紅林麻雄の家族や息子に子孫は?不審死も当然な拷問王の冤罪の数々

この記事は2分で読めます

紅林麻雄アイキャッチ

今となっては世間でも知られる悪評高い伝説の刑事として、その名を知られる紅林麻雄(くればやしあさお)元警察官。

彼が作り出したとさられる冤罪の数々は、卑劣極まり無い方法で、数々の死刑判決から無期懲役と言う結果を導きだしています。

その男の行った愚業のせいで、どれほどの無罪の人間が苦しみ亡くなっていったか。

今も存在する司法の闇の頂点とも言える紅林麻雄の、息子や家族や子孫は今も途絶えてないのか?

拷問王と呼ばれた彼の辞職後すぐの死は天罰なのか、不審死とも言われる紅林麻雄警部の時、に静岡県警のエースと呼ばれた男の冤罪の数々を追って見ようと思います。

Sponsored Link

紅林麻雄の拷問王の鬼畜の仕業

紅林麻雄(くればやしあさお)は、一時は日本警察にこの人あり、と言われた英雄であり後に前代未聞の静岡県警初の冤罪請負人として数々の事件をデッチ上げ、違法行為を行っていた刑事としても知られた人物です。

紅林麻雄は、相手が誰であろうと自白をさせる取り調べ、僅かな証拠から事件を解決に導く推理能力にも長けていました。

その静岡県警での影響力は非常に高かく、当時の連続殺人事件を次々解決し名刑事として数々の表彰も受けている人物です。

ただ紅林麻雄の事件の解決方法は、どの大半が無実の容疑者を犯人として、でっち上げ強引な拷問によって自白を捏造させるという冤罪士という裏の顔を持っていました。

そうして次々と難解な事件を強引に解決させたように、見せかけ名物刑事として静岡県警で成らした紅林麻雄でしたが当然、メッキは剥がれます。

紅林麻雄が実際手を下して取り調べした事件です。

・幸浦事件
・浜松連続殺人事件
・二俣事件
・小島事件
・島田事件

凶悪で難解な事件の解決に大きく、貢献したかのように振る舞います。

これらの事件の内3事件に一審二審後の有罪判決後に無罪が、その後も島田事件での死刑判決後の最判で無罪が確定しています。

しかし実際の彼はアリバイの捏造や、ありもしないものを真実にするなど数々の違法行為を行っています。

拷問・供述書の捏造・真犯人からのワイロと、とにかく噂に出る事は真っ黒過ぎる紅林麻雄警部は、当時静岡県警のエース警部だったそうです。

そのなかでも特に残酷だったのは自白を強要した執拗な拷問行為です。

例えそれが事件と何の関係もない一般人であっても、拷問王と呼ばれる紅林の手に掛かれば、否定しようと抵抗しても無理やり犯人に仕立てて事件を解決させたといわれています。

良心の欠片も無かった紅林の拷問は、凄まじく「無実を訴えようとする度に」激しい拷問を繰り返されたそうです。

例えば小島事件で逮捕された被告は自白を引き出す為に

「顔を平手と握り拳で20~30回位、足を前後より15回位殴る蹴るを繰り返し、更には正座中も膝の上で2~3分ずつ力一杯踏みつけた」

と言います。

この時、取り調べ室には紅林の他に彼の部下も数人いましたが、止めるどころか違法行為に加担。

こうした静岡県警きってのエース警部だった紅林麻雄の元、事件をでっち上げ捏造し自白へと導く事を、紅林麻雄にみっちり仕込まれていた部下らが紅林から受けていた影響力は計り知れません。

後に、紅林麻雄の化けの皮が剥がれて数々の容疑者として、逮捕されいた冒頭の殺人事件が紅林麻雄主導の捏造による冤罪だと次々と発覚。

静岡県警で行われていた紅林麻雄主導の捏造による、冤罪作りに加担していた仲間らが起こした最も過酷な冤罪事件として今だに最高裁で争われているのが袴田事件です。

味噌製造会社専務一家殺害放火事件「通称 袴田事件」

1966年昭和41年6月30日に起きたこの袴田事件の、取り調べを行ったのが既に数々の冤罪が明らかとなり、警察署から引退していた紅林麻雄の育てた部下らだったと言われています。

紅林麻雄の手足となり拷問や愚問、執拗な取り調べや容疑者名目とした数々の法に触れる、異常な取り調べ方法を身に付けていた部下らが袴田事件を捏造したといわれています。

袴田事件の被疑者に至っては炎天下にも関わらず、1日平均12時間も過去な取り調べを行いました。

泥酔の常習者が監禁されている部屋の隣に収容し、大声を上げさせ一切眠れないようにしたこともあります。

最終的には深夜早朝問わず複数人で警棒で、殴る蹴るの暴行を与えトイレさえ取り調べ室に便器を持ち込み、調査員の前で垂れ流しにさせます。

およそ違法レベルと言っても過言では無い屈辱の限りを尽くし、容疑者袴田巌氏の精神状態を崩落させ強引にも自白に導いています。

こんなに執拗な拷問をしていたら例え無実でも「私がやりました」となってもおかしくありません。

事実、この取り調べで強引な「自白」で犯人決定とされた袴田巌氏は、その後一貫して無実を訴え実に48年ぶりの2014年冤罪として釈放されています。

Sponsored Link

紅林麻雄の冤罪の数々

名刑事とまで言われた紅林は島田事件や、小島事件などの数々の事件で、無実の者に執拗な拷問をし無理やり、ありもしない証拠を作り上げたことは今日までの警察で負の遺産となっています。

