バブル期、貧しい育ちながら、一介の仲居から数百億の株式を操り「北浜の女相場師」とまで言われるまでの富豪となった成り上がりの実業家尾上縫。
バブル崩壊で資金繰りの悪化を招き、果ては女詐欺師となり逮捕されたその転落の人生が話題です。
尾上縫の生い立ち、若い頃から女相場師と呼ばれ、巨額詐欺事件を起こし実刑となったその後までお伝えします。
尾上縫プロフィール
名前:尾上縫(おのうえ ぬい)
生年月日:1930年2月22日
出身地:奈良県磯城郡橿原市
死没:2014年(83歳~84歳)
職業:投資家・実業家
罪名:詐欺罪・懲役12年
尾上縫の生い立ち~貧しい一家と父の死
尾上縫は、1930年の生まれで奈良県磯城群多村の出身、5人きょうだいの次女として生まれます。一家は貧しい長屋暮らしだったといいます。
弟の一人は幼少期栄養失調で亡くなるほどの貧困生活でした。
縫の母親は空海を熱心に崇め、毎朝般若心経を唱えていたといいますが、弟の死去あたりから「狐が降りる」と祝詞やお経のような言葉を発していたそうです。
この当時の母親の影響が後に縫にも関係あったのかもしれません。
縫の父親が10歳のとき病死し、この母親の手で育つわけですが、母親は家事などが苦手なこともあり、生活は厳しさを増したようです。
縫は、家計を支えるため高等小学校を卒業し地元の駅員や工場などで働いていましたが、より高い賃金を求め、14歳の時大阪に出てきています。
尾上縫の生い立ち~母の再婚と独り立ち
尾上縫の母親は父親の死後、株の仲介人をしていた豪農の男性から生活費の援助を受け、子育てしていたといわれています。
尾上縫は、14歳で大阪に出て、女中奉公やデパートの売り子をし、19歳で結婚、娘を一人もうけますが25歳の時わずか6年で離婚、娘を前夫に預けミナミのすきやき店「いろは」で仲居として働きます。
ここは客層が高いことでも知られ、経済界の大物から援助を受けることに成功、大手住宅メーカーの会長から援助を受け、昭和40年に独立、料亭「恵川」を開きました。
尾上縫は、経営能力はなかったようで、いくつも店を経営しますが赤字続きだったとか。
担当した会計事務所によると、一度しか食事にこない客にも案内を出し、8000円の料理を食べた客に3000円のライターを贈るなど経費の無駄遣いが多かったようです。
また神社の賽銭に数十万円や数千万を施し、8000万円の水晶玉を購入するなども。
尾上縫の若い頃美人の評判
尾上縫の若い頃は、美人で評判だったといわれています。
大阪に出てからデパートや水商売で働き、25歳でバーの経営をしますがうまくいかず、大阪のすきやき店で仲居をはじめたのが30歳頃。
ですが縫はお金持ちを見抜ける優れた選別眼を持ち、友人曰く「肉体を武器に男を虜にする能力」も優れていたのだとか。そうした武器を使い手練手管で、男達から援助を得ることができる能力に長けていたといわれています。
美人だったおかげで客もつき、大手住宅メーカーの会長のスポンサーと出会い、料亭「恵川」を開店するに至っています。
貧しい出自であった縫が生きて行くには、強力なスポンサーは不可欠で、金銭援助を得ながら、数店舗をもち、投資や不動産経営も始め、実業家の道を歩むこととなります。
尾上縫の霊感が凄かった
尾上縫は料亭「恵川」や大衆食堂「大黒や」など何店舗も経営するほかに、占い師、霊媒師の顔も持っていたといいます。
料亭に金の硬貨を口にしたガマガエルの置物が飾られ、その前で祈祷し、「○○の株があがるぞよ~」といったお告げをしたとか。
縫は若い時から霊感が働き、株の銘柄選択も神のお告げに従ったとされますが、縫の持つ料亭「大黒や」の中庭にも、不動明王や弘法大師の石灯、灯籠がたくさん置かれ、ガマガエルの石像も置かれ、毎日それを拝み相場を張ったそうです。
縫が料亭に来るお客を前に、競走馬の勝ち馬や、株の上昇を占い出すうち、次第によく当たると評判に。
証券マンや銀行マンが列をなすこととなり縫の料亭も繁盛したそうで、尾上縫の霊感が凄かったことは確かだったようです。
一方占いで得た収入で、赤字続きの事業の損失を補てんしていたとか。
ともかくバブル期の金融業界は、尾上縫のご信託を利用していたといわれ、ただ者ではないことが知られていきました。
その後も「北浜の大物相場師」「謎の料亭女将」「ミナミの女帝」とうたわれ広く世に知られていきました。
尾上縫の女性相場師として~縫の会
株占いが良く当たり、商社マンや銀行マンが尾上縫のまわりに群がるようになると、その集りは「縫の会」と呼ばれ評判となりました。
縫の会は、彼女の占いのファンクラブ的なものでしたが、やって来る男たちは真剣そのもので株のお告げをもらいに必死だったようです。
女性相場師と呼ばれた縫ですが、貧しい生まれだったため、中卒であることを偽って現在の奈良女子大学卒業だと人には告げていたそうです。
縫は銀行から多額の融資を受けて株を購入。
バブル絶頂期には2270億円を借り入れて、株の運用益などで得た利益を400億円の定期にして持っていたと言われています。
当時はバブル景気に湧いておりどんな株を買っても上がったと言われる時代です。
そこまでか彼女が株に没頭するようになったきっかけは彼女が購入したNTT株が28億円もの利益を生み出した事が発端だったようです。
この時の元手となる10億も縫のパトロンから借りて儲けた28億円だというからある種の相場士としての能力もあったような気もしてしまいます。
