カンニング竹山の生い立ち~実家は大金持ち父の噂と相方愛が泣ける

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カンニング竹山アイキャッチ

キレ芸でブレイクして相方が亡くなってから
ピン芸人として現在ではコメンティターとしても
活躍中のカンニング竹山さん。

芸人に俳優にと活躍するカンニング竹山の実家は
かなりの金持ちだったそうです。

父親はヤクザとの噂もあり、テレビ等でもその事に
ついて語っていました。

そしてコンビ「カンニング」の相方、故中島さんへ
向ける愛も熱く泣けるものがあります。

想定外にいい奴なカンニング竹山さんの意外な生い立ちと
相方愛を追ってみよう~

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カンニング竹山の生い立ち~

 

カンニング竹山こと竹山隆範は1971年に
福岡県で生まれます。

カンニング竹山は両親と兄姉の5人家族のようです。

竹山と兄は現在東京で暮らしているそうですが、姉は
地元福岡の地元近くに残っているそうです。

竹山の姉は、何かしら理由をつけては実家にっては
母親から金を貰おうとするのだといいます。

あるとき、これを知った竹山が、姉に
「誰の金だと思ってんだ!」と怒鳴り散らした
事があるそうです。

激しく叱責された姉は反省した様子をみせたといいます。

流石キレキャラですね・・・汗

ぼーっと親に金もたかれません・・・笑

話は戻り~

プロフィールでも戸籍上でも1971年4月2日生まれと
なっていますが、実際は3月30日生まれだと本人も
話しています。

 
小学校入学のタイミングが丸々1年も違えば、子供の
頃の差は大きいものだという事で出生届を学年の扱いが
切り替わる4月2日にして出したとの経緯があるのだとか。

昔は医師や助産婦さんも気を使って4月2日にしますか?

等の問いかけを行う人も居たのだとか。

竹山さんがそうだったのか、両親がそれを望んだために
医師に頼んだのかは定かではありませんが、そういう
時代もあった、という事でしょうね。

今は医師の方も厳しく生まれたままの日付しか
出生証明書に書かないはずです。

 
福岡県早良高等学校を卒業後、上京して大学卒業後に
芸人になるつもりだったはずが、大学は不合格となり
予備校通いをしていたようです。

浪人中に小学校の同級生であるケン坊田中とコンビを組み
「ター坊ケン坊」のコンビ名でTNCオーディション番組
「第1回激辛!?お笑いめんたい子」で優勝し、福岡
吉本第1期生として所属します。

 
福岡吉本では博多華丸・大吉らと同期になるそうです。

 
しかし竹山は1年で福岡吉本を辞めて上京し、東京で
小学校の同級生中島忠幸と再会することになります。

その後1992年、中島と「カンニング」を結成して
活動を開始します。

 
所属事務所を、渡辺プロダクション、フリーフォークス
と転々としつつ現在のサンミュージックに落ち着くことに
なります。

カンニング竹山の生い立ち~父親はまさかの893?

 

