登山家の栗城史多さんが8度目のエベレスト登頂途中で低体温症で死亡した事が発表されました。
栗城史多さんと言えば登山家の中でも無謀ともいえる、単独無酸素での登頂が有名でその無謀な登山スタイルからも賛否両論の的でもありました。
そんな彼が今回8度目のエベレストチャレンジで、死去という残念な結果となってしまいましたが改めて、無謀な登山に挑む彼の姿勢やルーツに関連する人生観を変えた生い立ちや母親の死去という過去を追ってみようと思います。
そして結婚されていたならば妻の存在も同時に追ってみようと思います。
栗城史多がエベレストで死去
2018年5月21日8度目のエベレストを単独登山中に体調を崩し下山を決意。
標高7400m付近で下山を始め連絡が途絶えたので、キャンプ2付近にいた撮影隊がルートをたどり捜索。
栗城史多さんの遺体が発見されました。
享年35歳。8度目のエベレストチャレンジでの、死去で日本でも異端児な登山家であった栗城史多さんの死去の一報が発信されました。
どんなアクシデントにあってもチャレンジすることを、念頭に最後までエベレスト登頂を目指した栗城史多さんは、志半ば最後まで諦めなかったエベレストでお亡くなりになりました。
どんな想いで最後エベレストを登り、そして最後息を引き取っていかれたのでしょう。
あまりに若い登山家の死に無念さと彼の無謀さが悔やまれますが何が彼をそうさせたのか?
彼のルーツとなる生い立ちを少しおってみましょう。
栗城史多の生い立ち~母の死去
1982年6月9日に北海道瀬棚郡今金町で誕生されています。
WIKIでも調べましたがご兄弟が見えるかどうかは分かりませんでした。
ですが眼鏡屋を副業と言いながら北海道の田舎で経営する父親と母親の元誕生しています。
栗城さんが小学3年生の頃父親がどうゆうわけが『この街に温泉を掘りたい』と言い出した事がきっかけで実際河川敷に温泉採掘を開始したそうです。
そして実際3年かかったものの温泉が出たそうです。
栗城さんのお父さんが掘り当てたのだから当然温泉の、権利は栗城さんおお父さんのモノかと思いきや掘り当てた温泉の権利は自治体が運営することになったそうです。汗
それでも栗城さんのお父さんはそれに不満を言うわけでも無く、地元民が喜んでくれることに満足されていたそうです。
何だか『登山家でもあり冒険家』でもあった栗城さんに似通ったタイプなのかもしれませんね。
栗城さんも何故無謀にも無酸素での『エベレスト登山を挑戦するのか?』の問いにこう答えています。
『僕がエベレストという世界最高峰に挑戦することによって人生の山を挑戦する人の勇気や後押しになったらいい~』
こんな事を心に重い彼は無謀と言われながらも最後までエベレストでその早すぎる命を散らせてしまったのです。
栗城史多の人生観の変化と登山との出会い
でもこう何かにチャレンジしなくては~の想いは、思春期時代の彼が17才で亡くなった母親との生き別れが大きな理由かもしれません。
彼の母親は栗城史多さんが17才の時肺ガンに、なって亡くなられたそうです。
当初、栗城さんも若かったこともあり
『すぐに治るよ~』と現実逃避なのか本当にそう思いたかったのか、そういい続けあまり母親の病院に顔を、見に行かなかったそうです。
日に日に弱りつつある母親に何を言っていいのか分らなかったのかもしれません。
そしてその日はやってきます。
もう今わの際で母親は最後、栗城さんに向かって
『ありがとう』と言葉を振り絞ていい残しこの世から息を引き取ったそうです。
これを目の当たりにして本当になくなってしまった、母親の死に直面した栗城さんはこの時こう思ったそうです。
『命には限りがある。一生懸命生きなければならない』
登山を始める具体的なきっかけには当初好きだった女性が、登山部だったから~と後に答えていた栗城さんですがこの時の母親との死に別れも結局は彼の死生観を彩っていた気がしてなりません。
多くの登山家が彼お登山スタイルに無謀と言った、無酸素での登山やその選ぶルートは彼の登山キャリアから、考えたらとても無謀だったと言われていました。
でもだからこそチャレンジだと捉えるか。
無謀の一言で捉えるか・・・
結局彼は引くに引けないチャレンジを日本や世界で発信し、最後までそこを追求してしまった。
『命には限りがある~』とばかりに生き急いでしまったのでは~と思えて仕方ありません。
栗城史多の結婚した妻は?
35才だった栗城さんは生年月日からも分かる通り、後半月も待てば通常通り36才になる予定でした。
でも36才を迎える事なくこの世から去ってしまった。
そんな生き急いだ彼に当然妻がいるのかと思いきや彼は独身だったようです。
山に取りつかれた男だったのでしょうか・・・・
伝説となった登山家は世界にも日本にも見えますが志半ばでの早すぎる死にご冥福を祈るばかりです。
栗城さんのお父様が栗城史多さんが帰らぬ人となったことから、今回声明を出されています。
”自分の好きなエベレストで消えた。ありがとうございます。みさなんに助けてもらってバカ野郎とは言えない。良く今まで頑張ったと思います。”
栗城史多さんは12年の4度目のエベレストチャレンジの時、凍傷となって手の指9本を無くしています。
この時でさえ息子の史多さんに『おめでとう』と言ったそうです。
おめでとうの意味は当然、指は無くしても生きて帰ってこれた事にです。
素晴らしい父親と母親の短命だったことが彼の、人生観を山へと後押ししたのかもしれませんね。
おわりに
若すぎる死と一人の登山家の死去に日本が震撼しましたが、本当に考えたら人生は短い。太く短く生きた栗城史多さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
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○志