ジェイZの生い立ち~父も兄も廃人の過去は売人からの下剋上が半端ない

この記事は7分で読めます

ジェイZアイキャッチ

ジェイZは世界中の誰もが知る有名な
ラッパーです。

幼いころから音楽に親しみ音楽の
世界に身を置きます。

あの世界の歌姫ビヨンセの夫としても
公私共にのパートナーとしても有名です。

今では世界屈指のジェイZですが、壮絶な
幼少時代を送りました。

成り上がるまでに彼はコカインの売人に
までなったジェイZ。

そんな中でも音楽への情熱は冷めやみません。

ピンチをチャンスにし成り上がったジェイZ。

まさに現代版下剋上のジェイZについて
調べてみました。

Sponsored Link

ジェイZの生い立ちが壮絶な環境と父と兄

ジェイZ
1969年12月4日生まれ(48歳)18年7月現
本名ショーン・コーリー・カーター
ニュウヨーク州ブルックリン出身
4人兄弟の末っ子

黒人音楽のレコードが常に流れる家庭で育ち
幼いころから音楽が好きでいつも踊っているような
陽気な男の子だったようです。

幼い頃の音楽に触れる毎日がジェイZの音楽への
道へと導いていったのですね。

負けず嫌いだったジェイZは当時やっていた
バスケもゲームも得意でした。

勉強も頑張りなんでも一番で周囲から一目置かれる
存在で、学業優秀、スポーツ万能でした。

黒人低所得者層が住む団地でくらしており、治安が悪く
年中銃声が聞こえている中での生活でした。

銃声が目覚まし代わりの恐怖の日々だったでしょう。

いつ事件に巻き込まれるか分からない壮絶な
環境だったようです。

父親から劣悪な厳しい環境でも生き抜く知恵を
教えられ育ちました。

自分の身は自分で守らないといけないと
ジェイZの中に刻みこまれていきました。

それは後に彼の父親哲学に反映されています。

父親にはいつも尊敬の念があり、父親とジェイZの
絆は太くて強いものでした。

銃声の鳴る中でいかに自分を守るか。

自分の命を守るすべなどを学びました。

ジェイZは父親の事がとても大好きで
尊敬もしていました。

しかし11歳の時に父親は家を出てジェイZは
父親に捨てられ酷く傷つきました。

裏切られた・・・・と。

何で自分を捨てたのか?

