伝説

ゴッホの耳を切った衝動と理由はゴーギャン?切り取った耳の行方

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「ひまわり」の絵などで世界中に知られている
画家ゴッホ。

ですが、ゴッホの画家の活動は9年間という
短さで生前売れた絵は一枚といわれており
後世になって高い評価を得ています。

彼の数々の伝説の一つとして有名な
「耳切り事件」は自分の耳を切り取るという
驚愕の行動で謎に包まれています。

オランダ生まれのゴッホは絵を学ぶために
芸術の都パリの黄色い家に住み、同じく
印象派のゴーギャンとの共同生活を始めます。

強烈な個性の2人の関係は悪化していたようで、
耳切り事件との関連が噂されています。

ゴッホの耳を切った衝動と理由はゴーギャンの
噂、切り取った耳の行方についてお伝えします。

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ゴッホプロフィール

名前:フィンセント・ファン・ゴッホ
生年月日:1853年3月30日
死没年月日:1890年7月29日(37歳)
出身地:オランダ南部ズンデルト
後援者:テオドルス(弟)(33歳で病死)
運動・動向:ポスト印象派
代表作:「ジャガイモを食べる人々」「ひまわり」
「糸杉と星の見える道」「星月夜」「カラスのいる麦畑」

ゴッホの耳切り事件

名画ひまわりで知られるゴッホの逸話として
今も語られる耳切り事件は1883年12月23日
クリスマス前夜におきました。

自らの耳をナイフで切り取ったと言われる
ゴッホの耳切り事件は一体どんな流れで
耳を切るなどと言う行動に出たのでしょう。

ゴッホが耳を切り落とした理由は今だハッキリ
とはわかっておりません。

諸説言われているのは、彼がてんかん、または
統合失調症などの病気があり発作的に自身の
耳を切り落としたとする説が濃厚とも言われて
います。

絵を学ぶために来た芸術の都パリで印象派の
画家に出会い見地を深めたゴッホですが、パリの
華やかな喧噪が彼を精神的に疲弊させ酒やたばこに
依存するようになり、南仏のアルルで静養していた
時期のことでした。

ゴッホは切り落とした血まみれの左耳の耳を
新聞紙に耳を包み、南仏アルルのお気に入りの
娼婦にプレゼントしたというから驚きです。

その娼婦の名はラシェル、あるいはガブリエル
・ベルラティエ
と言われており、当時酒に酔った
ゴッホが耳を持って売春宿に向かったといわれて
います。

住んでいた黄色い家に帰ったゴッホは出血多量の
瀕死の状態でしたが、警察官によって発見され
一命をとりとめます。

ゴッホはアルルで「黄色い家」や「ひまわり」
「夜のカフェテラス」など名作を創作しましたが、
その一方で売春宿に通いつめ、酒を飲むなど
かなりすさんだ生活をしていたようです。

耳切り事件後も彼の孤独は癒されることがなく、
優れた作品を残しながらも発作が多くなり、1890年
37歳の時サン=レミの精神病院で拳銃自殺してしまいます。

実はこの拳銃自殺にも諸説言われており、これが
完全な自害だったとは断定されていないそうです。

謎に包まれたゴッホの死は、あまりにも早い死と
生前に全く才能を認められなかった事から注目を
集める事がなかったのも原因の一つのようです。

ゴッホの耳を切った衝動理由はゴーギャン?

ゴッホの耳切り事件の理由の一つに、アルルで事件当時
同居していた画家仲間のゴーギャンがゴッホ作の自画像の
耳をからかった事が原因の事件だとも言われています。

冗談のつもりで言い放ったゴーギャンのゴッホの耳の
特徴について、ゴッホは逆上してしまい、ついには
衝撃的に自身の耳を切り取ったという顛末です。

他にもゴーギャンとゴッホが娼婦をめぐって口論していた
からとか、ゴーギャンがゴッホの耳を切ったとする説など
さまざまで、真相はつかめていないようです。

ゴッホは疲れ切った心身の静養に「フランスの日本」
称された美しい風景のアルルを訪れ、絵画にも描かれた
「黄色い家」を借ります。

北仏から、当時の画家仲間に声を掛け共同生活を送ろう
と声を掛けるも、気難しかったゴッホの誘いにのったのは
ゴーギャンだけ。

それでもゴーギャンを呼び共同生活を始めたのですが、
早くから2人の価値観や絵画の技法などが合わず、9週間
ほど生活し耳切り事件の起きた後、12月23日ゴーギャンが
黄色い家を去っています。

