族は娘(利江さん、奥様の4人家族です。

父の義治氏は戦前、満鉄の持ち株会社、東満州産業秘書課に入り、終戦を迎えています。商才があった義治氏は戦後のモノ不足の時代に輸入物資を売りさばいて財を成し、その後、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)の設立に関わり、取締役に就任しています。

治則氏の兄は高橋治之氏で、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会元理事、電通顧問・元同社専務、株式会社コモンズ代表取締役会長の肩書きをもつ実業家です。

高橋治氏之は、慶応大を経て電通の顧問にまで成り上がり、父や弟同様実業家として名を成し、スポーツ界にも尽力してきたといわれています。

高橋治之の兄弟関係

兄弟そろってエリート、戦後のバブルを謳歌して日本経済に多大なる影響力があったとされる実業家であったわけですが、兄の高橋治之(はるゆき)、治則(はるのり)氏の兄弟関係も気になります。

実業家の父を持ち自身らも、そうした父親の築いた巨額の資産を持つ会社を運営した兄弟らは一体どんな関係だったのでしょう。

“兄の治之氏もまた、電通にいながら弟の資金力を味方につけた。当時を知る元電通関係者は言う。 「バブル当時とはいえ、治之さんのカネ遣いはおよそサラリーマンのものとは思えませんでした。弟さんのプライベートジェットを乗り回し、治之さんの部署の人たちだけ、社員旅行の行く先が弟さんの開発していたタヒチ・ボラボラ島のリゾートだったりした」

 蜜月関係の兄弟だったが、弟の治則氏はバブル崩壊で破綻に追い込まれ、1995年に背任容疑で東京地検特捜部に逮捕された。一方、兄の治之氏はその後、国際スポーツ界でさらなる地位を築き、東京五輪招致を成し遂げる。が、その兄にもついに捜査のメスが入った。“ (Yahoo:引用)

実業家の父を継ぎリゾート王と呼ばれ巨大な富を築いた治則氏と、兄治之氏とも莫大な資金力を互いに利用できる立場にあり、資金を流用することにも通じていたのではないかと思われます。

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高橋治之が上級国民と呼ばれる訳

現在、巨額詐欺疑惑事件などで話題の高橋治之(はるのり)氏が、上級国民と呼ばれる訳に注目が集まっています。

その生活は“貴族”そのものだったという。政界関係者が話す。

「高橋さんは幼稚舎から入学した生粋の慶應ボーイで、世田谷区の自宅は数億円する豪邸です。愛車はおそらく1億円近いベンツの最高級車のマイバッハで、他にもベンツが3台あり、エプロンをつけたお手伝いさんの女性やお抱えの運転手も家には常駐しているという正真正銘の世田谷貴族です。六本木のアークヒルズで、最高級和牛を看板にした2万円のディナーコースがある高級ステーキ店を経営しており、菅前首相などの政界の大物や旧知の記者などを招き、よく会食をしていました」(文春オンライン:引用)

高橋氏は、若い時から実業家の家系に育ち、贅沢すぎる暮らしぶりは周囲を圧倒していたようです。

庶民には想像も出来ないレベルの贅を極めた生活をしてきた高橋氏の女性関係もまた華やかな噂があったようです。

「(前略)電通の平社員だった頃から、高橋さんは運転手付きのジャガーで出社し、自分のプライベートルームを米・NYの高級ホテル内に持っていたんです。マンハッタン島にあるプラザホテル向かいの一等地だったそうです。その後、電通の専務にまで上り詰めていくわけですが、大澄賢也と結婚する前の小柳ルミ子や、かたせ梨乃と浮き名を流し、都心のホテルやバーで逢瀬を重ねているところを目撃されていましたね」
(広告業界関係者・Yahoo:引用)

高橋氏は「サッカーの神様」ことペレを、弟のプライベートジェットで来日させ、中曽根康弘氏とテニスをさせたなんて逸話もあるとか。

高橋氏は巨大な資金力にものをいわせ、事業や私生活共々好き放題にしきってきたのではないかということがわかります。

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おわりに

巨額詐欺事件で話題の元五輪理事の高橋治之氏ですが、その実弟・「イ・アイ・イ・インターナショナル」社長の治則氏もまたいわく付きの実業家で、環太平洋のリゾート王と呼ばれていましたが資金繰りが悪化し、後に背任容疑で逮捕されています。
治則氏は、大規模なリゾート開発で数々の金融機関の破たんを招き、「長銀を潰した男」として知られ、くも膜下出血で亡くなっています。治則氏の兄高橋治之氏は、父親も実業家で莫大な資金力や人脈を早くから持ち、バブル経営に身を投じた弟と共にその贅沢ぶりで上級国民と呼ばれていましたが、やっと捜査の手が伸び逮捕が迫りつつあり目が離せません。


コメント

  1. […] 高橋治之の実弟もいわく付き実業家?兄弟の知則の逮捕理由と死亡の訳 […]

  2. 通行人 より:

    親の顔が見たいね。

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