あんなに自分を大切にしてくれたのに・・・・
という思いが消せませんでした。

苦しみと怒りや虚しさをノートに書きなぐる
日々を過ごしました。

それは彼の悲しみを癒し、悲しみを少しずつ
癒すすべになりました。

この頃から詩をかくようになったみたいです。

音楽と共に机を叩きまくる毎日で、それが
うるさいからと母親は楽器を買い与えたそうです。

そこから彼の音楽人生が始まりました。

これと同じくらいジェイZには忘れる事が出来ない
衝撃的な事が起きました。

起きましたというより起こしましたと
言った方が正しいのです。

ジェイ・Zが12歳の時に自身の兄を拳銃で
撃ってしまったのです。

ニューヨーク・ブルックリン区の低所得者向け
団地で育った頃に起こした痛ましい事件です。

兄はクラック中毒でした。

兄が金欲しさにジェイZの指輪を盗んだ時に
銃撃事件は起きました。

幸い兄は命を落とすことはなく不幸中の幸いでした。

その時は一生刑務所暮らしになると
ジェイZは思ったそうです。

しかし、ジェイ・Zの兄は弟の銃撃を
訴えるようなことはしませんでした。

逆に、薬物中毒で自分自身がこんな体たらくに
なったことを詫びたといいます。

ジェイ・Zは97年の“ユー・マスト・ラブ・ミー”の
なかでこの出来事をラップとして綴っています。

「あんたの瞳の中に悪魔を俺は見た/大麻とは較べものにならないほど
ハイになって混乱していて/幼い俺は目を閉じて指を引くしかなかった」。

銃が身近にある幼少期の生活でした。

80年代前半にラッパーとしてデビューしました。

ラッパーとしては成功せずに嫌気がさして
食べる為にコカインの売人を始めました。

別れた父親や兄弟はコカインに手を染めていて廃人で
そんな環境から彼はコカインの売人になったようです。

ジェイZ自身もコカインに手をだしていたのではないか?
という説もあります。

家族が廃人で彼は荒れ狂った環境の中で過ごします。

ジェイZの両親が離婚しジェイZの家庭は母子家庭になりました。

経済的に家庭を支えるためにジェイZは高校を中退し
お金を稼がなくてはなりませんでした。

大金を稼ぐためにコカインの売人になったのです。

Sponsored Link

ジェイZ売人からの成り上がり

コカインの売人をして家計を支えなければならず
未成年ながら売人としての生活を送る日々。

それでもラップは辞めず90年代に入り、ビック・
ダディ・ケインとフリースタイルで争うチャンスを得ました。

ビック・ダディ・ケインはかのブルックリンが
誇るラッパーです。

そんな有名なラッパーとの機会にジェイZは燃えました。

彼の独特のスタイルは観客に受け入れられず
またしても失敗で終わってしまいました。

やけを起こしたジェイZはまたコカインの
売人に戻ってしまいます。

しかし友人の勧めでデモテープを作りレコード会社に
売り込むのですが、ことごとく断られてしまします。

友人のつてでヒップホップグループ「original Flavor」と
関わりのあるデイモンに売り込みをかけました。

最初はブラックという事でジェイZを敬遠していましたが
スタイリッシュなジェイZを見て二人は意気投合しました。

デイモンはジェイzをニューヨークのアンダーグラウウンドの
ラッパーとバドルさせました。

ジェイzのラップはうけてニューヨークの
アンダーグラウウンドでは知名度をグングン上げて
いきましたが、メジャーになることは出来ませんでした。

そこでデイモンとジェイzは自分たちだけで
会社を作りました。

「ロッカフェラ・レコード」です。

自分たちのPVを作り売り込みました。

ジェイzは下積み時代から

「デカく見せる事でデカくなる」

を自分の哲学として生きて来ました。

ジェイzというナンバーのリムジンに乗り、高額の
貴金属を身に付け、黄金のシャンパン「クリスタル」
を飲むという生活を送りました。

ライブでお金をまき散らしたりもしました。

街中にジェイzのポスターを貼りまくりました。

街中どこもかしこもジェイです。そして街で
ジェイZのレコードやTシャツを勢いよく売りました。

この事でジェイは知名度も上がりましたが
ブーイングの嵐にも遭いました。

その後ヒップ専門のラジオ局にジェイzを売り込み
気に入られMCフォークシー・ブラウンとコラボして
その曲がヒットしてジェイzが全米に知られるようになりました。

その後パフ・ダディと行ったツアーで運命の曲と出会います。

ブロードウェーミュージカル「アニー」の中に出てくる
「it`s a hard knock Life」です。

この曲を気に入りライムを乗せて売り出せるようにしました。

この曲でグラミー賞を受賞しました。

これで海外にも名が知れました。

サードアルバム『Vol.2…Hard Knock Life』
「Can I Get A…」も爆発的なヒットとなり
ビルボード・アルバム部門の5週連続ナンバーワンに輝きました。

アルバムは500万枚以上売れ、MTVなどの賞も獲得しました。

「ラップがハードコアすぎるから無謀だ。」
言われたツアーも決行し、大成功を収めました。

ジェイZのロッカフェラ帝国を築き上げられました。

1999年に『Vol. 3…Life and Times of S. Carter』をリリース
2000年に『The Dynasty: Roc La Familia』(2000)リリース

