伝説のストリッパーとして浅草ロック座で生涯を
通して活躍し、早乙女太一を見初め谷町となり
今は亡き勝新太郎ら兄弟の谷町としても有名な
斎藤智恵子。
その肩には刀傷が残る、壮絶な過去を負いながらも
最後まで誰かの為にと生きぬいた斎藤智恵子の
女一代が素晴らしいです。
誰もが通れない道を堂々と歩いて他人の借金まで
支払ってきた伝説のストリッパー斎藤智恵子の
生涯を追ってみようと思います。
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斎藤智恵子の女一代伝説のストリッパーとして
斎藤智恵子「90歳没」はストリップ劇場で知られる
「浅草ロック座(東京台東区浅草)」を経営者として
長年盛り立ててきました。
それ以前は1960年からストリッパーとして活動し
東八千代「ひがしやちよ」の芸名で多くの観客を
魅了し伝説のストリッパーとも言われています。
1963年に経営者へ転向してからも日本全国更には
世界各国を興行しストリップを積極的に広げて
きました。
斎藤智恵子がストリッパーとしてデビューした当時は
既に30歳になっており、しかも二人の子持ちという
状況でした。
元々ストリッパーらの衣装のお針子として裏方稼業
で働いていた斎藤智恵子ですが、自分が裸になった方が
稼げるよ、の一声で一世一代の決心をして、既に夫と離婚
して母子家庭状態だった彼女は、ストリッパーとしての
デビューを決意します。
なので裸になることも、かなり抵抗があったそうなので
ストリップという世界に足を踏み入れるには物凄く度胸が
必要だったのだと思います。
現在のストリップとは違い当時は大胆な露出は禁止
されており、観客に乳房が少し見えるぐらいの控えめな
露出が基本でした。
それでも彼女にとってはとても恥ずかしいことだった為
なんとか恥ずかしさを目立たなくさせようと最初に舞台に
上がった際は、いつも日本酒をあおってから舞台に上がった
そうです。
ストリップで使用した衣装は着物でしたから、脱ぐ時に
運悪く帯を落として転倒してしまいます。
しかしその勢いのまま、かつらは取れるは両足は大きく
開脚して陰部は丸見えになるは大変なハプニングに
繋がります。
本人は思わずとんでもない大失敗を犯してしまったと
思うわけですが、大勢の観客が見ていたことで
「あの人は斬新なことをやる、面白い」という噂が
出回り東八千代の名はストリップ界で話題になりました。
その後は地方巡業を積極的にこなし、ストリッパー
としての地位を確実なものにしていきます。
1963年には経営者となりますが現在までの長きに渡り
伝説のストリッパーだった当時の活躍は様々な人に
語り継がれているようです。
あのビートたけしをもって斎藤智恵子ママと最後まで
慕い、斎藤智恵子の生涯を自らが指揮して映画化の
計画まで立てていた人物です。
たけしさんが言っていました、ストリッパーとしては
既に引退していた60歳当時、自分の経営する劇場で
踊り子が足りない、となると還暦過ぎの60歳でも、躊躇
せず現役さながら裸になって舞台に立ったという逸話も
残っている人物です。
破天荒に見える彼女の生涯は、そんな破天荒さとは
真逆な情に厚い人情の人でもあったのです。
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斎藤智恵子の刀傷の理由
斎藤智恵子の肩には、長きに渡るストリップの世界で
世渡りをする中でヤクザに斬りつけられた刀傷が
残っており、90歳で亡くなるまでその傷跡は残って
いたようです。
現在では刃物で斬りつけられるなんて相当な事件ですが
まだ暴力団排除の動きが活発でなかった当時は決して
可能性の低いことではありませんでした。
地方にはまだその土地のヤクザがのさばっており
実際に斎藤も新しい土地に劇場を開く際は出店料と
ショバ代を支払わせようと押し掛けてきたのだとか。
当然新しい土地で経営するとなれば客が入るかも
分かりません。
そんな時でもヤクザ相手にひるむ事無く女伊達らに
舐めれてはイケないとばかりに1歩も彼女は引かなかった
そうです。
彼女は最初に、そのことを丁寧に説明しますが
そこはヤクザ者そんなことで帰るはずもなく・・・。
あまりにしつこい時は自ら着物をたくし上げ陰部を
さらけ出した上で
「斬られる度胸はあんだ!やってみろ!」
と反撃したこともあると自叙伝で語っています。
特に前述した刀傷は彼女に一方的な恋愛感情を
持ったヤクザ者がしつこくアプローチした時に
出来た傷だそうです。
どんなに言い寄っても相手にしなかった彼女に
腹を立てたそのヤクザ者は、とうとう就寝中に
刀を持って襲い掛かります。
使っていた布団を盾代わりにしたことで命は
助かったものの、背中に一生消えないほどの
刀傷を負います。
こうした凄まじい経験が度胸に繋がったわけですね。
斎藤智恵子の勝新太郎の谷町ぶりに絶句
昭和の時代の大スターとして今も尚語り継がれる
勝新太郎といったら映画座頭市が有名です。
生前は、俳優としての才能も去る事ながらプライベート