彼が関わった事件のなかでも紅林麻雄亡き後に起きた、昭和を代表する冤罪事件は袴田事件で事件当時、紅林麻雄は冤罪の数々が明らかとなり
左官に次ぐ二階級降任となり最終的には周囲の罵詈雑言に耐え切れず1963年に警察署を引退

幸浦事件の冤罪確定の報道を知り警察を引退した、紅林麻雄でしたが7月に引退して9月に脳出血により死去しています。

被疑者として逮捕されたのは袴田巌さんは元プロボクサーをやっていました。

逮捕した主な理由は過去にプロボクサーの経歴があるから、と言う信じがたい理由で、袴田巌さんを犯人として仕立てあげた紅林仕込みの静岡警察署の一員らは紅林麻雄亡き後も悪しき習慣が身に付いていたようです。

実際、状況証拠となる物はありましたが、どれも信憑性を欠くもので、袴田さんが犯人だと確信するに至る、証拠ではありませんでした。

また1948年11月29日に起こった飴製造業一家殺人事件の犯人とされた少年にはアリバイがありました。

しかし紅林は自らの功績を作るためありもしない真実をでっち上げます。

当時紅林の部下だった山崎兵八元巡査は、死刑判決を急ぐ為に警察署の土蔵で拷問するよう、指示されたと語っています。

このように紅林は捜査責任者だったのをいいことに、その立場を悪用し後に無罪が確定。

若しくは無罪の可能性があった人物があたかも罪を犯したように捏造していました。

その数は驚異的な数で

1948年11月29日  幸浦事件(死刑判決後・無罪)
1950年1月6日   二俣事件(死刑判決後・無罪)
「同僚警察官の告発で冤罪が明らかとなる」
1950年5月10日   小島事件(無期懲役判決後・無罪)
1954年3月10日   島田事件(死刑判決の後・無罪)
これに、まだ無罪確定されていない、
1966年6月30日   袴田事件(死刑確定後・裁判の再審判決・最高裁に特別抗告中)

までが、紅林麻雄の行ってきた自白によってつくられた冤罪でした。

天罰
ちなみに、今だ特別抗告中の袴田事件では、一審静岡地裁で死刑判決に関わった裁判官が、実名公開の上良心の呵責から裁判官を願退職し、事件の冤罪を訴えています。

あまりに非道な紅林麻雄の残した負の遺跡として、同じく執拗な拷問や愚問に法に反する取り調べで、袴田巌さんを犯人に下手挙げた紅林麻雄の育てた部下ら総勢10名。

袴田事件の異常性を訴えた山崎刑事は、何と自宅が不審火に合い、しかも精神異常者として告発され、その後警察から追放までされているといいます。

もはや、ここまで来たらヤリタイ放題の静岡県警。

紅林麻雄が与えた負の連鎖は紅林麻雄が引退後も引き継がれていたという事が分かります。

しかも同僚からの告発があったにも関わらず、それらを問題とせず起訴した検察官もいたのです。

恐ろしい司法の闇を感じざる得ません・・・

これらの冤罪の数々が紅林麻雄が作った冤罪王国として、いかに壮絶な拷問の数々から、やっても無い殺害をやったと、自白に至らしめる行為が日常化していたのかが分かるのかもしれません。

影響力が大きすぎます。

結果的に冤罪の数々が明らかとなり失意の中、警察署を追われた紅林麻雄でしたが、それらの負の連鎖を止めようとする人物は、紅林亡き後3年
経過していたも何ら変わりがなかった事が分かります。

紅林麻雄の別名は「拷問王」だったそうです。

Sponsored Link

紅林麻雄の家族や息子に子孫は?

