世界最高峰の音楽賞であるグラミー賞を
これまで20回受賞しているアレサフランクリン。
女性アーティストとしては
初の「ロックの殿堂入り」を果たしており、
世界中の誰もが認める偉大なソウル歌手です。
こうして見るとアレサフランクリンは
輝かしい人生を送っているように感じますが、
実は壮絶な半生を送っていたのをご存知でしょうか?
今回は、偉大な女性アーティストである
アレサフランクリンについてをご紹介します!
アレサフランクリンプロフィール
氏名:Aretha Louise Franklin
生年月日:1942年3月25日
死没:2018年8月16日(76歳没)
国:アメリカ合衆国テネシー州
身長:164㎝
体重:48㎏
職業:シンガーソングライター、ピアニスト
活動期間:1956年~2018年
アレサフランクリンってこんな人
アレサフランクリンは、人々を圧倒する歌声の持ち主で
「クイーン・オブ・ソウル」「レディ・ソウル」
などの呼び名があります。
今でこそ偉大な呼び名を持つ彼女でしたが、
1961年にデビューしてしばらくは彼女の持ち味を
発揮できる曲に恵まれませんでした。
しかし、1966年11月にレコード会社を移籍してから
本領を発揮!
本来の彼女らしいゴスペルテイストの歌唱によって、
一気にトップシンガーの座へかけ上がっていきました。
1987年には冒頭でもお伝えしたようにロックの
殿堂入りを果たしており、2005年には名誉ある
大統領自由勲章をも受章しました。
2018年8月16日に闘病の末、すい臓ガンで
亡くなりましたが、彼女の素晴らしい歌声は
今でも人々の心に残り続けています。
お次は、そんなアレサフランクリンの生い立ちに
ついてを詳しくお伝えしていきますね。
アレサフランクリンの生い立ち~
1942年3月、アレサフランクリンは高名な牧師であり
有名なシンガーでもあるC・L・フランクリンと
ピアニストでシンガーのバーバラ・シガーズ・フランクリンの
間に生まれました。
音楽の才能があふれるアレサフランクリンですが、
それは両親のを受け継いでいたのかもしれませんね。
そして教会の子ということもあり、物心つく前から
ゴスペルに触れることが多かったようです。
また、フランクリン家のリビングにはグランド
ピアノが置いてありアレサは幼いころから鍵盤に
触れる機会にも恵まれていました。
歌もよし、演奏もよしと、とにかく音楽センス抜群の
アレサフランクリン、将来の夢や希望に満ちた幼少時代を
過ごしていたように感じますよね。
しかしアレサフランクリンが6歳の頃に両親が
離婚し彼女は父親に引き取られ、大好きな母と
離れ離れになります。
さらにその数年後には離れて暮らしていた母が
亡くなり、アレサフランクリンは深い悲しみの淵に
立たされてしまいます。
そんな彼女の悲しみや寂しさを癒したのは
聖歌隊でゴスペルを歌うことでした。
12歳になるころには聖歌隊でのソロをとるほどの
歌い手となっており、14歳の時には、父親と
「ゴスペル・キャラバン」というツアーで
教会巡りをしました。
そしてその後、デトロイトのJVBから歌手デビューを
果たし、1960年にはコロンビアレコードから正式
デビューしたのです。
それまでの間も妊娠発覚(詳しくは後述します)など
様々な出来事がありましたが、見事に歌手として
デビューしました。
アレサフランクリンの子供出産年齢12歳と15歳に絶句
アレサフランクリンには4人の息子がいます。
子供がいること自体は不思議なことではないのですが、
驚くべきは長男と次男の「出産年齢」なのです。
アレサフランクリンはなんと長男を12歳、
次男を15歳のときに出産しています。
12歳というと小学校6年生か中学1年生ほどの
年齢ですよね…
そんな年で妊娠出産を経験してるなんて驚異的です。
当初、長男の父親は「アレサの実父では?」という
疑惑がありましたが、その後、近所に住む同級生の
男の子が子供の父親であることが判明しました。
12歳の妊娠出産という異常な事態なので
身近な異性である父親が疑われるのも仕方ありませんが、
同級生というのも驚きの事実ですよね…
そしてその3年後、アレサフランクリンは
15歳のときに2回目の出産をします。
しかも長男と次男の父親は別の男性だというのですから、
思わず言葉を失ってしまいますよね(汗)
世の中の12歳から15歳といえば、芸能人や好きな
男子の話で盛り上がったり楽しく友達と遊んだり
している年頃です。
国も時代も異なるとはいえ、そんな時期に2度も
妊娠出産を経験してシングルマザーをしてたなんて
スゴすぎますよね。
時代錯誤かもしれませんが、アレサフランクリンの
生きた時代にシングルマザーと言うより父親無しでの
出産、すなわち父無し夫無しで子供を出産して育てた
と言う事実に驚愕するばかりです。
アレサフランクリン夫の壮絶DVに耐えて
先ほどはアレサフランクリンの
驚きの出産年齢についてお伝えしましたが、
初めての結婚は19歳のときになります。
夫のテッド・ホワイト氏は
元々はアレサのマネージャーでした。
きっと2人の間には信頼関係があって
それが徐々に愛に変わっていったのでしょう。
10代の身で既に波乱万丈すぎる人生を
過ごしていたアレサフランクリンですが
ようやく人並みの幸せを…と思いますよね。
でも実はこのテッド・ホワイト氏、かなりの
DV男だったのです…!
