グレースケリーの生い立ち~毒親育ちがプリンセスに!性格も拗らせ?

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グレースケリーアイキャッチ

アメリカの元映画女優で、モナコの国王
レーニエ公と結婚しプリンセスとなった
絶世の美女グレースケリー。

大女優だった彼女が人気絶頂期にプリンセスと
なり女優を引退、52歳で亡くなっていますが
その20世紀最大のシンデレラストーリーは
長く語り継がれ話題を呼んでいます。

グレースケリーの生い立ちが毒親育ちの噂があり、
彼女の性格に大きく影響したのではないかと
言われているようです。

またプリンセスになった理由も気になりますね。

グレースケリーの毒親育ちの生い立ちや
プリンセスになった理由、その性格について
お伝えします。

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グレースケリープロフィール

氏名:グレース・パトリシア・ケリー
(モナコ公妃・アメリカ合衆国の元女優)
本名:グレース・ケリー
出生地:アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィア
生年月日:1929年11月12日
没年月日:1982年9月14日(52歳)
身長:169㎝
配偶者:レーニエ3世
子女:カロリーヌ・アルベール2世・ステファニー
受賞歴:アカデミー賞主演女優賞・ゴールデングローブ賞主演女優賞
(「喝采」1955年)/ゴールデングローブ助演女優賞(「モガンボ」1944年)など

グレースケリーの生い立ち真ん中っ子の家族構成

女優から一国の王妃となったシンデレラ
ストーリーを地で生きたグレースケリー。

彼女は煉瓦職人の父ジョン・ブレンダン・ケリー
とモデルの経験もありペンシルバニア大学初の
女性体育教師で優秀だった母マーガレットとの
間に生まれた4人兄妹のうちの三女です。

父は貧しいアイルランド系移民でスラム育ち
ながら上流階級の競技であるボート競技で頭角を
現し、1920年のアントワープオリンピックで2個
金メダルを取るなどし一躍国民的英雄になったといいます。

そして煉瓦製造会社を立ち上げ億万長者と
なっており裕福な暮らしぶりでした。

叔父のウオルターとジョージはサイレント
得映画のスターとピューリッツァー賞作家です。

兄はジョン・ブレンダン・ケリー・ジュニアと
いい、1956年メルボルンオリンピックのボート
競技では銅メダルを獲得しています。

アスリート、タレント一家として有名だったのですね。

グレースケリーは少女時代は大人しく人見知りで
スポーツが苦手な病弱な子だったといいます。

3人姉妹の中で真ん中にあたりますが、一番
不器用でした。

そのためかダンスやピアノを学ぶうち表現する
喜びを知り、やがて演技に興味を持って行った
ようです。

グレースケリーの生い立ち~毒親育ちの真相とは

グレースケリーは社会的地位に恵まれた
両親の元で不自由なく育ったようですが、
両親が毒親だったことが伝わっているようです。

父親はグレースの姉ペギーを可愛がり、
グレースには冷たかったのだとか。

その上、グレースの異性との交際に異常な
ほどうるさく彼女を悩ませることになりました。

後に父親に対するコンプレックスで父が
反対するような相手と交際するなど、彼女は
恋多き女として有名で、主に自分より年上の
男性と浮名を流しています。

母親からも不器用さをののしられ、無視される
などしとにかく親からほめられたいという一心
だったグレースケリー。

ハイスクール卒業後、家族の反対する中、女優を
目指す決意を固め、ニューヨークでモデルの
アルバイトをしながら演技を学び、1949年に
ブロードウェイデビューを果たしています。

この時グレースが女優になりたいとの想いを
告げた時家族の誰もが、その夢を一同で馬鹿に
して笑ったと言います。

あり得ない、とばかりに…

その後も舞台女優として出演中、ハリウッドから
誘いがかかり22歳で映画「Fourteen Hours」
でデビューを飾り、女優としての華やかな
スタートを切りました。

