横山やすしの伝説の生い立ち~真実の姿と妻の苦労が悲しい

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横山やすしアイキャッチ

昭和を代表する漫才師として『やすきよ』コンビの
希代の漫才師横山やすしの壮絶な晩年が語り継がれる中
彼の生い立ちとは一体どんな幼少期だったのか。

伝説の漫才師のルーツとなる生い立ちや本来の
性格とは一体どんな人柄だったのか?

横山やすしを演じ続けたと言われる彼の悲劇と
その晩年まで寄り添った妻の苦労を改めて
追ってみようと思います。
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横山やすしの生い立ち~

意外にも勝手なイメージで関西人だと思っていた
横山やすしさんは高知県の宿毛市沖ノ島で誕生している。

旅館の仲居としてアルバイトで生計を立てていた
母親と、旅芸人だった男との間に誕生したのが
後の横山やすしと言われる男木村雄二だった。

当然流れ者の旅芸人、島への巡業で出会ったものの
婚姻関係には至らず横山やすしは私生児として誕生
している。

母親の姓は小川姓だったらしいが生後3ヶ月で高知県に
疎開してきていた木村家に養子として出される。

恐らくは母親も若く、女で一人での子育てに不安を感じ
当時の時代背景から1944年3月18日の太平洋戦争中という
時代からも先行き不安となり養子に出されたのだろう。

わずか3カ月で養子として出され実の母親の顔も
知らない状態で幼少期を過ごしたのだろう。

養子に出た生後3カ月以降は木村家の子息として
大阪府堺市に移り住んでいる。

恐らく母親ともこれ以降会う事はなかったのでは
ないでしょうか・・・

横山やすしの伝説

中学卒業と同時に漫才の世界を目指して高校進学
を選ばなかった横山やすしは数々のコンビを組むも
その短気な性格からなかなかコンビが続かなかった。

そんな中故横山ノックの弟子となり吉本興行に移籍する。

西川きよしとコンビを組む1966年まではアルバイトで
昼はデパート展示場の模型を作り、夜は無免許ながら
スクーターの白タクをして生活費を稼いでいた。

伝説となったのは当然『やすきよ』コンビを組んでから。

急激な漫才ブームをけん引した一人として飛ぶ鳥を
落とす勢いの人気者となった『やすきよ』の二人は

漫才の稽古でも『ビールはお茶替わりや』と言い張り
2時間で500mを3.5本空ける。

セスナを8000万円で購入するもやすしが支払った
金は800万円。

しかも無免許だったらしい・・・

競艇選手に同級生が居たこともあり舟券を買うのは
勿論ボートにも興味を持ち当時2000万円が相場の
ボートを何台も所有していた。

他にも破天荒すぎるエピソードは数々ある。

西川のりおが運転手で夜間の高速道路を走っていたとき
目的のインターを通過してしまった。

それを、やすしが「ワシにまかせ」 と運転を交代。
高速道路を1kmほどバックで戻った。

ビートたけしに車の修理を頼み、外車の為、数十万かかるも
「おおきに」と修理費6000円のみ払った。

タクシーが道を間違えたら、「変われ」と無理やり運転手を
下ろし、無免許で150キロを一般道で駆け抜けた。

花月に出演する際、近くの道頓堀川をボートに乗り登場し、
そのまま舞台に出演した。
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横山やすしの真実の性格

かなり思い込みの激しい性格だったと言われ妥協や
融通が一切きかなかった事が、数々の事件やトラブル
となって芸人としても人としても短命になってしまった。

でもそれが故に彼は横山やすしだったとも言える
と思うのが彼自身が語った言葉から垣間見える。

「わし酒やめたいねん。身体ボロボロや」

『いつまで横山やすしを演じなあかんのやろ!』

この言葉からも分かるように希代の漫才師
『やすきよ』で当時空前の漫才ブームを起こした
横山やすしは、ノリ突っ込みの激しい漫才を
いち早く取り入れた事も漫才師としての成功
の要因と言われた。

そんな激しい突っ込み担当だった横山やすしは
自身の最大のイメージ『突っ込める男』

激しくもイケイケな横山やすしを世間が求める
ままに演じてしまった。

彼を良く知る周囲の人物は、本来はとても
几帳面で臆病な人だったとその人となりを
語られている。

彼は世間が求める横山やすし像から脱する事が
出来ず、几帳面故に最後まで演じてしまったの
ではないでしょうか・・・

横山やすしの妻の苦労が悲しい

全盛期には5億の年収があったと言われ
当然長者番つけにも並ぶ勢いだった横山やすし。

でも最後は度重なる事件からの飲酒運転が
発覚して吉本興行からも完全に1996年に解雇される。

それからの暮らしぶりはまるで糸が切れたように
酒を煽り、暮らしが立ち行かず、妻はヤクルトの
配達やNHKの集金などで生活費を稼ぐ有様だった。

横山やすしが最後まで酒を断つ事が出来ずわずか
51歳で吐血して亡くなったのが1996年1月21日。
死因は「アルコール性肝硬変」。

それから12年後に横山やすしの13回忌の打ち合わせ
をしている最中に心筋梗塞となって帰らぬ人となる。

木村啓子2008年6月24日享年61歳だった。

最後まで横山やすしの事を想ってあの世へと
旅立った妻の心中とは・・・

何だか儚過ぎて悲しい・・・

おわりに

如何でしたか?横山やすしの激しくも短い漫才師としての一生と最後まで横山やすしとして生きるしか道を探せなかった本名木村雄二という男の生い立ちから晩年が実に不器用過ぎて悲しい最後でしたね。51歳若すぎます。そしてそんな男を支えた妻も心筋梗塞での61歳・・・人生は本当に儚いのかもしれません。豪冥福をお祈りします。
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