2009年にわずか50歳でこの世を去った
「キングオブポップ」のマイケルジャクソン。
その死因に未だに謎が多く他殺説や陰謀が根強く
疑われる中彼がスターとなったきっかけや生い立ちに
父親や兄弟との壮絶な幼少期のルーツがあった。
人格形成がされてない子供時代に父から受けた壮絶な
暴言の数々と壮絶なDV,誰もが知る彼が最後まで整形
依存となり繰り返した美容整形の理由にも生い立ちが
大きく関係しているようだ。
そんなマイケルのルーツとなる生い立ちを改めて
追ってみよう~
マイケルジャクソンの生い立ち~子供時代
1958年アメリカ中西部インディアナ州アフリカ系
アメリカ人としてマイケルは9人兄弟の7番目として
誕生する。
父親のジョセフジャクソンが元々音楽家を目指すも挫折し
鉄工所で働きつつも叶わなかった夢を6人の息子らに
託すべくその才能に気が付いた時結成させたグループが
ジャクソン5でした。
兄弟の中でも6男坊だったマイケルは当初ジャクソン5の
結成当時は入っておらず、マイケルがユニットに入ったのは
5歳になった1963年だったそうです。
小さいながらに上の兄たちの身振り素振りを見て
『こうして歌っていくんだな』そう思い中流家庭だった
マイケルジャクソンは公私ともに幼少期から芸能界に
身を置いたことで同年代の友達と遊ぶなどの時間が無いほどに
当時のアメリカでジャクソン5は大成功をおさめます。
マイケルジャクソンの父親のデカ鼻暴言と壮絶DV
ただ、そこには有無を言わせぬ父のジョセフジャクソン
からの厳しいレッスンがありました。
兄弟の誰もが逆らえない中、幼いマイケルが父親に
逆らい自分の意思を貫く事など到底無理で、その猛烈な
レッスンにちゃんと練習出来ない時や父の思うような
成果が出せない時ジョセフがしたことは壮絶なDVだった
と言います。
マイケル自身の口から生前語られた父からの壮絶なDVは
殴る蹴るは当たり前で、時に銃を突きつけられる兄弟も
いたとの事。
その壮絶な暴力は母が泣き叫び『止めて。死んじゃうわ』
叫ぶほどのDVだったと告白してます。
ベルトを使って兄弟と共に殴られ一時期は父の姿を
見ただけで嘔吐するほど精神的に追い詰められた状態で
兄弟は芸能活動を父からの強制で行っていたそうです。
その中でも強烈なのがマイケルが幼少時代に父から
言われた言葉の暴力が『デカ鼻』。
身体的な虐待だけに留まらず、言葉の暴力も使い
ジョセフはマイケルと極限まで追いつめていったのです。
元々ナィーブでデリケートだったマイケルが
この言葉でどれほど傷付き苦しんだのか想像を
絶する苦痛を実の父親から長きに渡ってDVという
形で徹底的に与えられていたマイケル。
マイケルジャクソンの思春期の性への闇
そんな中でもジャクソン5としての人気はうなぎ上りで
次々ヒット曲を出し1966年にはタレントコンテストの
名門ハーレムアポロシアターに参加し入賞する。
この入賞がきっかけとなりモータウンレコードに紹介され
更なる時代の寵児となるべくスターへの階段を駆け上がります。
それでも当時は上の兄弟5人と同じ部屋で同じベットで
寝起きをしていたマイケル。
年の離れた兄弟が性に目覚めガールフレンドや女性を
次から次へと部屋に連れ込み、マイケルが寝るベットで
事にいそしんでいたと言うからまさにマイケルが女性に
対してもトラウマを持ったと言われる要因の一つでは
と言われていました。
とても尋常ではない環境の中スターとしての父の
猛烈な特訓。
家に帰宅しても休まる事の無い兄弟の性をまざまざと
見せつけられ・・・
想像しただけでどれほど劣悪な環境に幼いマイケルが
身をゆだねていたのかが理解できるでしょう。
でもどうすることも出来なかったマイケル・・・
思春期になると他の多くの青年も少女もそうなるように
マイケルの顔いっぱいにもニキビがデキ次期があった。
そのニキビ顔も平然と父親は貶したと言います。
元々が大人しくそして繊細だったマイケルは
言われるままだったのでしょう・・・
マイケルジャクソンの整形依存は幼少期のトラウマ
そんな猛烈な家庭環境の中でも彼の人気は留まる所を
知らず1971年にはソロデビューをし1983年には
今や伝説となった大ヒット曲「Billie Jean」を皮切りに
時代を同じくしてミュージックTVに多数出演マドンナと
共に時代の寵児として、唯一無二のポップスターとして
盤石の人気をモノにしたのです。
でもこの時代を知る人なら全ての人が理解できるように
これより少し前から、そしてこの辺りから猛烈に彼の
顔は変貌していきます。
幼少期に父から言われた『デカ鼻』『ニキビ面』
この言葉に傷つきコンプレックスと化していたマイケルは
何度も何度も繰り返し鼻を削り晩年は完全に整形依存となり
本来の顔からは分別の付かないレベルの鼻となり最後は
顔面破壊レベルとなり鼻に関しては壊死していたとも
言われる程に変貌してました。
肌に関しては言わずもがなで、白人に憧れた彼の強烈な
漂白をしたとも肌の病気だったともいわれ断言は出来ない
ものの精神に異常をきたすレベルの変貌だった事に
違いはなかったと思います。
マイケルジャクソンの遺言状に父の名は無かった
2009年自宅で致死量を超える量の麻酔薬
プロポフォールを投与されてわずか50歳で
この世を去ったマイケルジャクソン。
未だ彼の死因に不明点が多い事から数々の陰謀性が
噂され続けるマイケルですが、彼の死後出てきたという
遺言状に父親ジョセフマイケルの名はなかったそうです。
そしてこの自らの名が大スターマイケルの父として
不服だったジョセフはマイケルの死後自分にも遺産を
渡せと裁判を起こしています。
小さかった5歳のマイケルで彼はどれほどの莫大な
財産を稼ぎ、どれだけの犠牲を払わせたのか。
それでも死して尚、マイケルの遺産に貰って当然と
裁判まで起こしたジョセフジャクソンは毒親そのもの
だったのですね。
おわりに
如何でしたか?大スターとして昔も死後も、おそらくこの後何十年も、もしかしたら何百年も語り継がれるレベルの大スターマイケルジャクソンはこの幼少期の父親ジョセフジャクソンの存在あって世に誕生したのです。彼にとってスターになったことが本当に幸せだったのか?もしかしたら平凡な男で優しいい両親の元誕生したほうがマイケルジャクソンには良かったのかもしれません。子供は親を選べない。いつの時代もこの残酷な事実を思いながらご冥福を祈るばかりです。
コメント
マイケルはずっと黒人で自信をもっていましたし決して白人に憧れはしていません。肌を白くしたのは皮膚の一種の病気(Vitiligo)で黒と白のまだらを隠すためにブリーチングクリームを使用して白くするしかありませんでした。完璧主義のマイケルが求めていたマイケル、イメージを崩したくなかったのかもしれません。最後の写真はメデイアが面白おかしく加工した写真です。本当の写真はそんなではありません。
ジョセフだって少しはいいとこあるのに悪者みたいになってしまってかわいそうにも思えてくる。