竹山の父親は事業を行っていたらしく、9歳までは
非常に裕福に育ったそうです。

幼稚園へは運転手付きの白いベンツで通っていたといいます。

家のリビングには象牙やトラの敷物、火縄銃などが飾られていたとか。
 

その父親の事業も竹山が9歳の時に会社が倒産することになり
一転して借金取りに追われる生活となったようです。

この時子供心に
「人はお金が絡むと豹変する。お金を信用しちゃいけない」
と感じたそうです。

 
竹山が高校生になった頃、バブル景気に便乗して再び
父親の羽振りが良くなったようです。

しかし上京したころにはまたも経営が傾き、父親は
脳出血で倒れそのまま亡くなったのだとか。

その後に裁判所から届いた書類によると、全く身に
覚えのない13億円もの借金を背負わされている
状態だったそうです。

竹山の兄は20億円の借金だったとか。

相続放棄をする形で、その負債を免れた竹山ですが
父親がどんな会社を経営していたのかは全く
知らないとのことです。

その事から「借金はするな、保証人にはなるな」
というのが父の遺言のようなものだったと語っています。

 
しかしあるテレビ番組で父親の話題になった時に
色々な話が飛び出しています。

 
高校の頃、福岡全体を見渡せる山に連れていかれて

「あそこのビルからあそこのビルまでが明日、俺の土地になる」

と、父親から言われたことがあるだとか

18歳の時に応接間へ呼ばれると、父親がバッグから
1億円の札束を出してきて、100万円の効率のよい
数え方を教えてくれたり

「法律ギリギリが一番儲かる」

などとおよそ普通のサラリーマンとは思えない事を
父親は涼しい顔で述べたといいます。
 

その後のライブで竹山は

「父親はいま話題の黒い交際の関係者」

と告白していたようです。

ゲストのビビる大木からは

「お父さんがヤクザの竹山さん」
と言われて

「ヤクザじゃない。地上げ屋です」

と慌てて訂正する場面もあったとか。

 
この記事冒頭で触れた、誕生日の件に関しても、父親が
産婦人科医を脅して4月2日に変えさせたという報道も
ありましたね。

竹山の父親は「ヤクザ」と一括りにして良いのかは
解りませんが、強面の人たちというイメージからは
逃れられそうにありません。

これはちょっと意外でしたね。

お金持ちっていうのがね・・・

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カンニング竹山の相方愛が泣ける

 

コンビ「カンニング」の相方の中島忠幸さん
35歳の若さで白血病のため亡くなっています。

 
竹山は「中島が帰ってくるまではネタは封印する」
として、漫才ネタはやらず、仕事では必ず
「カンニングの竹山」を名乗ってきたそうです。

 
そして中島さん死後の記者会見でも

「これからもカンニング竹山としてがんばりたい」

「二人で共に培ってきたカンニング」の竹山として
芸能活動を続けているとの事です。

 相方
中島さんが亡くなった後に語った熱い想いが
コメントとして残っています。

「最初はぽっかりと、胸に大きな穴が開いてましたね」

「相方が死んだときは正直、どうしようと思ったが、別れのない人生は無い」

「立ち止まってもしょうがないので、別れを糧に前に進むべき」

「”漫才師”竹山の人生は、僕は終わったと思っている」

「僕は一度だけ、相方の死で泣きました。泣き崩れるとは、こういう事だ、というくらい泣きました」

「中島の事は、これからもずっと背負って生きていくものだと思っている」

「そういう思いをパワーに変えて、人は前に進んでいく。僕はそうやって生きて来たし、これからも生きていくのかなと思っています」

 
そして、竹山のライフワークとして年に1度行われている
単独ライブ「放送禁止」では「七回忌に当たる5回目まで中島の話はしない」
と決めていたという竹山は、ついに『放送禁止2012』で
2時間にわたり相方の死をネタにした漫談を披露します。

 
舞台ではカンニングの歴史や二人の借金の事
中島さん死後の葬儀費用や葬儀ハプニングなど
しゃべり続けました。

”死と笑い”というテーマに真っ向から向かい
愛と毒に溢れるステージは各所で絶賛されています。

 
竹山は相方の死を笑いに変えて、再び中島に光を
当てることで芸人として成仏させ、芸人としては
もちろん、俳優として活躍する時にも『カンニング竹山』
と名乗り、相方中島忠幸の記憶とカンニングの名を
後世に残し続けています。

大好きだったのですね~相方の中島さんが・・・
素敵な話です。

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おわりに

この中島さんについての漫談ライブは私も拝見しましたが、相方に向ける愛情はホント熱いものがあり、その気持ちを想えば泣けてくるけど、話自体は笑えるというわけが解らない状況になりました。見てない方はぜひDVD等で見て欲しいですね。個人的にも同じ事務所のベッキーがゲス不倫で全方位からのバッシングの最中に愛あるコメントで彼女をフォローした竹山さんがかっこ良くてファンになりましたね。是非これからもピン芸人でありながら相方の中島さんを想って益々活躍して欲しいと思います。

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