古代エジプトの女王として君臨し
世界三大美女の一人として数えられている
クレオパトラ。
クレオパトラはどうやって歴史上に名を残す
人物となったのでしょうか。
謎めいたその生涯に隠された秘密について
ひとつずつ紐解いていきたいと思います。
クレオパトラの生い立ち~
絶世の美女として知られているクレオパトラですが
正しくはクレオパトラ7世といいます。
「クレオパトラ」という名の意味は、ギリシャ語で
「父親の栄光」だそうです。
クレオパトラの父親は、古代エジプト王であった
プトレマイオス12世で、頭の良い子供だった
クレオパトラは父のお気に入りでした。
勉強が好きで、語学にも堪能であり、一説には
7カ国語を話すことができたと言われています。
話術にも長けており、小鳥の鳴くような美声の
持ち主で、周囲の人々を魅了する女性へと成長
しました。
父親が亡くなると、18歳だったクレオパトラは
弟プトレマイオス13世と共に、ファラオと呼ばれる
王座に就きました。
このとき当時の慣習で弟と兄弟婚を行っています。
当時の世襲政治からクレオパトラの実姉のベレニケ4世
と父プレトマイオス12世は王座を巡って争い父親が勝利
して、後に姉べレニケ4世は処刑されるという骨肉の争い
となっています。
そうした兄弟や親子間の権力闘争を避ける為と何より
国内強化や安定の為、実の兄弟間や親子間で婚姻関係を
結び国内統治を盤石のモノとする方法はこの時代良しと
された時代です。
そうした背景から、クレオパトラが当時年の離れた弟
と兄弟婚した事は、自然の成り行きでもありました。
小さい頃からファラオに憧れてきたクレオパトラの
夢が叶った瞬間でした。
ここから、エジプトのファラオとしての運命に
翻弄される人生が始まります。
クレオパトラのカサエルとの愛人関係
とは言え当時のクレオパトラと弟の年齢差は
実際の夫婦関係が営むにはあまりに、弟プトレマイオス
13世が幼過ぎました。
クレオパトラと共にファラオの座についた実弟
プトレマイオス13世は当時まだ10歳であり、政治を
行える年齢ではなく、側近に任せている状態でした。
当時力の強かったローマ帝国と同盟を図ろうとする
クレオパトラと、それに反対するプトレマイオス13世の
側近たちとで対立することとなってしまいました。
ローマ指導者のカエサルはこの両者の和解を図ろうと
二人を呼び寄せました。
当時のエジプトでの国内勢力を盤石にするにはローマ
の後ろ盾が一番重要と考えていたクレオパトラはそこで
妙案として自らの女性としての魅力を利用するのです。
当時の歴史を振り返っても、そのつもりはなかった
とは捉えにくいクレオパトラのした行為はまさに
強硬手段の色仕掛け。
しかし争いの最中だったため、道中暗殺の危険を感じた
クレオパトラは絨毯にくるまって身を隠し、貢ぎ物として
その絨毯をカエサルの部屋へと運ばせました。
絨毯をほどいたカエサルは、突然中から現れた
クレオパトラの勇気と美しさに感嘆し、たちまち
魅了され、愛人関係を結びます。
カエサルがクレオパトラ側についた噂はすぐに広まり
弟のプトレマイオス13世軍はカエサル軍に攻め入りますが
討伐されてしまいます。
カエサルの後ろ盾を得たクレオパトラは、下の弟で
あるプトレマイオス14世と形式上の兄弟婚を行い
自らのファラオの座を守りました。
クレオパトラの子供達
愛人関係とは言え、クレオパトラとカエサルの間には
子供がひとり生まれています。
カエサリオンと名付けられたその男の子は、クレオパトラと
共にカエサルの寵愛を受け、ローマで暮らしていました。
しかし紀元前44年、カエサルが暗殺されるとクレオパトラは
カエサリオンを連れてエジプトへと戻ります。
クレオパトラは共同王座についていた弟プトレマイオス14世を
毒殺し、実の息子であるカエサリオンを即位させました。
カエサルという後ろ盾を失い、ローマ帝国との同盟が
危うくなったクレオパトラは、次にローマで力を
つけていたアントニウスに目を付けます。
ちなみにクレオパトラは弟意外にも、権力闘争で自ら
の地位ファラオの地位を守るため妹も暗殺したと
言われています。
現在の兄弟や姉妹間とは全く異なる親族感覚を
持ちあわせていたこの時代、もしかしたら、やらなければ
こっちがやられてしまう~的なリアルな生き残りをかけて
兄弟姉妹も手掛けていたのかもしれません。
そして次なるターゲットとなったアントニウスを自らの
豪華な船に招待しお酒や食事でもてなし、魅了しました。
あっという間にクレオパトラの虜となったアントニウスは
妻がいたにもかかわらずクレオパトラと一緒にエジプトの
アレクサンドリアで暮らし始めます。
クレオパトラとアントニウスの間には、双子と男の子の
3人の子供が生まれました。
カエサルとの間に最初の子供カエサリオンが1人と
アントニウスとの間の3人の子供達を出産しているので
生涯に4人の子供に恵まれています。
クレオパトラの死の真相
アントニウスの妻は、故カエサルの後継者であった
オクタヴィアヌスの姉でした。
アントニウスとクレオパトラの関係を知った
オクタヴィアヌスは怒り狂い、二人に対して
宣戦布告します。
実質的にエジプト対ローマという大きな戦いへと
発展しました。
アクティウムの海戦として知られているこの戦いで
敗色濃厚なことを察したクレオパトラはいち早く
アレクサンドリアへと逃げ帰りました。
それを見たアントニウスも、味方を置き去りにして
クレオパトラの後を追いました。
アレクサンドリアに着いたアントニウスが耳にしたのは
クレオパトラが自殺したという報告でした。
実はこれは誤報だったのですが、絶望したアントニウスは
自ら命を絶ってしまいます。
最期は、駆け付けたクレオパトラの胸で
息を引き取りました。
その後オクタヴィアヌスに捕らえられたクレオパトラは
毒蛇に自らの体を噛ませて自殺したと伝えられています。
この自殺の方法は諸説あって今でもハッキリとした
方法が分からないと言われています。
エジプトのファラオとして最後まで強く生き抜いた
女王は、愛するアントニウスと共に葬られました。
おわりに
今や完全に時代を超えて伝説の美女と言われるクレオパトラは美しさだけでなく、頭の良い女性だったクレオパトラは、権力者を後ろ盾にすることで自らの国を強くしようとしました。そして意外にもっ使えるモノは何でもの女性としての色仕掛けも常套句としていた彼女の生き様は時に兄弟さえも邪魔者となれば暗殺するという冷血さも持ち合わせており、想像以上に女性としての愛情と、そして権力も諦めない力強さも持ち合わせた女性だったことが分かります。
ただ、経過はどうであれ、最後は自らの命を絶つなどの行為を決意するなど、その波乱に満ちた生き様は、最後までファラオとしての誇りに満ちたものだったと言えるでしょう。
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