億万長者の彼氏との恋の行方も世界の
注目の的だったリアーナ。
今やシンガーだけでなく女優や実業家と
しても存在感を出す彼女の生い立ちや
家族との関係を追ってみよう。
最近太ったと言われても全く気にしてない
唯一無二の存在リアーナの子供時代とは~
リアーナの生い立ち~子供時代~
リアーナ(りあーな)
1988年2月20日生まれ(30歳)
バルバドス出身。
本名はRobynRihannaFenty。
彼女の幼少期は波乱万丈でした。
父親はアルコールとドラッグ依存症で
家庭内暴力を振るっていたようです。
父親は母親やリアーナに手をあげることも
あったそうです。
リアーナは低所得者が住む地域で暮らしていました。
リアーナは学校ではクラスメイトに「貧乏」
「白人の血が混ざっているから肌が白くなっていくんじゃないの?」
といじめられていました。
イジメられたままでは、悔しいのでリアーナは
強くなることを決意しました。
軍隊に入隊しました。
軍隊では邁進し、見習いから、最終的に伍長
(軍曹の下)の位にまで昇進しました。
軍隊での経験がなかったら、イジメを
乗り越えることはできなかったのだと
思うと言っています。
何かを達成したという自信をつけることで
困難にも立ち向かえたのでしょう。
リアーナは幼少の頃から歌うのが好きでした。
その才能を発揮します。
15歳の時、友達に勧められて学校の
美女コンテストに出場しました。
ステージで、マライア・キャリーの
「ヒーロー」を歌い見事優勝しました。
さらには美女コンテストにも出場します。
ランウェイを堂々と歩くことが出来たのは
軍隊で養ったバラン感覚でした。
今のリアーナの醸し出すオーラは、子供時代に
受けた出来事が大きく影響しているように思います。
「誰にも負けない!屈しない」という気持ちを
常にもっている気がします。
それが彼女を強くしているのでしょう。
ただひとつリアーナにも怖いものがありました。
それは母親だったそうです・・・
リアーナの生い立ち~両親の離婚~
先にも紹介しましたがリアーナは複雑な家庭環境でした。
異母兄1人、異母姉2人がいました。
リアーナの父親は薬物依存症でアルコール依存症でした。
母親や子どもとの関係はとても悪かったのです。
リアーナが8歳の頃から両親は激しく口論するようになり
リアーナは8歳頃から両親の口論を聞く度にひどい頭痛に
悩むようになりました。
医者からは脳腫瘍ではないかと言われ検査をしましたが
原因がつかめませんでした。
リアーナは暴力的でアルコールとクラックと酒に
依存していた父親から自分の身を守るために自分の前に
盾を置くのが幼いころからの癖になっていました。
それほど父親の暴力はひどかったのです。
たぶん虐待の範囲だったのでしょう。
原因が分からない頭痛は心身のストレス、苦痛
恐怖からくるものだったのかもしれません。
14歳の時に両親が離婚しました。
それまで原因も分からず直すすべもなかった
頭痛がピタリと止みました。
その時リアーナは
「周囲に振り回されず私はクールでタフに生きる!」
と心に決めました。
両親が離婚したことで、母は女手ひとつでリアーナと
兄弟を育て大変な苦労をしました。
リアーナは学校ではなんとなく他人行儀で無口な存在でした。
リアーナにとっては母子家庭になり自分が母親の
力にならなくてはいけない、自分が兄弟を守る必要が
あるという重圧がのしかかっていたのでしょう。
自分の殻に閉じこもっていたようです。
一時は父子の中は不仲でしたが、リアーナが成功してからは
父親に家をプレゼントしているそうです。
それをきっかけに父子の中は改善され今は親交もあります。
父親のロナルドさんの娘への思いは大きく、2009年に
クリス・ブラウンが起こしたDV事件を知ると猛烈に怒りました。
実際にクリス邸に向かい自らの手で復讐してやろうと考えたそうです。
思いとどまったそうですが・・・・
リアーナの成功までの道のり
リアーナは6歳の頃に、国際的なポップスターに
なりたいと思うようになりました。
リアーナが15歳の時、エヴァン・ロジャースに
見出されました。
エヴァン・ロジャースが妻と共にバルバドスに
休暇で訪れている時、知人に紹介されたことが
デビューのきっかでした。
アメリカでの売り出しをエヴァンがサポートし
ジェイ・Zに見出され、リアーナは16歳で
