パリで突然の事故で36歳という若さで
亡くなった悲劇のプリンセス、ダイアナ妃。
人々の心を温めた彼女の死に多くの人が
涙を流しその死因に今でも根強い暗殺説が
あるのは有名な話です。
現在も歴史に残るプリンセスとして人気の
彼女ですが、貴族としてのダイアナ妃の人生は
短くもまるで映画やドラマのような激しく
悲しいものでした。
チャールズとの破綻した結婚生活、彼女を
悩ませたカミラ夫人との関係などダイアナ妃の
生きた道を振り返ってみます。
ダイアナ妃の生い立ち~貴族の家系として
1961年7月1日、イギリスの名門貴族スペンサー
伯爵家の三女として生まれました。
父はオールトラップ子爵エドワード・ジョン・スペンサー
(後の第8代スペンサー伯爵)、母はその夫人である
フランセス(第4代ファーモイ男爵モーリス・バーク・ロッシュの娘)。
ダイアナ妃は、先祖と母の名前をとって
「ダイアナ・フランセス」と名付けられました。
姉にセーラ、ジェーン、弟にチャールズがいます。
スペンサー伯爵家は女王陛下のウィンザー王家よりも
遥かに古い家柄で、イギリスのほぼすべての貴族と
血縁関係を持つような名門貴族です。
そんないかにもな名門家ですから、ダイアナは
一般人とはかけ離れた女性かとも思われがちですが
ウェイトレスをしたり、家政婦、ベビーシッター
幼稚園のアシスタントとしても働いたこともある
一般人と何ら変わらない普通の女性でした。
ダイアナ妃は幼い頃、忙しい両親に代わって
ベビーシッターに育てられており、両親の愛情を
強く求めたといいます。
1969年に両親が離婚し、それまで自宅で家庭教師を
雇っていましたが翌年9歳で初めて学校へ通いはじめます。
寄宿学校で、成績はそこそこでしたが、スポーツの
才能に恵まれ、友達も多かったそうです。
様々な動物を好み、動物への愛情は一際大きく
優しい彼女はまわりにに愛されていました。
1975年に父がスペンサー伯爵位を継承したのに伴い
ダイアナら姉妹もレディー(姫、令嬢)の儀礼称号を
得ます。
その後、姉セーラの恋人で後のダイアナの夫である
チャールズ皇太子と出会います。
この時は恋愛に発展するような出来事が
あったわけではありませんでした。
その年の末に花嫁学校に入学したダイアナですが
子供の面倒を見る仕事をしたいという漠然とした
夢を持っており、ロンドンで独り暮らしをはじめます。
1978年には貴族の子女らしく料理学校に入学して
料理の勉強もします。
ダンサーになる夢も持っており、高身長な為諦めて
いましたが、講師を目指すべくダンス学校にも
通っていました。
1979年に王室のサンドリンガム邸のパーティーで
改めてチャールズ皇太子と再会して親しい関係になります。
1981年にチャールズ皇太子と結婚しました。
この時ダイアナはまだ20歳でした。
こうして、貴族の出とはいえ”普通の女の子”ダイアナは
ケンジントン宮殿へと移り住み、王族の暮らしを始める
ことになります。
ダイアナ妃とチャールズ皇太子の馴れ初め
出会いは、まだダイアナの姉セーラとチャールズ
皇太子が交際していた頃。
セーラの誘いを受けチャールズ皇太子がオルソープに
訪問した際、当時16歳のダイアナも休日で滞在しており
狩猟場で紹介されます。
狩猟場と言うのがなんともイギリスの上流階級特有
の社交場で二人は最初出会われているのですね。
この時チャールズ皇太子はダイアナに対し
「陽気で明るいティーンエイジャー」という
程度の感想を持っていました。
チャールズ皇太子は様々な女性と関係を持っており
その一人がチャールズ皇太子の後妻となるカミラでした。
チャールズ皇太子とカミラは1972年に出会っており
彼にとってカミラは母親のような存在でもあり
自然体でいられる相手でした。
1979年頃、皇太子妃最有力候補として注目されていた
皇太子の大叔父マウントバッテン卿の孫娘アマンダ嬢とも
絆が強まっていたとも言われています。
同じ年、王室のサンドリンガム邸でのパーティーに
スペンサー伯爵家の令嬢たちが招かれ、ダイアナと
チャールズ皇太子は再会します。
この時の再会で皇太子はダイアナが美しく
育っていることを知り、ダンスを踊ったそうです。
それ以上発展することはありませんでしたが、以降
ダイアナは、皇太子から頻繁に招待を受けるようになり
親しい友人になっていきます。
1980年7月、カントリーハウスでバーベキューを
していた際、マウントバッテン卿の死を悲しんでいた
チャールズ皇太子に、
「貴方の寂しさは理解できるし、貴方には誰かが必要だ」
と慰めたことに皇太子は心打たれたといいます。
同年8月にワイト島でヨットレース「カウズ・ウィーク」
が開催された際、王室船「ブリタニア号」でダイアナと
チャールズ皇太子は初めてキスをしたそうです。
一方で家族から大きなプレッシャーを受け
チャールズ皇太子は結婚を急かされ「決断を急ぐように」
と手紙が送られるほどでした。
たった12回、13回としか会っていないまま、1981年に
婚約し7月29日にセント・ポール大聖堂で結婚式を行いました。
