中岡慎太郎の仲介和解に奔走した坂本龍馬との最後と生い立ち

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中岡慎太郎アイキャッチー

幕末の明治維新の立役者としてその名を知らぬ人物が
おらぬ程の日本人のヒーロー坂本龍馬。

だがその最期を共にした中岡慎太郎も又影の明治維新の
立役者として薩長の仲介や若いに日本を奔走した事で
知られている。

龍馬と同じ高知県出身の彼は龍馬とは全く違う生い立ち
だったと言われている。彼の歴史を今一度振り返ってみよう。




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中岡慎太郎プロフィール

中岡慎太郎(なかおか しんたろう)
生年月日 天保9年4月13日(新暦1838年5月6日)
没年   1967年12月12日  享年 29歳
出身地  高知県安芸郡北川村柏木
活動   幕末運動
藩    土佐藩脱藩
所属   陸援隊

中岡慎太郎の生い立ち~

北川郷の大庄屋・中岡小傳次と後妻ウシの長男として
生まれた中岡慎太郎は、最期を共にした坂本龍馬と故郷
が同じ事でも知られているが、その幼少期には全く接点は
なかったと言われている。

と、言うのも、明治維新では破竹の勢いで薩長との仲を
取り持ち、明治維新の礎を作る為に日本を奔走した二人
だが、龍馬の幼少期は”うつけもの”と言われる程ぼんやり
した子供で当時はイジメにもあったとされるのに対し、

中岡慎太郎は、全く水と油状態で、4歳の頃には寺の住職に
教えを受け、7歳で四書の講義を受けるために、二時間かけ
隣村の塾に通いつめ、14歳の頃には講師代役を務められる程の
頭の良さで知られ、周囲の人間にはその頃「神童」だと言われた。

実家も同じく有力な庄屋で名字帯刀を許された郷士身分。

結婚は脱藩する前の1857年慎太郎19歳の時、利岡彦次郎の
長女兼(かね)15歳と結婚。

中岡家の跡取り息子だったが、間崎滄浪から文を習い、
武市瑞山から剣を学んだことから土佐勤王党結成に参加する
事になり最後は勤王党弾圧後は脱藩して長州に走る。

この武一瑞山(半平太)からは、その清廉潔白な人柄から
小野派一刀の流の免許皆伝も受けており、下級武士や藩内
からの人望がとにかく熱い人物だった。

それゆけその思想に影響を受けた慎太郎はその後彼の元を
追って剣術修業に始まり、1861年には半平太らと共に京都の
公家らと共に尊皇攘夷を目指し、秘密裏にて土佐勤王党を結成。

翌年には佐久間象山らとの交流も持ち急速に、極端な思想に
走り出した土佐勤王党らは、自分達の意見と反比例する人物
らを天

中岡慎太郎仲介と和解に奔走する

慎太郎が脱藩した理由は、自身は郷土身分と言うかなり
恵まれた身分に生まれ落ちたものの、当時の身分制度の
理不尽さや、庶民の困窮した生活ぶりを目の当たりに
した事がきっかけとなり、脱藩して国を変えるべくの思想
の元に故郷を離れている。

だがその地で目の当たりにしたのは、
長州尊攘派の敗北と再起を目のあたりにし、単純な
尊攘主義を克服。

この時期に同郷だった坂本龍馬と親しくなって、
富国強兵と武力討幕する為の構想として薩長同盟を
龍馬と共に構想。

その後、大きな理想の元龍馬と慎太郎は大政奉還の
大儀の元西へ東へと日本国内を文字通り奔走した事で
知られている。




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中岡慎太郎の坂本龍馬との最後

2人の願いが叶いやっと薩長同盟が成立したその後も
血気盛んだった薩長両国が武力討伐をする前に何としても
大政奉還を成功させ、新しい日本として明治維新へと導きたかった
龍馬と慎太郎。

全容を構築した二人は、前途多難な困難を様々乗り越えて、今
一歩の所で世に言う「近江屋事件」で坂本龍馬と共に負傷して
亡くなっています。

そしてこの日は龍馬満31歳の誕生日だった。

運命の日1867年12月10日、風邪気味だった龍馬と慎太郎は
近江屋で今後の作を練るべく会合している所を、近江屋の
藤吉の背中から切り付けて、2階にいた龍馬と慎太郎のいる
部屋に駆け上がったと言われている。

刺客は2人とも3人共言われているが、慎太郎が足やら急所は
外すも全身をアチコチ切り付けられるも龍馬は、最初の一切りで
初太刀を前額に横一文字で浴び、慌てて後ろに置いてあった
佩刀(陸奥吉行)を取ろうと身を捩るも、背を向けたその背中を
大きく切られる。

特に額の太刀は深く、その一切りで既に脳みそが飛び散る
悲惨の状況でほぼ即死状態だったと言われている。

そんな龍馬に対して、中岡慎太郎は瀕死の状態ながら
丸2日間生き延びた事と、その最後であった坂本
龍馬の最期の言葉も彼からいいつたえられている。

自分より慎太郎のほうが重症と思った龍馬は医者を
呼ぼうとするも既に声がまともに出ない状況で
最後に慎太郎に

『わしゃ~脳をやられちょる、もういけん』

そう言って息絶えたと言う。

慎太郎は脅威的に、散々な切られようの中その後2日間
息絶えて一時は焼き飯を食べる程回復。

この時の最後を鮮明に話して、自らの最期を感じた彼は

「早く倒幕の挙を実行しなければ、却って敵のために逆襲せられる。同志の奮起を望む」

そう言い残し出血多量で事件の2日後の昼過ぎ息絶えている。

おわりに

死して尚語り継がれる坂本龍馬と、最後を共にした中岡慎太郎も又龍馬とは思考もタイプも違うと言われながらも時代に翻弄され、それでも世の中を変えるべく日本を駆け巡った土佐の浪人だった。今から約150年も前に生き急いだ時代の長寿が時代に翻弄されながら短い生涯を閉じた事を誇りに思うばかりである。ただ生きていてくれたらもっとこの時代は変わっていたのだろうな~とも・・・




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