事件の一週間前に2人が口論し、関係はかなり悪化していた
ようでゴーギャンも

「意見も技法についてもウマが合わない。」

といった不満を書き残していたといいますから、2人の
冷えた関係がなんらかの鍵を握っていることは確かと
いえるでしょう。

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ゴッホの切り取った耳のその後と現在の行方

ゴッホの耳切り事件については、ゴッホ本人に記憶が
なく真相は闇に包まれており、ゴッホの切り取った耳の
その後についてもはっきりした情報は見えていません。

ゴッホの耳切り事件の診療をした医者フェリックス
・レー氏の手紙が発見されていますが(2016年)ゴッホ
の切り取った耳の形容は、左耳の、ほぼすべてを
切り落とした
ということはわかっています。

その後の耳の行方は定かではないようです。

「この耳を大事に取っておいてくれ。」

と売春婦に渡したとされているゴッホの片耳、
どこへ消えたのか気になります。

2014年6月ゴッホの切り取った耳の複製がドイツの
女性芸術家によって制作され、ドイツの美術館
「カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター」
で展示されました。

ゴッホの親戚のDNAを元に3Dプリンターを使って
再現したといいます。

完成した耳はゴッホ自身の遺伝情報を含んでいるといい、
生きている状態で理論的には数年間生きられるもの、
というからびっくりです。

耳に話しかけることもでき、聞こえた音はソフトウエアで
館内に流れていたそうです。

彼の耳切り事件の耳を再現するというのも、人々の
この事件への関心の高さを物語っています。

ゴッホは狂人だったのか

激情に任せて自らの耳を切り落としたり酒や
売春婦に入れ込むなど、奇行が目立つゴッホの
人物像は狂人だったとも言われています。

事実、幼い頃からかんしゃく持ちで周囲からも
扱いにくい子として認識され、人間関係でも相当
苦労し職場を解雇されたこともあったそうです。

ゴッホは自身の病気について
「憂鬱症と悲観主義という現代病だ。」

と語っています。

ただそんなゴッホの唯一の心身の拠りどころと
していたのが、4歳年下でゴッホの生前の生活資金を
支え彼に尽くした画商で成功しえいた弟のテオの存在です。

テオが妹にあてた手紙には、
「兄(ゴッホ)には2人の違う人間がいるようだ。」

とも書かれており、多重人格症または双極性障害
可能性もあるのではと言われています。

芸術にかける人一倍の情熱と、孤高の芸術家としての
どうしようもない孤独を抱え、生涯を創作にかけた
ゴッホでしたが、他の画家との交流も途絶え唯一の
画家仲間のゴーギャンにも去られてしまったことも
大変致命的であったといえます。

彼の耳切り事件後の自画像

「包帯をしてパイプをくわえた自画像」や、

「頭に包帯をした自画像」では傷を負った自分を
写し取り、多くの優れた作品を残しておりその
生々しい姿が心に響きます。

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おわりに

天才画家ゴッホの有名な「耳切り事件」ですが、彼の耳を切る衝動にかられた理由は共同生活をしていた画家ゴーギャンであり、彼がゴッホの自画像の耳をからかったためというのは2人の関係が冷えていたことからも有力であるといえるでしょう。
彼が娼婦に送った片耳の行方が話題になっていますが、その後や現在については明らかになっていません。精神を病み狂人のようになってしまったゴッホですが、病を感じさせない多くの作品が光を放ち世界中の芸術界に大きな影響を与えたのも事実です。
耳に包帯を付けた自画像を描きながら彼が何を思っていたのか、闇がさらに明らかになることを期待します。


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