アメリカ合衆国に移りました。
レーベルヘッドのジェイZのオーディションを
受けました。
そして、デフ・ジャムと契約しました。
リアーナはジェイZの秘蔵っ子として2005年に
デビューしました。
デビューアルバム『Music Of The Sun』は
ビルボードチャートで10位にランクインしシングル
「ポン・デ・リプレイ」はビルボードHOT100チャートで
5位を記録しました。
2006年に『A Girl Like Me』を発売し、シングル
「SOS」は大ヒットしました。
2007年に『Good Girl Gone Bad』を発売し世界で
500万枚以上を売り上げました。
シングル『アンブレラ feat. ジェイ・Z』は
世界中で大ヒットし、グラミー賞の最優秀ラップ
コラボレーション賞を受賞しました。
女性シンガーとして不動の地位を確立しました。
2008年にガン研究の支援を目的とした
チャリティユニットに参加しました。
なんと参加者は世界の有名人です。
メンバーはマライア・キャリー、ビヨンセ、ファーギー
シェリル・クロウ、マイリー・サイラス、リアン・ライムス
アシャンティ、シアラなどそうそうたるメンンバーです。
チャリティー・シングル
「ジャスト・スタンド・アップ(Just Stand Up!)」
が発売されました。
2011年にNicki Minaj(ニッキー・ミナージュ)と
コラボレーションした「Fly(フライ)」を発売しました
世界で総売上5000万枚を記録しました。
2012年に発売したアルバム
『アンアポロジェティック』は、世界43カ国で
アルバム・ランキング1位獲得しました。
「ザ・モンスターft.リアーナ」もビルボード
HOT100チャート1位を達成しました。
全米でシングル1位が多いアーティストベスト3に入っています。
2013年には、世界で最もデジタル・ダウンロードされている
アーティストとしてギネスに認定されています。
今までに6作品のアルバムがプラチナ・アルバムを
達成しています。
そしてグラミー賞を2度受賞しています。
リアーナは2012年公開の映画『バトルシップ』で
本格的女優デビューもしました。
ファッションアイコンとしても人気を確立しています。
デビュー20周年を迎えた2015年のショーでは、セレーナ・ゴメス
ザ・ウィークエンドらと共にショーを盛り上げました。
リアーナはファッション業界にも進出していてリアーナの
タトゥーをイメージしたデニム地や刺繍、スパンコールなど
6型を販売しています。
2014年にはリアーナ自身がプロデュースした香水
「Rogue Love by Rihanna」を発売しました。
l2008年2月21日に、母国バルバドスの首相デーヴィッド
トンプソンからバルバドスの名誉文化大使に任命され
この日が「リアーナの日」に制定される。
2017年2には、ハーバード大学の
「2017年人道主義者賞(ら(Humanitarian of the Year Award)」
を受賞し、ハーバード大サンダースシアターで開催された
授賞式でスピーチをしました。
2012年に「クララ・ライオネル基金」によるカリブ海周辺地域での
教育促進を目的とする奨学金援助プログラムや、故郷バルバドスにある
クイーン・エリザベス病院への多額な寄付等、様々な慈善活動を
行い、それが称えられました。
そして2015年には大麻ブランド『マリア―ナ』まで設立。
今やアメリカの大麻業界はゴールドラッシュと言われる中
若者のアイコンとして影響力のあるリアーナが元々大麻ユーザー
だったことからブランド設立。
今や唯一無二の存在としてスターだけの枠にとらわれない
リアーナの活躍はまだまだ収まる所を知らない勢いのようですね。
おわりに
悲惨な幼少期を過しながら目指し続けたスターへの道。リアーナの知人の紹介を機に一気にスター街道を上り詰めます。あのジェイZに見出された逸材として鳴り物入りでスターの階段を駆け上がったリアーナですが今となってはそれはほんのきっかけに過ぎなかったと思う程のミュージック界のアイコンとしいて様々な分野で活躍する彼女の今後の活躍に益々目が離せそうにありませんね。
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