伝説

尾畠春夫の生い立ち~プロフィールや嫁との出会いに名言も神レベル

尾畠春夫アイキャッチ 伝説

今月のお盆のさなかに起きた大失踪事件として
世間でも大きく報道された山口県周防大島町で
里帰り中の2歳児の理稀(よしき)ちゃん捜索で
発見して今やプロフェッショナルなボランティア
として世に知られる存在となった尾畠春夫さん(78歳)

丸3日間に及ぶ捜索の中九州の大分から個人で駆けつけて
捜索20分で理稀君を発見した尾畠春夫さんの経歴や
プロフィールが話題となっています。

改めて尾畠春夫さんの生い立ちから現在までの人生観に
今に始まってなかった尾畠さんの経歴や名言に嫁との
出会いも追ってみようと思います。

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尾畠春夫さんプロフィール

氏名   尾畠春夫(おばた はるお)78歳
生年月日 1939年
出身地  大分県速見群日出町
職業   ボランティア

尾畠春夫さん生い立ち~貧しい幼少期と父の無慈悲

1938年昭和13年生まれの戦前に大分県国東半島
で誕生した尾畠春夫さん。

時代背景は戦前戦後の廃墟や復興を目の当たりに
してきた時代の人物でもある。

日本の戦前戦後を知る残り少ない世代の尾畠さんは
7人兄妹の4人目として尾畠家に誕生する。

父親はちょうど時代の変換機で着物から洋服へ下駄
からゴム靴へと変わる時代に桐で下駄を作る下駄職人
として制作から販売をする職人だった。

ただ商売は時代の変換機もあり、家庭の金銭事情は
大くの家庭がそうなように尾畠家も明るい状態ではなく
子だくさんの子供7人を食べさせるのがやっとの状態だった
ようです。

そんな折母親が僅か41歳の若さでこの世を去る事に。

この母親の死が元々酒好きだった父親に拍車をかけ
自暴自棄になった事で尾畠さん当時小学5年生の時に
7人いる兄弟の中でたった一人、食い扶持を減らす為
に丁稚奉公に出されてしまうのです。

当時尾畠さん自身も7人もの兄弟がいる中で、何で
俺が?という気持ちで胸がいっぱいになったそうです。

そんな疑問を父親にぶつけたのでしょう。

父親の返答は
『お前は大飯食らいだから』とこの一言で尾畠少年の
家族を助ける為の奉公生活が始まったのです。

わずか小学5年生で並み居る兄弟を除いて尾畠春夫
さんが4男にも関わらず父の一声で奉公が決まり一人
実家を出る事になったのです。

その後はまともに学校に通う事もなく毎日草刈りやら
何やらをやらされて学校に通いたくても通えない状態
の暮らしが始まります。

どれほど当時は悔しくて仕方なかったか

でもいつしか腹をくくって
『やるだけやってやろうじゃないか』

そう気持ちを入れ替え奉公先のおやっさんと姉さんを
親だと思って何でも言う事を聞くようにして割り切り
なるようになるだろうと前向きに奉公に従事することを
決意したそうです。

あれ程当時は恨んだ父親を今では感謝しているほどだと
尾畠さんは語っています・・・

昭和30年に何とか中学を卒業してそのまま姉の進める
魚屋を目指す事になり姉の紹介で別府の魚屋で3年間修業を
します。

3年後には山口市下関でフグの勉強を、その後は兵庫県
神戸市で魚の切り方やお客とのコミュニケーションを学び

ようやく魚屋を目指し開業できるスキルが身に付いたのです。

でもまたしても重大な問題が浮上します。

今度は開業資金に必要なお金が全くなかったのです。

それならと東京へと出稼ぎに鳶職や土木業の仕事を
掛け持つ形で飛び込み営業して自ら開業資金の為に
働かせて欲しいと3年、どんな仕事でもやるから働かせて
欲しいと直談判したのです。

3年後このまま残って欲しいと親方に言われる程の
技量を身に付けるも尾畠さん曰く

『一度決めた事は必ず守る男』の尾畠さんの意思は
固くようやく故郷大分に戻ったのが43年。

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尾畠春夫さん嫁との出会いは一目惚れ

43年故郷である大分に何年ぶりかに帰郷して
同年の4月に嫁と結婚。

同年11月に念願だった自身の店『魚春』を開業。

この妻との出会いは最初に魚屋開店を目指した時
丁稚で修行に行った別府の小僧時代の魚屋の前の店
の貝専門店の娘さんだったそうです。

年は3年年下の奥様の事は出会った当時奥さんが中学
1年で春夫さんが高校1年の歳でしょう。

当時時代背景から混浴風呂があった時代に直ぐに
嫁を意識する存在になっていたことから風呂に
入るのが気恥ずかしくなった程

『いつかあの子と結婚したい』と思う相手で
要するに尾畠春夫さんの一目惚れだった
みたいですね。

そんな奥様との二人三脚での魚春営業は良い時も
悪い時も、特に悪い時は水銀問題が浮上した時期
全く魚が売れない時に奥様手作りの総菜でずいぶん
助けてもらったと話されています。

そんな奥様とは一男48歳と一女45歳を儲けられ
ましたが5年前に『買い物に行ってくる』の一言
を最後に未だ家に帰らないのだそうです・・・

帰る気はあるのでしょうか・・・

何だか落ちが悲しいですが、一本気で真面目
決めたら絶対の男尾畠春夫さんの不器用過ぎる
生き様に何か思う所があったのでしょうか・・・

ちょっと切ないですね。

尾畠春夫さんの名言

色々な名言がある尾畠さんですが心に残った名言を
少しご紹介します。

・人の命より重たいものはない。尊い命が助かって良かった。
・ボランティアは人を頼ったり物をもらっちゃいけない。「自己完結・自己責任・怪我しても自己責任」
・ボロボロの救助袋を使い込んでますね~と言われ『まだ38年しか使ってないから新しいですよ』

そしてラストに
『かけた情は水に流せ、受けた恩は石に刻め』

これ日本各地を毎月年金5万5千円で暮らして
しんどい時は朝だけにして昼夜を抜いて各地を
ボランティアしている尾畠春夫さんが言うから
ジーンってきてしまいました。

まだまだ日本人も捨てたもんじゃない。

こうした戦前生まれの人の名言を心にしかと
受け止めて何かしら自分にも今一度振り返る
必要があるのかも~と思う今日この頃ですね。

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おわりに

戦前戦後の混沌とした時代を実の父親に奉公という形で不本意にも出され家族の為に身を粉にして働きて来た尾畠春夫さん。その後の人生も彼の生き様を象徴するかのような清々しいほどの一本気さ。どうか尾畠春夫さんの奥様に早く帰宅してくれますように~と願うのは何よりの尾畠春夫さんにとっての望みではないかな~と思うのです。尾畠春夫さんに最後は寄り添ってあげて欲しいな~と思うのですが・・・いかがでしょうか・・・

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