GRAPEVINEのボーカル兼ギターを担当する
田中和将さん。
3人メンバーのロックバンドの中でも田中和将
さんは色気があると独特の色気があると言われる
男性ですがそれには彼の特殊な生い立ちに関係が
あるのかもしれません。
不安定な家庭環境と両親に振り回された幼少期を
支えたのは年齢の離れた兄と母親の友人らだったと
言われています。
普通の家庭ではない壮絶な過去を持つ田中和将
さんの生い立ちを追ってみよう~
田中和将の生い立ち~893な父親との裕福な家庭
1974年生まれの兵庫県で誕生した田中和将さんは
両親と種違いの10歳歳の離れた兄の4人家族として
誕生されました。
おそらく再婚相手の父親がヤクザだったらしく幼少期の
田中和将さんは相当その父に溺愛され、生活も当時は
かなり裕福だったそうです。
父親は違うとは言え10歳も年上だった兄にも可愛がられ
父親も外車に乗るなど田中家の家庭はいい感じの家庭環境
だったみたいです。
ちなみに母親は水商売をされていた女性だったとか・・
そんな幸せな生活は両親の離婚から一変します。
父親と別れ一気に貧困状態になり生活保護を受けなければ
食べていけない程の貧困ぶりに変化したとか・・・
小学校低学年までは『高校野球に出たい』と無邪気に言う
小学生だったそうです・・・
でも父親が家を出て正式に離婚した事によって
手のうちどころがないほどの家庭環境に転落し
そんな中母親が信じられない行動をとるのです。汗
田中和将の生い立ち~母親の蒸発で一気に貧困生活に
当時田中和将さんは小学3年生だったそうです。
その頃の両親の離婚だったようで母親は全てが嫌に
なってしまったのでしょうか?
小学3年生の次男と10歳年上の兄なので高校三年生
位の兄を置いて家を出て蒸発してしまったというのです。汗
10歳年上とは言え高校生で一番多感で将来を決める時期で
ある長男に次男をゆだねるような形で母親は忽然と姿を消すのです。
年の離れた兄はそんな中でも必死にバイトして幼い弟
との生活を支えるべく働いてくれましたがそれでも
パンの耳をかじって飢えを凌ぐ日も多々あったと言います。
そんな兄弟を見かねて母親の水商売時代の友人らが
助け舟を出して引き取ってくれたのです。
でも二人を一気に引き取れる親友などいるはずもなく
結局兄は東京へと引き取られ、田中さんは大阪の友人に
引き取られるという何とも悲劇的な状況も経験されています。
わずか小学3年生で両親の離婚と母親の蒸発は
どう考えても『母親に捨てられた~』としか考えようが
なかったのではないでしょうか・・・
田中さんが中学に進学したころ母親がようやく子供の元に
戻ってきてくれ、東京に預けられていた兄と親子三人の
生活へと戻るのですが・・・
正直いって小学3年から中学に上がるまでって3年間
程兄弟を放置していたのですよね・・・
なく無くですか。汗
酷過ぎます。
田中和将の色気はルーツに原因が?
選択の余地がない親によってその全てを左右される
子供にとって親の存在がどれだけ大きな存在なのか?
そう考えるとやっぱり子供は親を選べないのだから
このような身勝手極まり無い母の行動によって田中さんら
兄弟はかなり多感な幼少期を過ごしたと言えるでしょう。
何とも言えない雰囲気や田中さんの持つ色気はこんな
理不尽な幼少期の生い立ちが背景にあるからなのかな~と
思わざる得ない過去の経歴ですね。
またバンド結成してデビューするまでの、いわゆる下積み
時代には回転寿司、カラオケボックス、工場やラブホテル
の清掃業など様々なバイトをしてデビューまでの時期を
凌いだようです。
そんな苦労と過去の生い立ちがなんともいえない色気
と独特の歌詞となってバンドとしての成功にも至った
のかもしれませんね・・・
おわりに
壮絶な過去は両親の離婚と母親の蒸発によるお生い立ちに驚きましたが、だからこそ田中和将さんの持つ特異な雰囲気と歌手としての成功があったのかもしれない~そう思えるから何が災いするのかが分からないのが人生なのかもしれませんね。これからの益々の活躍に注目したいと思います。
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