「デッド・オア・アライヴ」のボーカル
ピートバーンズの生い立ちは壮絶な幼少期が
あったようです。
ゲイの男にレイプされた事や、繰り返し行われた
美容整形やその依存症が原因で健康障害を持ち
治療費が嵩み、亡くなっても未だに死因が謎に包まれて
いるピートバーンズ。
最後は葬儀代もなかった程生活もギリギリだった彼
の救世主となり葬儀を出してくれたのは~などピート
バーンズの生い立ちから最後までを追ってみよう。
ピートバーンズの生い立ち~壮絶な幼少期
ピートバーンズは1959年のイギリスリヴァプールに
生まれます。
ドイツ系ユダヤ人の母と、イギリス人の父の間に
生まれたそうです。
母はユダヤ人であるため、ナチス政権に迫害を受け
ドイツからオーストリアに逃げていた時にウィーンで
イギリス軍の兵士だった父親と知り合ったそうです。
兄弟としては11歳上の兄が居るそうで、兄の影響で
ビートルズなどの60年代の音楽に詳しくなったようですが
ピートの憧れはアメリカの女優や女性歌手だったそうです。
母親はアルコール使用障害の精神疾患を患っており
勤勉な父親にはその妻の堕落と言える状況が受け入れられず
半ば家庭放棄の状態だったそうです。
そのため専らピートが母親の世話をして暮らして
いたといいます。
母親の母語がドイツ語であるため、ドイツ語を話すことが
多かったピートは、周囲の子供達からのいじめの対象と
されていたようです。
少年期は美少年だったにもかかわらず、顔に酷く
コンプレックスを持っていたそうです。
全盛期には絶世の美少年と言われる程の美形だったのに・・・です。
自分の顔が気に入らず、顔に絵の具を塗ったり、勝手に
化粧するなどしていたといいます。
10代の頃から髪を染め、眉毛を剃り、奇抜な
ファッションをするようになって、学校では
浮いた存在になり登校拒否になってしまったのだとか。
そして13歳の頃に、村で有名な30代のハードゲイの
男と知り合い、それが切っ掛けでゲイクラブに出入り
するようになったのだとか。
自叙伝では、そのハードゲイの男にレイプされた事や
学校をやめて働きだしたロンドンの美容院で、後に
結婚し25年も連れ添う事になる女性リンとの出会い
なども語られています。
ピートバーンズは整形依存だった?死因にも整形が関係する?!
1980年に「デッド・オア・アライヴ」のボーカル
としてデビューし、90年代のユーロビートの先駆け
的な音楽と中世的な容姿によりたちまち人気を博し
ヒット作を連発します。
またバンドメンバーのスティーブとは同性愛関係に
あり、妻のリンとスティーブとともに3人で一緒に
暮らしていたといいます。
経済的には成功を収めたピートでしたが、幼少期から
続く自分の顔に対するコンプレックスは抜けずに
いたようです。
最初は昔から気に入らなかった鼻を整形する
程度だったそうですが、徐々にエスカレート
して儲けた金のほとんどを整形費用につぎ込む
ようになったのだとか。
待ち受けにしてある美しい顔が本来の整形前のお顔です・・・
こっちが術後なの・・・怖いです整形。汗
整形医から勧められるまま唇に打ったジェル注射が
原因で顔が変形し、死にも等しい苦しみと闘病生活を
余儀なくされたといいます。
そこから腎不全や腸障害、失明の危機などにも直面し
治療費を捻出するために世界的ヒットから得た貯金も
使い果たし、3億円の豪邸も売り払い、過去の楽曲の
著作権さえ売り払ったそうです。
その後、再生手術をした医師から
「顔が元に戻ることはない」
と告げられ、深い絶望に囚われたピートですが
その医師からの
「あなたにはまだ音楽が残っている」
との励ましから音楽活動を再開しました。
この整形事故と言える事件を面白がったテレビ局
がピートへ番組出演の話を持ってきます。
ピートは会話もまともに出来ない状態だったそうですが
「歌を歌わせる」「衣装を自分で選ばせる」という条件で
出演を承諾します。
その後イギリス中のメディアが注目する中、高級リムジンで
豪華な衣装を身にまとって会場に降り立ち、中世的な容姿と
見事な歌声で観客の度肝を抜きました。
これを機に各メディアからのオファーが相次ぎ
タレントとして見事に復活を果たします。
しかし、その後も腎結石などの健康障害には
悩まされ続け、2016年10月23日に急性心不全の
ため亡くなりました。
直接の原因が整形だとは言えないかもしれませんが
健康障害の基となったのは間違いなく整形から
くるものですよね…。
葬式代が無い事を知り、ボーイ・ジョージが名乗りを挙げる!
ピートは2014年に破産宣告を受けていました。
2015年には家賃未払いを理由に住んでいたアパートも
追い出されるという経済的困窮に陥っていたそうです。
ピートが亡くなった時には、それこそ葬儀費用も
なかったといいます。
そこで元妻のリンらが葬式費用を賄うために募金サイトを
立ち上げようとしたそうですが、それではピートが
あまりにも哀れだという声がありました。
その時、ピートの生前、ライバルだったボーイ・ジョージが
躊躇すらせずに
「僕に任せて」
「僕にピートの葬式費用払わせて」
と、救いの手を差し伸べたのだとか。
https://youtu.be/PGNiXGX2nLU
これが大ヒットとなった「デッド・オア・アライヴ」です。
当時の美しい天然のお顔もどうぞご覧くださいね。
若い頃はお互いライバル同士だったけれど、後になれば
認め合う仲になり、80年代を共にした大スターのボーイ・ジョージ
はピートからは相当大きな影響を受けており、大スターの1人が
葬儀も挙げられないのを知り、また最愛の人が亡くなったショックと
お金のないショックで遺族が焦燥している事に酷く同情して
助け船を出そうと思ったそうです。
それにしてもボーイジョーイもカッコいいですよね。
おわりに
ピートバーンズの所属していた「デッド・オア・アライヴ」はユーロビートの先駆け的存在だったそうです。最近の若い方でも、曲を聞けば、ああこの曲か!と思える曲もあるかもしれません。そもそも若い人にはユーロビートも解らない人が居るかもしれませんね…それにしてもあれ程美しい顔で生まれても美醜の好みによってあそこまで元の原型をとどめない程の顔になって亡くなってしまったビートバーンズ。既に2年ほど前ですが、心より、お悔やみ申し上げます。
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