数々の名曲を残したアメリカのスターエルヴィスプレスリー。
近年では、その娘や孫が話題となっていますが残念な事に孫が20代の若さで自殺した事が話題となりましたね。
今回はアメリカが誇る大スターエルヴィスプレスリーの生い立ちから母親との逸話や晩年が如何にして42歳と言う早死にを招く事となったのか。
現在まで様々言われる死因にまさかの便秘もその一つとされていたエルヴィスの最期までを追ってみようと思います。
エルヴィスプレスリープロフィール
名前:エルヴィス・アーロン・プレスリー
生年月日:1935年1月8日
生誕地:アメリカ合衆国ミシシッピ州テューペロ
出身地:アメリカ合衆国テネシー州メンフィス
没年月日:1977年8月16日(42歳)
身長:183㎝
職業:ミュージシャン・俳優
配偶者:プリシラ・アン・ボーリュー
ジャンル:ロックンロール、ポップ・ミュージック
ロカビリー、カントリーミュージック、ゴスペルなど
活動期間:1954年~1977年
エルヴィスプレスリーの生い立ち~
アメリカのロックンロールミュージシャンで世界史上最も売れたソロアーティスト「キング・オブ・ロックンロール」と称され、音楽界に多大な影響を与えたエルヴィスプレスリー。
今も多くのミュージシャンに多大な影響を与え続け歴史に偉大な功績を残したエルヴィスプレスリー。
エルヴィスプレスリーは父親ヴァ―ノン・エルヴィスプレスリーと母グラディス・ラブ・プレスリーの間にミシシッピ州デュペロの小さな家で生まれた双子の一人だったといいます。
もう一人の兄弟は誕生時に亡くなっており、母親はエルヴィスに双子の兄がいたことや、
「一人が死ぬと残った子は2人分の力を得る。」という言い伝えをいつも聞かせていたと言います。
プレスリーが幼い頃には父親が不渡り小切手で服役するなどの不幸が重なり一家はかなり極貧生活を強いられたそうです。
それでも双子の生き残りとして貧しい幼少期ながら愛情をたっぷりと受けて育ったエルヴィスは、3歳の時に、
「今に立派な家を買ってあげるよ。おかずを買うお金も僕が稼ぐよ。(父母と自分用に)キャデラックは2台買うんだ。」
と母親に話し、その言葉通り10年後、故郷に家を買いピンクのキャデラックもプレゼントしています。
両親が熱心なキリスト教プロテスタントで、ある事からプレスリーも9歳で洗礼を受けています。
11歳の誕生日にプレゼントされたギターを自宅の地下洗濯部屋で練習し音楽に傾倒していきます。
1949年に公営住宅に転居、その後プレスローが13歳の頃テネシー州メンフィンスへ引っ越しますがその地が後のプレスリの歌手としての才能を伸ばす天地だったのかもしれません。
理由はメンフィンスと言う地域は白人社会ではなく、貧しい黒人の労働階級が多かった地域だったのです。
地元エリス公会堂のゴスペルショーも欠かさず見に行く程当時の黒人音楽ゴスペルにハマっていくプレスリー。
ある時欠かさずゴスペルショーを見に来ていたプレスリーが入場料が払えない事からショーを1度だけ欠席します。
いつも熱心に見に来ているプレスリーはある意味黒人社会で目立った存在だったのかもしれません。
その欠席理由を知った当時のJ・Dサムナーが事情を知りプレスリーに、こう声を掛けます。(J.D.サムナー&ザ・スタンプス・カルテット)コーラス隊
「次回からは楽屋口から入るといいよ」
つまり無料で見にくればいいよ、と許可をくれたのです。
既にハイスクールを卒業したプレスリーは精密金型会社で働いた後には、トラック運転手などをしながら音楽への情熱を捨てれずに黒人社会のゴスペルに魅了されていたのです。
この時代の黒人社会のゴスペルショーがプレスリーの音楽性に影響を与えた事は、プレスリーの生い立ちと音楽性を考えたら一目瞭然。
1950年代のアメリカにとっての黒人への人種差別は、現代とは比較にならない程の差別があった時代に歌の素晴らしさには秀でていた黒人の歌い方をプレスリーは尊敬と憧れの念を持って自らの歌に取り入れた最初の白人歌手だったのです。
白人なのに黒人のように歌うエルヴィスプレスリーの誕生です。
デビューして、まだ間もない頃当時のラジオから流れるプレスリーの歌声を聞いた人は、誰もが黒人歌手だと思っていたと言われる程だったそうです。
エルヴィスプレスリーのマザコン伝説!
