津田梅子の生い立ち~岩倉使節団から留学し独身貫いた理由と性格に納得

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津田梅子アイキャッチ

朝ドラのヒロインとしてもドラマのヒロインと
して起用された事のある津田梅子。

彼女が5年後の新5千円札の顔に決定して話題と
なっていますね。

津田梅子と言えばカノ岩倉具視率いる岩倉使節団
から僅か6歳で日本人初のアメリカ留学をした帰国子女
であった事が有名ですが、それと同時に帰国後は当時の
日本教育の礎に尽力した人物としても有名な女性です。

教養も美貌もあった彼女があの時代に生きて生涯独身を
貫いた理由やそんな津田梅子の性格なども生い立ちと同時
に追ってみようと思います。

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津田梅子ってこんな人

2024年頃から5千円札の肖像も樋口一葉から
津田梅子に変わると報道がありましたね。

津田梅子といえば女子英学塾[現津田塾大学]
創始者であり女性教育が充実していなかった
当時の日本において先駆け的な役割を担ったと
評価されています。

彼女のことを一言で言い表すと日本の女性教育の
先駆者として活躍した人物です。

津田が生きた明治から昭和という時代は今ほど
女性の立場が尊重されてはいませんでした。

それは男性が社会の中心を担い女性は家庭を
支えることが当たり前とされていたからです。

彼女が日本の女性教育の環境を良くしたいと
考えたきっかけは、岩倉使節団の随行員として
アメリカ留学をしたことからです。

そこで英文学・自然科学・芸術・心理学等の
幅広い教育を受け、女性も自由に教育を受け
られる環境に馴染んでいきました。

長期留学が終わり明治15年[1882年]に帰国した際に
日本の教育環境を見た彼女は、男性と対等の教育を
受けられるアメリカとの差を見て驚きます。

何とか女性が活躍出来る社会にしようとその為に
貢献したいと思ったのが女性教育です。

女子英学院や明治女学院・女子高等師範学校の教師を
経験し、遂には女子英学塾[現津田塾大学を創始します。

当時の女学校は琴や舞など花嫁修業に関連する教科が
多くありましたが、津田はそれらとは全く異なる
進歩的な教育を行ったそうです。

津田梅子の生い立ち~岩倉使節団からの留学

明治元年に江戸の牛込南御徒町[現東京都新宿区南町]
で元幕臣の津田仙と妻津田初子の間で生まれます。

しばらくそこで生活した後、幕臣からホテル勤務に
移った父親と共に家族は向島に移住します。

そして明治3年彼女が5歳になった時に私学塾・三省堂に
通学します。

ここでは読書と習字を習った彼女はもっと幅広い
ことを学びたいと考えます。

明治4年[1871年]になるとアメリカへの長期留学に
応募することになります。

これには父親の勧めもあったそうですから、勉学の
出来が良く日本の学校に行かせとくには勿体ないと
父親が感じたのでしょうか。

そうしたことを経て岩倉具視を中心とした岩倉使節団の
随行員としてアメリカに留学します。

因みにこの時の留学生は津田梅子の他に4人いましたが
他は一番年下でも10歳で当時6歳だった彼女が一番
年少だったそうです。

留学先では英語の他ピアノ等も学び、他人に勧められた
わけではないがキリスト教に興味を示しフィラデルフィア
独立教会で洗礼を受けました。

アメリカで長い年月様々なことを学んだ津田は明治15年
[1882年]には帰国。

アメリカで得た知識を活かそうと考えるも当時は
帰国子女は社会で重宝されてはおらず途方に暮れます。

そうしたなか明治16年には親交のあった伊藤博文から
私塾・桃夭女塾[とうよう]の下田歌子を紹介されます。

伊藤博文から通訳や英語教師として雇われ桃夭女塾では
英語を教えていた津田。

その後は下田に日本語を学びつつ華族女学校で英語を
教えていました。

明治22年[1889年]には再びアメリカに留学し生物学を
専攻しただけでなく、教授法に関する研究もしていたと
言われています。

明治25年8月に帰国後は華族女学校と明治女学院で勤務し
明治31年5月には女子高等師範学校でも教鞭を取ることに
なります。

そして明治33年[1900年]に父親や友人のアリス・ベーコン
らの協力を得て女子英学塾を創始するに至ります。

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津田梅子の生涯独身だった理由

津田梅子は長い留学生活のなかでアメリカという
国の自由でオープンな教育や社会に触れてきました。

それに比べて女性が自立して好きなことを学べず
好きな職業を選びずらい日本は息苦しさを感じて
いたと思います。

明治18年に華族女学校の教師をしていた頃、何度も
縁談の誘いがあったのにも関わらず断った津田。

その理由として最初に渡米した際に生活の面倒を
見てくれたランマン夫妻の影響が挙げられます。

妻が夫と対等の関係でいられるアメリカに比べ女性の
地位が低く権利もあまりなかった日本に不満を感じて
いたのでしょう。

結婚することで身軽だった自分の動きが制限される
と感じたのかもしれません。

また自分は日本の女性教育の環境を変えることに
集中したい!

そんな思いがあったからこそ結婚という足枷をはめず
生涯独身を貫いた津田梅子は当時としては、かなり
破天荒で壮絶な人生を送っていたんだなと感じます。

津田梅子の性格が凄い

アメリカ留学が長かった津田の性格はアメリカ人
並みに明るいものでした。

また多少何かを言われても動じず豪快に笑い飛ばせる
性格の持ち主です。

彼女の性格は細々としたことが気になる風習が
ある日本では異端でした。

例えば玄関に上がる時はきちんと靴を脱ぐ日本に比べ
アメリカは土足のまま上がります。

こうした文化に僅か6歳で生活して触れてきた彼女に
とって靴を脱ぐというルールは面倒でしかありません。

それだけアメリカの生活スタイルに慣れていた
ということになります。

そして前述した通り大声で笑うことの多い人物としても
知られており、人前で笑うことのない日本女性には珍しい
性格だったのでしょう。

最初はなかなか受け入れられないものだったのかも
しれませんが、多くの日本女性の生活スタイルを
変えるきっかけになったのかもしれません。

やはり日本発の帰国子女として知られる彼女ですが
環境がその人となりを育てると言う事は多からず
関係あると言う事の生き証人になったのではないでしょうか。

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おわりに

日本の女性教育の礎を築いたとも言われる津田梅子。当時としては発展的な考え方を持った両親の後押しを得て、僅か6歳でアメリカと言う見知らぬ大陸に移住して生活に馴染み日本へ帰国してきた津田梅子にとって、日本はつまらない閉鎖的な国に感じ、当時の時代背景からは異例の女学校設立に生涯をかけて尽力してきたのでしょう。
そんな人物が5年後には新5千円札になって日本を象徴する存在になると思うと、ちょっとワクワクしますね。世の中は広いんだと彼女のような先駆者があってこその現在の日本があるのだなと同じ同性として誇りに思える女性だと思います。


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