毒親の支配から逃れ、小さい頃からの控えめな
自分からの脱却を求めていたところに出会った
演技の世界が彼女の人生を大転換させたのですから
不思議なものですね。

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グレースケリーが女優からプリンセスを選んだ理由

プリンセスへ
1954年女優として人気絶頂期だったにも
かかわらず女優業を引退。

モナコのレーニエ公のプリンセスの道を
選んだグレースケリーに世間は驚かされました。

グレースは26歳、レーニエ公は32歳でモナコ
大公宮殿とモナコ大聖堂で2回の盛大な結婚式が
催されたことでも有名です。

1955年南フランスのカンヌ国際映画祭で
出会った2人は恋におち意気投合、翌年
結婚しています。

彼女が女優からプリンセスになった理由は、
父親からの称賛が欲しかったからとも
いわれています。

グレースがハリウッドデビューし成功を
収め注目を浴びても父親の愛情は注がれず、
褒められることもなかったと言います。

そのためこれまで年の離れたたくさんの
男性と付き合ったりしたといいます。

女優を引退し、結婚するときはそれまで
冷淡だった父親が祝福の言葉を贈ったそうで、
女優の名声よりも何よりも身近な家族の愛を
求めてようやくかなったことがわかります。

グレースケリーは性格も拗らせだった?

スクリーンでの演技やプリンセスとしての
高貴な姿とは違って、貪欲なまでに周囲の
愛や注目を引きたいがため乱れた男性との
交友関係に走るグレースケリーの性格は
ある意味拗れたものだったといえるでしょう。

世間では気品高い「クールビューティー」
と呼ばれ、大女優として崇められながら、
アカデミー主演女優賞を獲得した時も、

「オスカーを受賞した日。それは私の人生の中で一番寂しい日でした。」

と語り、一人寂しくホテルに帰ったといいます。

恋人も喜びも分かち合う人が無かったと
言う意味だったようで、ハリウッドはよい
世界ではなかったとも言っていたそうです。

そして幸せと思われた華麗なプリンセスへの
転身も、やがて夫婦2人の関係に変化が生じ
3人の子供をもうけながらも自身が毒母とまで
言われるような娘たちへの仕打ちをしたといいます。

娘が世間的に目立つことを嫌い、舞踏会でも
きらめく美貌で自分が主役になるなどし疎遠な
親子関係に発展したそうです。

グレースケリー自身の生い立ちをそのまま
自身の娘にも映していったことがわかります。

まさにプリンセスを演じた女優であり、本当に
欲しい愛情が得られなかったため拗れた彼女の
生涯そのものだったといえます。

グレースケリーの早すぎる死にも疑惑が?

グレースが1982年9月13日運転する自動車
事故で亡くなったとき、娘のステファニー妃が
何とか助かりました。

喧嘩も多かった親子であったことから
娘ステファニーに良からぬ疑惑まで浮上
する程の報道のされようだったそうです。

実際はその日に限って運転手不在だったため
グレースの運転で娘ステファニーのパリ行き
列車に乗るまでの道中ブレーキが利かなくなります。

コントロールを失ったグレースがその最中に
脳梗塞のような症状で意識が飛び崖から落下
したのが真相です。

兎も角ブレーキが利かない事でパニック状態
になったグレースが更にアクセルを踏んでしまった
とも、脳発作の症状で足が動かなかったとの見解も
様々な見解がされるものの推測の領域を出る事は
ありません。

その美しい気高いプリンセスの後ろには、どこか
満たされない彼女の思いが常にあったといえそうです。

享年52歳と早すぎるグレースケリーの短い
生涯には生涯をかけて両親や肉親からの唯一無二
の愛情を求めただろう彼女。

もっと愛されたい、もっと褒められたいと家族の
誰もがバカにしつつも誰もが知る女優になり女優の
座さえアッサリ捨てて一刻の王妃の座も手にします。

それでも負の連鎖として自らの子供にも心からの
愛情を注ぐ事ができなかったグレースケリー。

最期まで自らの死を娘の故意の事故では?と疑惑が
かけられた彼女の一生は決して世間が思う程満足の
得られた人生では無かったのかもしれません。

グレースが心の底から渇望したモノが家族の愛
だとしたら、彼女にとっては女優も王妃の座も
取るに足りない存在だったのかもしれませんね。

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おわりに

20世紀最大のシンデレラストーリーとして話題となったモナコ公妃グレースケリーの生い立ちは両親が毒親のために、いつも愛情を欲しがるようになり様々な男性遍歴を持つ意外な過去がありました。
彼女が女優になったのも父親から認められたい一心だったわけですが、せっかく得た幸せな結婚もまた彼女の理想とは合わずどこか空しく、毒母となってしまったその生涯があわれに見えてきます。グレースケリーの高貴な姿の裏の悲痛な叫びが聞こえてきそうです。


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