今やまさに伝説の人となりうる皇后としての
勤めを見事全うした美智子様。
若い頃に皇太子だった元今生天皇に見初められ
ご実家の反対を押し切って結婚を決意された
美智子様。
ご成婚後は想像を絶する皇族と華族からのバッシング
とイジメなどから失語症まで発症した事も有名な事実です。
でもそれらを乗り越えてきた美智子様の性格はきついの
でしょうか?
華麗なる資産家である実家を持ちながら民間から皇族へ
嫁いできたと壮絶なイジメを乗り越えてきた美智子様の
本当の性格と今や伝説となったこれまでの半生を同時に
追ってみようと思います。
美智子様の伝説市民から初の皇族へ
ようやく戦後の日本の高度経済成長期から戦争
の無い昭和と平成の時代を支えてきた天皇と皇后
としての職務から解き放たれた美智子様。
その半生は、当時では考えられなかった民間から
皇族へ嫁ぐと言う快挙を成し遂げられた伝説の
始まりでもありました。
華麗なる一族と言われても等しい程の資産家である
ご実家正田家を持ってしても、皇族へのご成婚は
まさに奇跡的な伝説の幕開けだったのです。
美智子様と明仁様が婚約した当時の皇室には、それは
もう古いしきたりで埋め尽くされていました。
ですので
「皇室しかも将来天皇となるべき人物の妻にはそれに相応しい出身の者がなるべきだ」
という考えの人も少なくなかったようです。
そんな戦場とも言える場所に、日清製粉創業者
一族とはいえ、華族でも皇族でもない一般市民の
美智子様が嫁がれたのですから相当な苦労が
あったことが伺えます。
しかし皇室に入ることで嫌な思いをしても反対する
家族を押し切ってでも明仁様と一緒になりたいと
美智子様自信が最後は、強く思ったのでしょう。
実際お妃候補として他に有力な女性の名前も数々
挙がりました。
それでも皇族になれたのはあのテニスコートの
出会いを経て、明仁様が美智子様の清楚で華麗な
姿と優しいながら誰にでもはっきりと自分の意見を
言える性格に目を止めたからではないでしょうか!?
もし美智子様でない他の誰かが選ばれていたら
その時の伝説はなかったし皇后としての彼女も
見ることも出来なかったわけです!
事実、当時の妃選びで、数ある妃候補の中でも頑な
にクビを縦に振らず、美智子様を最後まで妃として推した
のは他でもない当時の皇太子だったと言われています。
一目惚れも納得の美貌です・・・
つまりは、あのテニスコートでの出会い(2度)が
皇太子にとっては、美智子様を見初めて一目惚れ
した唯一無二の出会いだったのではないでしょうか。
最後まで周囲の反対を他所に、当時の皇太子は
美智子様とのご結婚を強く望まれ、それゆえ最後は
美智子様をご本人が連日の電話で口説かれて最後は
美智子様もご決意されたと言われています。
相当にして皇太子に惚れられて美智子様は、皇族に
嫁がれて見えたのです。
その背景を聞いても確かに今も上品で素敵な美智子様
ですが当時の若い頃のお写真を見ると、流石に皇太子の
ハートを射止めただけの事はある、それは華憐な姿で
美しさに誰もが目を止めるのではないでしょうかあ。
美智子様の皇族への壁と壮絶華族からのイジメ
美智子様と明仁様のお二人がどんなに愛し合って
いようとも、乗り越えるのが困難なほどの壁が
ありました。
それは家族からの反対と皇族に近い華族の中にも
反対者がいたからです。
家族は何故反対したのか詳細は分かりませんが
天皇家という未知の領域に初の一般市民である
美智子様が単身乗り込もうとしたからだと思います。
家族のほとんどが最後まで反対したそうですから
本人は勿論ご両親やご兄妹も相当な心配をされた
のでしょう。
真ん中に美智子様両脇にご両親、後ろにご姉弟です・・・
みなさん正田家は完全に美形ですね・・・
それもそのはず、一般市民とは名ばかりで、美智子
さまの実家は地元である群馬県館林市含む関東や関西
でも知らぬ人が居ないレベルの江戸時代から続く資産家
であり富豪と言われても何ら不思議でないレベルの家柄です。
皇室とは言え、そうまで大事なご子息である長女美智子
様のご成婚に反対する存在があるのであれば、考えられる
だろう苦労を考慮しても、何故わざわざ苦労の道を選ぶ
必要があるのか?と正田家の両親含め身内が思うのも納得
のご実家です。
それでも、美智子様だけでなく明仁様も彼女と
一緒になりらだ!!
