今年1月に世界を震撼させた歌手のデヴィットボウイ
の死去から既に10カ月の時が経つ。
未だに影響力のある彼の生い立ちや家族との葛藤
や兄の自殺。
そして神秘的な顔立ちにあの珍しい目の色のオッドアイ
の原因も同時に追ってみよう。
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デヴィットボウイプロフィール
デヴィット・ボウイ
本名 デヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズ
生年月日 1947年1月8日(69歳没)
出身地 イギリスイングランド ロンドン ブリクストン
デヴィットボウイの生い立ち~家族
ロンドン南部でウエイトレスをする母親とチャリティー
活動を行う父親との間に誕生したデヴィット。
昔から、そして現在にも貴族階級があるとされるイギリス
生まれのデヴィッド一家は労働階級といういたって一般階級
に生まれるも、母親の世代から何らかの精神障害がある人間
が多い事が分かっている。
その事で青年時代はデヴィットも相当苦しんだようで
母親の症状は軽く、家庭環境に、それ程悪影響はなかった
ものの、実の兄のテリーには幼少期からかなりの症状が
表れていたと言われている。
兄弟仲が良かっただけに、デヴィットはいつか自分も
ああなるんじゃないか~と長年その葛藤な続き彼を
苦しめたと言われている。
元々状況が良かったとは言えない母親もそんなテリーの
面倒を見切れずにさじを投げ、ケンヒール精神病院に
入院させる。
当然テリーの症状は日に日に状態が悪くなってゆく・・・
デヴィットボウイ兄の自殺に苦しんだ日々
追い詰められたテリーはもはや自分を完全に見失って
結局デヴィットの想いも空しくテリーは1985年に自殺。
この実の兄が徐々に精神を病んで行った様や、そして
最終的には家族がさじを投げた事。
幼かったデヴィットにはどうしようもなかった事
など様々な葛藤した彼の気持ちがアルバム
「世界を売った男」の中にも現れている。
兄テリーの事を書き記している曲があるそうだ。
そして、そんな家系である事をデヴィット自らも
一番恐れていたのだ。
”いつか自分もああなるかもしれない”
この思いが常にデヴィットを脅かしていたと言われている。
出典:http://www.eyeeyea.sakura.ne.jp/yogo/2016/01/
その為彼も若い頃(特に兄テリーが自殺以降)
は一時かなりの薬物中毒となってその依存も
かなりな危険レベルの時期があったと言われている。
特に初期の頃で、最初の妻アンジーとの婚姻関係の
1970年代が一番ジャンキーだったらしい・・・
どうりでガリガリの時期が・・・異様かも・・・
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デヴィットボウイのオッドアイの原因
そしてデヴィットと言ったらあの神秘的な瞳の色の
違いもその珍しさからオッドアイともてはやされた。
人によっては結構恐いと思うんだけど…デヴィットはハンサムだからかな・・・
これは先天性と言われたり、過去学生時代の殴り合いに
よって(女の子の奪い合い)による喧嘩で失明した
説が有力とされている。
顔がとってもハンサムなだけに、マイナス要素にならない
所が素晴らしい。
右目がブルー(青)左目がヘーゼル(淡褐色)
明らかに片目だけ瞳孔が開いて見える。
おわりに
仲の良かった兄の自殺によって相当いつか自分も「おかしくなるかもしれない」と言う気持ちに襲われたデヴィット
あまりに早すぎるその生涯は69歳で幕を閉じられたがデヴィットボウイよ永遠に~安らかに~
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