エルヴィスは少年の頃、マザコン男と、周囲からかわれるほど母親の言葉を信じ、母親の意見に絶対的に従ったといいます。
彼はその後、音楽で有名になっても、何でも母親には相談し言う事をきいていました。
母親もエルヴィスに好意を持ち近づく女の子やスター女優までも遠ざけようとするほど溺愛していたそうです。
そのエルヴィスへの執着ぶりは、当時の共演者だった女優も舌を巻く程の徹底ぶりで人気女優であれ、エルヴィスには近づけないと言う一貫した態度だったと言われています。
果たして、そうした母親の態度は本当に息子を溺愛するあまりに出た行為だったのなら問題なかったのですが、どうも、母が子に思う愛情だけでは無かった事がエルヴィスの不幸だったと言われています。
プレスリーへの金銭依存が凄かった母親の評判
プレスリーを育てる愛も大きかった母親ですが有名になり瞬く間にスターダムへと駆け上がったプレスリー。
アメリカンドリームさながらの莫大な金銭を稼ぎ始めた彼への金銭依存も凄かったようです。
ハイスクール卒業後、まるで黒人のようにその歌を歌える白人として注目され、20歳でレコード録音し女性的な顔立ちに男性的雰囲気をミックスした新しい魅力のスターとしてファンが急増したエルヴィス。
21歳でツアーを回りアメリカ中を虜にしていた彼の活動一切を仕切る母親は、契約交渉からエルヴィスの女性関係まで口をはさみ出します。
息子に自分の親族の借金を肩代わりさせることもあったといいます。
エルヴィスの稼いだお金を思うままにし、息子が稼ぐと父親まで自分の仕事をやめ働かなくなったという分かりやすさ。
両親にとってエルヴィスは財産であり、彼なしでは経済的安泰を失うことを恐れていたということができます。
ですがそんな母親もエルヴィスが陸軍に徴兵されたことで不安が募り薬物やお酒に依存するようになり徴兵中の1958年に病に倒れて46歳で亡くなります。
8月に葬式を行った際もエルヴィスは母親のナイトガウンを離さず、ずっと泣いていたのだそうです。
エルヴィスにとってはやはり最愛の母親であり、なんでも理解できる人だったといえるでしょう。
プレスリーの晩年は過食症と薬物依存だった
エルヴィス・プレスリーはビートルズなどの台頭もあり人気に陰りも見えましたが、衰えることなくコンサートも年間100回以上と依然格上の存在でした。
ところが晩年はストレスから過食症に陥り、かなりの肥満体型であったといいます。
30代で既に肥満気味で体調を崩しやすかったようですが彼が毎日好んで食べたエルヴィスサンド(パンにピーナツバター、バナナ、ベーコンをはさみバターで揚げたサンドイッチ)や炭酸飲料も原因ではないかという意見もあります。
また、当時、彼は睡眠薬などいくつかの薬を処方されており薬物依存で、用法や容量などを守っていなかったことから不調になったといわれています。
プレスリーが亡くなった後、公式に「薬の誤用」「不整脈」といった死因が発表されています。
死因については他にもエルヴィスの死後、イギリスのテレビ局がプレスリーのDNAに肥満や心臓疾患の
原因を発見したと報じたことがありました。
2014年のエルヴィスのDNA解析で「肥大型心筋症」をひき起こす遺伝子が見つかったというのです。
亡くなる前に不整脈や疲労などこの病の症状があったと言われていますが、はっきりと断定はできないようです。
エルヴィスプレスリーは1977年8月16日に自宅の浴室で倒れているのを発見され、心臓発作のため42歳の若さで亡くなります。
当然唯一無二のスターだったエルヴィスの早すぎる死に、世界中で大きくニュースとなりましたが、晩年かなり不健康だったことは確かで無理を強いて活動していた事も死を早める原因だったかもしれません。
何と言っても42歳は早すぎます。
ただ冒頭でも紹介したエルヴィスを溺愛した母親が46歳で亡くなった事を考慮すると、暴飲暴食や薬依存も含め、早死にな家系だった可能性もあります。
プレスリーの死因に便秘も?
そして極めつけはプレスリーの死因に、まさかの便秘もあったことが、晩年の彼の10年間主治医を務めたジョージ・ニコポラウス博士によって明らかになっています。
1977年彼が亡くなるのを看取っている博士は、エルヴィスが「以前から慢性の便秘に悩まされていた。」
と伝え、苦しむエルヴィスに解消策として「人工肛門手術を受けてみてはどうか。」とアドバイスしたといいます。
しかしエルヴィススターのプライドが許さずこれを拒んだと言われています。
死亡の直後からエルヴィスの死亡原因については様々意見が分かれており、かなりの不調や薬物服用による不整脈が報道されています。
ですが、コレと言った一つの原因や病と言うより食や生活習慣の乱れからくる便秘も血圧上昇を招き心臓に負担をかけるため、プレスリーの死因の一つだったと考えられます。
誰にでもある便秘が意外に恐ろしい病気であり腹痛や嘔吐、ショック症状を起こすこともあるそうで大スターエルヴィスの便秘の悩みも相当のものだったことでしょう。
だって1970年代とはいえ人工肛門って普通に便秘解消の為とは言え普通ではないですよね。
いかにエルヴィスプレスリーの慢性便秘が尋常では無い、健康被害をもたらしていた程の影響を与えていたか、と言う事実にも繋がります。
こうした数々の証言から考えるとやはり便秘も死の要因の一つとなりうる、と考えても可笑しく無いのかもしれません。
おわりに
若い頃から活躍しロック界を牽引してきたエルヴィスプレスリーの生い立ちは貧しかったようですが、マザコン少年時代と言われるほど彼は母親のいいなりで何でも相談ごとをする親しい仲だったことがわかります。母親は有名になったプレスリーへの金銭依存も凄く、借金の肩代わりをさせたり息子の全てを支配していました。
晩年のプレスリーは、ストレスからの過食症や肥満、睡眠薬などの薬物依存があったとされ、遺伝性の病気や便秘なども死亡原因に挙げられています。
エルヴィスプレスリーは伝説のロックミュージシャンとして惜しまれながら短い生涯を閉じましたが、身を削ってミュージシャン人生を切り開いてきたその雄姿は永遠に語られていくことでしょう。
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