これ程の鬼畜の仕業によって、自らが警察と言う組織の中で出世街道を、駆け上がってきた卑劣な男紅林麻雄の家族や息子など子孫も気になります。

紅林については数々の事件で無実の罪の人に冤罪を着せた人物として、その違法行為の今も語り継がれています。

ある意味伝説の冤罪王状態の悪名高い紅林麻雄ですが、その子孫も気になる所ですね。

そこで調べてみましたが少しの情報も見つかりませんでした。

そもそも彼が結婚していたのかも分からないので何とも言えませんが、55歳まで生きた人物で警察官だったことを、考えると結婚していたと考えてもおかしくありません。

また一時は優秀な警察官と見なされ御殿場署次席警部まで出世ますが、捜査を担当した事件の犯人と見られる人物達が、無罪となってからは状況が一変。

警察内外から厳しい非難を浴び家族や息子・子孫がいたとすれば彼らも拷問王の血縁者ということで、苦難があったのだと思います。

冤罪で捕まったり、紅林麻雄の強引過ぎる拷問によって、事情聴取中に死亡した青年の事を考えたら比較になりませんが・・・

それ程、紅林麻雄は非道な愚業の数々を行っています。

正直言って親族なら前を向いて、世間に顔向け出来ないレベルの悪行の数々です。

家族は関係ないと思いつつ、この経緯からいって、そして被害者や冤罪を受けた人たちにとってあまりに長すぎる年月と苦痛は取り戻せません。

紅林麻雄の不審死と最後 

過去に捏造した事件が次々とバレたことで、次席警部という地位も辣腕刑事としての名誉も全て失った紅林麻雄。

拷問王として無実の人々に行った非道な行為の数々が、明らかになった後は激しい批判をされ失意の中、自ら追われるように警察を引退しています。

ただ彼はこの時点でかなり精神的に疲弊していましたが、反省するどころか開き直りあくまで自分が正義だという立場を貫いていました。

そうしている間に次々と自分が担当した事件で、被疑者の無罪が確定していき、1963年7月には辛浦事件も無罪になりとうとう精神も限界を迎え依願退職します。

そして依願辞職からわずか1ヶ月半の同年9月に脳出血で死亡

今までの疲労が重なった上でのことだと、言われていますが当時の資料は少なく本当に脳出血だったのかは定かではありません。

紅林麻雄のやってきた、あまりにも非道な過去の愚業から、その死を天罰とまで言う人もいたそうです。

ただ思うに一切の罪を償う事なく法的に、処罰される事もなく、コロリと亡くなった事を考えると天罰とは言え、あまりにも軽い死に思えて仕方ありません。

袴田事件の真犯人橋本昌子(長女)の定説!自殺と市川正三ヤクザの噂

おわりに

現代でも警察官が強引な取り調べをすることもありますが、拷問王とまで言われた紅林ほどの違法行為はなかなかないでしょう。既に死亡した彼を法の下で裁くことが出来ないの何とも言えない気持ちになりますね。警察だからとは言え絶対はないと言う証拠として今も語られる伝説の拷問王紅林麻雄の行ってきた愚業を繰り返されては困ると心から願います。
そして未だ無実判決が正式に出されていない袴田巌さんの無実が一時でも早く証明され国が見合う賠償金を払い心安らかな余生を送れますように、と願うばかりです。


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. 大山倍達
  2. 尾畠春夫アイキャッチ
  3. 川添明子アイキャッチ
  4. 津田梅子アイキャッチ
  5. 辻井信行アイキャッチ
  6. 石田三成アイキャッチ
    • 匿名
    • 2021年 3月17日

    紅林麻雄は1963年に亡くなっているのにどうやったら1966年に起きた袴田事件に関与できるんですか
    もう少しちゃんとした記事書いてくださ〜い

      • yui1205
      • 2021年 3月28日

      コメントありがとうございます。
      遅くなりましたが貴重な情報と共に只今記事の修正を行いました。
      教えて頂きありがとうございます。
      今後は一層気を付けます。

    • 岡村昌俊
    • 2021年 3月22日

    文中に「紅林麻雄は1963年に定年退職し同年亡くなった」とあり、また、「1966年6月30日   袴田事件(死刑確定後・裁判の再審判決・最高裁に特別抗告中)」とあいますので、紅林麻雄は袴田事件には関与していません。
    彼の後輩が起こした冤罪と言われています。

      • yui1205
      • 2021年 3月28日

      コメントありがとうございます。
      貴重な情報をありがとうございます。
      私なりに調べて書いたつもりでしたが、ご指摘の通り紅林麻雄氏は袴田事件前の3年前に死去していました。
      ご指摘されるまで気が付かず状態でした、ただいま調べて修正しました。
      今後は一層気を付けて記事作成しようと思います。今後ともどうぞ宜しくお願いします。
      ありがとうございました。

    • ロベスピエール
    • 2021年 11月26日

    警察ってのは白バイが補導した暴走族から採用してんだから悪くて当たり前です

    • かたな
    • 2022年 5月5日

    馬事雑言ってなんだ?

      • yui1205
      • 2022年 5月6日

      ご指摘頂きありがとうございます。
      お恥ずかしいです。(罵詈雑言)訂正しておきました。
      今後とも宜しくお願いします。

    • 匿名
    • 2022年 10月30日

    散々鬼畜な拷問で冤罪を生み出して人の人生を滅茶苦茶にしておいて、自分は降格と罵詈雑言程度に耐えられず辞職だなんて甘過ぎる。