と熱心に訴えていたようでようやく家族への説得は
終わります。
ところが華族からの反対もあり当時は皇室に古くから
ある習わし
[皇太子の妃は皇族かそれに近い特定の華族から選ばれる]
というものがありました。
その為、特に華族を中心としたご成婚に対する
反対運動が起こります。
この運動には香淳皇后を始め華族出身の松平信子や
大正天皇の従妹である柳原白蓮など有力な人物が
複数関わっていました。
美智子様がこれらの反対勢力を抑えてご成婚に
至ったのは、昭和天皇や明仁様の協力だけでなく
秩父宮妃勢津子などの有力者が考えを改め味方に
なったからでもあります。
しかし松平信子を中心とする一部の勢力は、美智子様が
皇族になられることを結婚後も反対し続けていたようです。
その為、美智子様への、いじめが酷く本人への
誹謗中傷のみならず、彼女が使う靴や帽子にわざと
画鋲などの鋭利なものを仕込ませていたといいます。
更には美智子様の生家である正田家も同じで藁人形や
剃刀を送ってくる悪質な行為を行われる目に何度も
あったそうです。
では何故周りの人々は松平信子の行為を止めることが
出来なかったのか!?
それは彼女が当時の皇后を凌ぐほどの権勢を誇って
いたからだと言われ、宮内関係者の中にも彼女の息が
かかった複数人の人物がいました。
美智子様はこうした辛い環境に耐え皇太子妃そして
皇后としての役割を全うしたわけですね!
美智子様の性格はきつい?の真相
若いから上品でたおやかな美智子様の、妃と
なってからの苦労は想像を絶するご苦労があった
と伝えられています。
冒頭で説明したように、相応な家族からの反対を
押切最終的には美智子様自身が、ご結婚を決意して
見事妃へと成婚されましたがその後の華族はじめ
皇族からのイジメは壮絶だったと言います。
でも、それらのイジメや半端ないバッシングを
紛いない生粋のお嬢様であった美智子様は耐え
抜きました。
耐え抜いたどころか、皇室に新しい風を吹き入れた
と言ってもいいほどに革命的な文化や習慣を塗り替えて
きた事でも知られる人物です。
性格がきついと言われているのは自分の意見には
素直になれるからなのでしょうか?
明仁様とご成婚されるまでも周りに振り回されず
自分の人生や行動はある程度思うようにやりたいと
いう意思が感じられます。
その性格はご成婚後も変わらず例えば美智子様が
まだ若かりし頃の伊勢神宮参拝の時、皇室の仕来たりに
沿わないようなふわりと膨らんだスカートを着用して
いたんだそうです。
当時の女官長はこれはいけないと思い治しましたが
美智子様はまた元の形に直してしまいます。
これには堪忍袋の緒が切れた女官長は美智子様と
言い争いにあります。
ですがあまりに意思の固いことが分かると女官長の
ほうが折れたそうです。
また美智子様は「皇族は肌を見せてはならない」という
習わしにどうしても従えませんでした。
恐らく皇族だからといってしきたりばかりに
縛られるのは嫌!
と思ったのでしょうか?
皇族にしては肌の露出が多いドレスを着用していた
ことは今でも伝説として残っています。
きっとある程度、我慢しなくてはいけないことは
あっても、自分がどうしても譲れないことははっきりと
言える人だったんですね。
美智子様の皇后として
皇后としての職務を退かれたことで、今後はそのお姿を
ほとんど見ることが出来ないであろう美智子様。
お年を召されたとはいえ最後まで慈愛に溢れる眼差しと
気品に満ちたお姿は人々を魅力し続けました。
明仁様とテニスコートの出会いを切っ掛けに自由恋愛を
育み、希代の資産家令嬢でありながら、皇族や華族らに
一般市民や民間の女とののしられた美智子様。
そんな多大なるバッシングを乗り越えて、皇后に上り詰め
美智子様は数々の伝説を残しています。
今回は皇后となられてからの彼女に焦点を当てて
いきたいと思います。
美智子様といえばその時々のシーンにピッタリな
エレガントな服を着こなすことで有名です。
1990年の即位の礼ではティアラと清楚な感じの白い
ドレスをお召しになり、日本中がお祝いムードになる
なかその衣装にも注目が集まりました。
何処に訪問するにもとんな状況でも完璧な服装に
なるのは流石ですね!
また誰に対しても分け隔てなく接し慈愛溢れる笑顔を
振り撒いていたお姿は、今も多くの国民の記憶に残って
いるはずです。
例えば震災で被害に遭った方々がいる避難所に足を
運んだ時、一人一人の目をみながら話を最後まで
しっかりと聞き励まされていました。
そして各地へ向かう移動中に少しでも手を振る人がいれば
自ら窓を開けにこやかに手を振られていました。
何より明仁様が公務の際に困ることのないよう常に
側に控え支えてきたこともあり、精一杯皇后としての
お役目を果たされたんだなと感じます。
おわりに
皇后美智子様について如何だったでしょうか!?華麗なる一族に生まれながらも唯一無二の出会いであった元今生天皇とのご結婚を決意され、それまで味わった事が無いだろうバッシングと苦労の中、今生天皇を生涯にわたり支え続けてきた美智子様。皇后としても一人の女性としても、とても見習いたい、しなやな強さと慈愛ある優しさをを持った元皇后の今後を安らかに過ごして欲しいと願うばかりですね。この記事を読んで類まれな選ばれし人として一生を全うした美智子様の生涯を通して良い部分に触れてほしいと思っています!
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