での破天荒過ぎる武勇伝の多い事でも知られるこの方は
飲む打つ買うは当たり前で、オマケに大麻など薬物でも
逮捕されている人物です。
その上、映画1本取るのに製作費や予算などド返しの
大盤振る舞いだったことでも知られた人物です。
その製作費が予想以上に嵩み事務所の経営が危ぶまれて
いた時に、これまた俳優一家として有名な勝新太郎の実の
兄である若山富三郎の谷町をしていた事から兄の紹介で
当時からストリップ界の女傑として有名だった斎藤智恵子
と知り合いました。
兄弟揃ってですが、勝新太郎にも全く経済観念が
無いことを分かっていた斎藤は、それでも彼の人柄や
俳優としての技術・能力を見込み並々ならぬ支援を
していたと今だに語り継がれています。
当時の事を振り返って斎藤智恵子の実の息子さんは
元々から若山富三郎に多額の金を支援していた母親に
対し、その弟である勝新太郎への支援の話を聞いた時
支援する事をかなり止めたと言います。
それでも、人に頼られると嫌とは言えない性分だった
のか本当に姉御肌だったのか、斎藤智恵子は、
「あれだけの人が言うんだから、助けてあげないと」
そういって巨額の資金を惜しげもなく差し出したと
いいます。
一番有名な話を挙げれば勝プロダクションが倒産した際
自身が所有する複数の不動産を手放し約5億円もの負債を
勝の為に肩代わりしたことです。
いくら自分の見込んだ人物だからといってここまで
尽くすとは余程、勝新太郎のことが大切だったんですね。
更には事務所の運転資金や座頭市の製作費に至るまで
前述した5億円も含め総額20億円以上も融通していたと
いうから物凄くきっ風がいいことでも知られています。
そして最終的に貸したお金が返ってきたのかというと
約20億円のうち1~2億円しか返済されなかったそうです。
それでも元々勝にお金が無いことは分かっていたので
完済することを無理強いすることはありませんでした。
同じく名優の若山富三郎にも多額の資金を用立てたのだとか・・・。
いくら世話になっているからといって、ここまで
他人に尽くす人はなかなかいないのではないでしょうか。
斎藤智恵子が見出した早乙女太一とその不義理
つい先日長年連れ添った奥様との離婚で世間を騒然と
させた、平成の女形として有名になった早乙女太一「27歳」。
劇団員を経営する両親の元誕生した彼は9歳の頃に
劇団朱雀で子役をしていましたが、
当時の劇団朱雀は役者を支えられるほど万全な体制では
ありませんでした。
ここで支援を申し出たのが斎藤智恵子で劇団の
資金援助から着物の購入、その他にも様々な支援をし
息子同然に育ててきました。
早乙女自身も斎藤智恵子の優しさと確実なバックアップに
よって芸能界で平成の女形として注目を集める事になります。
そして、全ての面倒を受け入れるべく芸能プロダクション
斎藤エンターテイメントに移籍します。
そこで演技の才能が開花していき遂には斎藤と親しかった
ビートたけしに映画に出演してみないかとスカウトされ
名実ともにその名を世間に知られる事になったのです。
それなのに・・・です。
ところが、それほど義理や恩義があるはずの斎藤智恵子の
元を2010年2月になると一方的に劇団朱雀に移籍して
しまいます。
早乙女太一の、このあまりの不義理に当時の斎藤は怒り
「恩をあだで返された、怒りを禁じえない」と複雑な
心境だったことを語っています。
最終的には2010年4月に早乙女がいる明治座へ
乗り込みます。
早乙女太一は斎藤が自ら赴いたことに驚いたの
でしょうか、自分の今までの行いを謝罪しお礼を
したエピソードもあります。
後に当時のことを振り返った斎藤智恵子は突然の
移籍について、若気の至りだった・責任は周囲に
あると語っています。
sponichi.co.jp:引用
2017年4月28日胃がんの為享年90歳でこの世を去った
斎藤智恵子さんの葬儀には、ビートたけし初め、覚せい剤
で逮捕された小向みなこらも、元浅草ロック座のダンサー
とし斎藤智恵子ママの葬儀に駆け付けたそうです。
最後まで、たけしが映画にしたかったと言った激しくも
壮絶な半生を駆け抜けた斎藤智恵子ママの女傑と言われた
伝説の女の半生が、一つの時代と共に幕を閉じたのです。
勝新太郎やその兄若山富三郎らに莫大な金を貢いで
自らが最後まで責任もって5億や、それ以上と言われる
金を返済した斎藤智恵子。
そんな彼女の、言葉で生き様を象徴する言葉があったので
最後に紹介したいと思います。
皿を甞めた猫が科(とが)を負うのは世の常なのよ。
生前の彼女を知る人は言います。
本当に裸一貫で凄い人だった、と・・・
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おわりに
90歳で天国に旅立った斎藤ですが数々の伝説を残した生き様は、今の人達にも希望を与えてくれるものだと思います。本当に印象深いところが沢山あり、今後も多くの人達に語り継がれていくのではないでしょうか。
コメント
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