毎年のようにアルバムをリリースしたジェイですが
8枚目のアルバム『The Black Album』を最後に
2003年にラッパーをリタイアしました。

デフ・ジャム・レコードのCEOになると宣言しました。

デフ・ジャムでは、リアーナを発掘し自ら
プロデュースしてスターに育て上げました。

2006年にアルバム『Kingdom Come』
リリースしカンバックしました。

カンバックを機に2007年にデフ・ジャムの
CEOを退任しました。

これ以降、ラッパーだけでなくプロデューサーとして
活躍するようになりました。

ジェイZは「ヒップホップ界のキング」
呼ばれるようになりました。

ラッパでありプロデューサーとしも
成功を収めたジェイ。Z

「ロッカウェア」だけではなく、スポーツ
バーも立ち上げました。

NBA「ブルックリン・ネッツ」の共同オーナー
になったりもしました。現在は退いています。

スポーツマネジメント会社も設立
実業家としても大成功を収めています。

ジェイZは、オバマ大統領のことを
「黒人の子どもたちに夢を与える存在」
だと絶賛しています。

ビヨンセと共に「オバマ大統領の資金パーティ」
主催し、400万ドル(約4億円)を集めて大統領との
絆をさらに深めました。

インタビューでも、政治について熱く語っていて
政治家に転向する日も遠くはないとも言われています。

こうしてジェイZはコカインの売人から成り上がったのです。

ジェイZの下剋上の格言が凄い!

こうして世界に知られるようになった
スターのジェイZ。

作詞、作曲家でもあり音楽プロデュースも手掛けています。

ブルックリン・ネッツの共同オーナーでもあります。

ジェイzはビジネスマンとしても有名で起業家です。

ロッカフェラ・レコードの創設者であり
デフ・ジャム・レコードの元CEOを務めていました。

コカインの売人だったジェイZが成り上がってきた哲学があります。

1つはチャンスは自分で作れ!!

ジェイzは目の前に既にあるチャンスを
ものにしてきた訳ではありません。

コカインの売人をして生活の為に稼ぎ
自分たちのレコード会社を立ち上げました。

自分で自らチャンスを作ったのです。

2つ目はハッスラーになれ

ハッスラーとは
「どのような時もお金を稼げるように」
という意味があります。

ラッパーになった時にアートを創るというよりは
ハッスラーになると心に誓ったそうです。

お金稼ぎに成功してハッスラーになる為には
アーティストとして成功する必要があったので
彼はそれをモチベーション維持の為に心に持ち続けていました。

3.使えるリソースは何でも使え!

ジェイzは自分を売り込むために、ドラッグディーラーや
街の若者を雇いました。

街中に分散させました。狭く深くを狙った戦略です。

今自分の身の周りにあるものをどう
有効活用するか戦略を立てて賢く使いました。

4.自分のビジネスが自分のブランドだと理解しろ!

自分のブランドは最高責任者になる訳ではなく
個人的にどういう人間なのかを表すものだと言っています。

5どんな状況でも誠意をもって取り組み
その結果に人はついてくる。
と言っています。

6よきメンターを探し出せ

よきメンターを探しそこから知識などを
吸収する事が必要だと言っています。

7拒否されるのを恐れるな

拒否されても諦めるのではなく、それ以上の
物を創ろう、それ以上の事をしよう!

という事もジェイzの哲学の一つです。

この哲学をもち下剋上してきたジェイZ。

政治家を目指しているという話しも耳にします。

幼少時代から少年期まで大きな苦労をしてきたジェイz。

銃声の響く街で貧しい生活を送ってきました。

尊敬する大好きな父親との別れに傷ついた時もありました。

ジェイzは苦しい家計を支える為にコカインの
売人になりましたが、幼少の頃から家庭にいつも
音楽がある環境からか音楽とは離れられない生活をも送りました。

最初は売り込みをことごとく断られましたが、だったら
自分たちで会社を起こそう!

と自分の会社を立ち上げます。

派手なパフォーマンスで街中で
売り込みや販売をしていきました。

運命的な出会い。いやジェイZが努力して
掴みとった出会いとチャンスをものにして
成り上がりました。

Sponsored Link

おわりに

何も持たなかったジェイzは人生に悲観的になりながらも彼は最後までどんな悲惨な状況の中でも人生を諦めませんでした。まさに下剋上を地でいく生き様や哲学は凄過ぎます。私も共感したというか参考にして少しでもマネできたらいいなと思いました。
今はラッパーとしてだけではなく音楽プロヂューサーでもあり実業家であるジェイZ。オバマさんとの親交もあるようで政治家を目指しているようですね。今後のジェイZの活躍にも期待がやみません。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. 川谷絵音アイキャッチ
  2. ピートバーンズアイキャッチ
  3. 布袋寅泰アイキャッチー
  4. ビヨンセアイキャッチ
  5. 田中和将アイキャッチ
  6. エミネムアイキャッチー
  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。