家だろうが外だろうがお構いなしに妻に暴力を
ふるい、その卑劣な振る舞いはニュース雑誌にも
取り上げられるほどでした。
テッド・ホワイト氏との間に三男はもうけていたものの
DVが原因で数年の結婚生活に幕を閉じています。
またアレサの意思を継いで歌手として活動している
のもこのテッド氏との間に生まれた三男が歌手と
して活動されているそうです。
ちなみにアレサフランクリンからしたら四男に
あたる息子さんは、このテッド・ホワイト氏と
離婚後に交際した男性との間に誕生した息子さん
なんだそうです。
それにしても生涯で四人の息子を四人の男との
間に設けてこの世に生み落とし育てたアレサは
やはり彼女の歌、同様でソウルフルでパワフルな
人生だったと言えるのではないでしょうか。
アレサフランクリンの遺産の行き先
その生涯を人権問題に関わる女性解放と
人種差別の撤回をテーマにして世界に向けて
歌い続けたアレサフランクリン。
18年8月16日に、その生涯の幕を閉じますが
彼女の死後、生前彼女が残した遺産への遺言が
掛かれている日記が発覚。
10年から14年にかけて記載してあった日記には
全てのアレサ所有の不動産はじめ財産を4人の
息子の均等に分けるよう書かれた日記が確認されて
います。
その額約8.000ドル!日本円で約88億円の遺産を
全て均等に分けるよう彼女は指示していました。
時代が時代故、恐らくは行為の意味も出産の恐ろしさも
分からないまま子供が出来て出産に至ったであろうアレサ。
12歳と15歳という日本なら現在でも全くの学生
で子供な立場でありつつも歌を歌いながら独り
子供を産んで結婚もし、離婚もして、それでも
また人を愛し、またも父親の居ない状態で4人目を
産んだアレサ。
常識的に考えたら何故?としか思えないこの
彼女の波乱の人生ですが、思うにその都度彼女は
相手の男性を愛していたのかもしれません。
そして、ひと時であれ情を交わして出来た息子
達も4人みな愛していたのでしょう。
全て父親とはひと時の情を交わして出来た息子でも
全て私の子供なのだ。と。
莫大な財産の行方が4人の息子に4等分にした
アレサと、その莫大な遺産を前に息子らは偉大
過ぎる母親の愛を改めて感じたことでしょう。
おわりに
アレサフランクリンについてのまとめは、次のとおりです。
・牧師とピアニストの両親を持ち、ゴスペルや音楽が身近な環境で育った
・少女時代に両親の離婚や母の死などを経験している
・14歳の時に「ゴスペル・キャラバン」というツアーを経た後、デトロイトのJVBから歌手デビュー
・長男は12歳、次男は15歳のときに出産している
・19歳のときに元マネージャーのテッド・ホワイト氏と初めての結婚をする
・夫から壮絶なDVを日常的に受けており、それが原因で離婚している
世界的かつ歴史的な女性シンガーであるアレサフランクリンですが、過去やプライベートがとても壮絶なものであるのがわかりますね。
そんな彼女が遺した音楽はどれも素晴らしいもので、今も人々に感動を与え、輝き続けています。
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