その一見からマスコミからも浪速の女相場師として、いよいよ注目される人物となった縫は世間に大きく注目されチヤホヤされた事で、引くに引けなくなっていったのでしょう。
しかし平成時代バブル崩壊により、縫の所有していた株も暴落に巻き込まれて行き、瞬く間に負債が膨らんでいきました。
1989年、尾上縫の借入金は1兆1975億円に対し返済は6821億円しかなく、借入金の利息が一日につき1億7千万円にも上っていたそうです。
返済に困った尾上縫はとうとう詐欺に手を染めることになります。
尾上縫の巨額詐欺事件
実業家に成り上がった尾上縫ですが、たちまち資金繰りが悪化し、女詐欺師に転落したその人生は波乱に満ちています。
縫は多額の返済金調達のため、親交のあった東洋信用金庫の担当者と共謀し架空の預金通帳を作り、他の大手金融機関から次々と融資を受けるという巨額詐欺を働きます。
“そこで尾上は金融犯罪に手を染めた。取引のあった東洋信用金庫の支店長らと結託して、架空預金証書の作成や担保の差し替えなどを行い、金融機関14社から融資を引き出し、それを使って1790億円の有価証券をだまし取ったのだ。 詐欺罪に問われた1790億円が犯罪史上最高額ならば、7億円の保釈金は当時史上3位、破産宣告を受けたときの負債総額4300億円も、個人としては史上最高額である。裁判は長引き、大阪地裁で懲役12年の実刑判決が下されたのは1998年3月、保釈申請は却下され、公判の後そのまま和歌山県の刑務所に収監された。”(Yahoo:引用)
何でこんな馬鹿な事をしたんだ、という警察官の問いかけに縫は「みんなにチヤホヤされたかった」と答えたのだとか。
1991年8月13日、61歳の時、尾上縫は詐欺罪で逮捕に至っています。
尾上縫のその後
世間を驚愕させた浪速の女相場師のその後は、一体どんな最後だったのでしょう。
逮捕時既に61歳と初老だった縫は懲役12年の実刑判決を受けています。事件後巨額の融資を行った東洋信用金庫は破綻しています。
縫は61歳で逮捕、1998年3月の裁判で懲役12年の実刑判決が出されています。この時逮捕から既に7年の歳月を経て68歳となっていた尾上縫。
2003年4月に最高裁が尾上の上告を棄却実刑が確定しましたが、この時点で1930年生まれの縫は73歳。
実刑決定後の収監後、ほどなくして要介護状態となり一人では何もできないほどになったそうです。ただ元気な時は生前の習慣となっていたのか拝んだりしていたとか。
ほぼ介護状態の老女となった尾上縫を刑務所の中で面倒を見たというのが覚醒剤の使用と密売で逮捕されていた中野瑠美さんで、尾上縫の介護担当になったそうです。
中野瑠美さんは介護担当ながら尾上縫の事が大好きだったそうで、2人の関係も良かったのでしょう。
縫からは「養女になりなさい」と声をかけられたほどの関係だったとか。
若い頃の結婚で娘が1人いた縫でしtが離婚後、元夫の元に置いての離婚だった事もあり親子関係はほぼ絶縁状態で出所後も会う事はなかったといわれています。
ただ
尾上縫は2014年頃亡くなり(83歳か84歳くらい)、墓は生前に建てたとされる高野山の墓所、奥の院にあるそうです。
尾上縫と謎の黒幕
彼女の生い立ちを追うと相場師としてはともかく、若い頃の美貌で富や権力ある男性を手練手管で利用して成り上がってきた女性。
ただその過程でまごうことなく本人の魅力(性的魅力)も実際あったのだろうし相場師となる由縁となった霊感なる物も確実に兼ね添えていたのでしょう。
ただ巨額詐欺事件の張本人として語り継がれるレベルの事件を起こして逮捕された縫は当たり前に逮捕と同時に自己破産しています。
借金まみれで自己破産したにも関わらず、縫は1992年3月の保釈で7億円を用意して保釈されています。
この7億円は誰が支払ったのか?というのが現在も謎となっているようです。
一説にはホンの噂に過ぎないのですが、かの松下幸之助氏との噂があった尾上縫なので、もしかしたらという噂があるようです。
実際松下電器の子会社ナショナルリースが尾上縫に800億円を融資していた次期があり、一時的と言う約束で担保を返却、この一見から縫の逮捕後背任罪として同社員が逮捕となった事件があったそうです。
生前多くの愛人や婚外子がいると噂された松下幸之助氏ですが、この尾上縫逮捕後、松下電器が後退した要因だとも言われているのだとか…
1人の老女が起こした事件としては負債総額4300億円と史上最高額と言われた詐欺事件でしたが、その保釈金も7億と一文無しとなって自己破産した老女に差し出した人間がいたとしたら…
尾上縫が亡き今となっては真相は闇の中なのかもしれませんが、本当に誰が彼女の保釈金を差し出したのでしょう、額が額なだけに改めて老いて尚尾上縫と言う女性のすごみを感じるような気さえしてしまいます。
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おわりに
巨額詐欺事件で懲役12年の実刑判決を受けた尾上縫は、父を亡くし貧困生活からの成り上がりで、大阪で独立し料亭「恵川」などを経営、占いで株を当て「縫の会」なる集団を作り上げた希代の相場師だったといえます。
美人で霊感も凄かった縫のまわりに大勢の人々が集まりますが、結局バブル崩壊に勝てず、詐欺師としての最期だったとはいえ、女性一人で多額の金を操ったその恐るべき姿が焼き付きます。
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