ダイアナ妃とカミラ夫人の関係と闇
チャールズ皇太子は結婚後もカミラへの
思いを断ち切れず、ウィリアム王子と
ヘンリー王子が生まれたものの夫婦仲は
良くありませんでした。
元々自由に生きてきた普通の女の子でしかなかった
ダイアナ妃は、慣れない王家の生活から摂食障害など
心の病に苦しめられます。
チャールズ皇太子はそれを助けることもなく冷たく
あしらい、カミラとの関係が再燃し逢瀬を重ねるように。
カミラも既に別の男性と結婚していましたが
チャールズ皇太子との関係は深くなるばかりで
ダイアナ妃もその関係を知るようになりました。
「カミラ、私があなたとチャールズの間のことをすべて知っているということだけは知っておいて欲しいの」
ダイアナ妃はカミラに忠告しますが
これに対しカミラは、
「あなたは欲しかったものをすべて手に入れたわ。世界中の男性があなたに恋しているし、2人の素晴らしい子どもたちもいる。これ以上何がお望みなの?」
と答え、ダイアナ妃はただ一言「私の夫です」
と続けました。
1992年、ついにダイアナ妃と皇太子は
別居するようになり、皇太子とカミラの
仲睦まじく愛をささやきあう電話のテープが
スクープされ、一般にも知られるように。
1995年にはダイアナ妃自らインタビューに出演し
チャールズ皇太子との「結婚生活に3人がいた」
としてカミラの事を語っており、自らも、元将校で
過去にダイアナ妃に乗馬を教えたことのあるジェームズ
ヒューイットと不倫していた事を認めます。
1996年にはついに離婚が成立します。
2005年に、チャールズ皇太子とカミラは
正式に結婚しました。
歳をとってからの結婚ですが、ふたりはとても
幸せそうでダイアナ妃に同情する声も多かったです。
チャールズ皇太子は、ダイアナ妃と結婚する前夜に
涙を流したそうで、ダイアナの悲恋を物語って
いるようにも思えます。
ダイアナ妃の事故死は暗殺の真相
離婚後、王室の公務がなくなったダイアナは
これまで以上に国際的慈悲活動に積極的に
取り込みます。
自身のドレスをオークションにかけ、その売上を
エイズや癌患者に寄付する等していました。
ダイアナ妃の弱い立場にいる人達への愛情あふれる
姿は、国民から慕われ、愛されていました。
しかし一方では男性との二股交際等がスクープ
される等、ダイアナはマスコミに追われ続け
騒がれていました。
1997年8月31日、彼女と新しい恋人ドディの
乗っていた車が、追ってくるマスコミをまこうとして
100キロに近いスピードを出し運転し、交通事故に遭います。
この不幸な事故で、たった36歳という若さで
ダイアナは亡くなってしまいました。
事故として扱われていますが、暗殺の可能性も
あるといわれています。
この事故の写真が全て没収され、更に実際の
目撃者もいないのです。
車を追いかけていたとされるカメラマンは
存在していますが、3年後に焼死体で発見されます。
こめかみには銃弾の跡があったという証言から更なる
謎を呼びます。
このカメラマンが撮ったであろう事故時の決定的な
写真は一切報道されていません。
また、運転手も事故の際に死亡しているのですが
「飲酒運転」が発覚しています。
そのアルコールの血中濃度はワイングラス8杯分
くらいで、まっすぐ歩けない、目の焦点が合わない
といった影響が出てきます。
そんな中で、ダイアナ妃のような有名人を
乗せて運転するでしょうか?
運転手はイスラム教徒で、お酒に関することは
非常に厳しいのです。
さらにダイアナ妃だけ、シートベルトを
していませんでした。
いつも絶対にシートベルトをする彼女が
この日だけしていなかったのです。
こういった事からも暗殺ではないかと
する声が大きくなっています。
2003年にはデイリー・ミラー紙にダイアナ直筆の
手紙が掲載され、話題を呼んでいます。
“私は今 人生最大の危機に直面しています。私の車に細工して、夫が事故を起こさせようとしているのです。”
チャールズ皇太子の犯行を匂わせる
その一文に人々は注目しました。
ドディとの結婚を機にダイアナ妃がイスラム教に
改宗する恐れがあり、イギリス王室はキリスト教を
ルーツとしたイングランド国教会に属しているので
それが都合が悪くダイアナ妃を暗殺したという
噂になりました。
結局事故死という結果に落ち着いていますが
本当のところは今もわかっていません。
今となってはイギリス王朝の闇として語り継がれる
存在となっているだけに元祖光の象徴のような
プリンセスの悲劇の半生はこうして幕を閉じたのです。
おわりに
人々に愛を与え、国民から愛されたダイアナ妃。36年の短い生涯でしたが未だに全世界から人気が高く、永遠のプリンセスとして人々の心に刻まれています。死後20年過ぎた今でも、彼女の庶民的な一面と愛のあふれる生き方は国にも人にも多くの影響を与えています。
もしまだ生きていたら一体どんな人生を送り、どんな世界を目指したのでしょうか?
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