昭和を代表する大物お笑い芸人として今も
活躍する志村けん。
だいじょうぶだぁや、バカ殿様は今でも子供を
中心に大人気なんだそうです。
プライベートでは何故か加藤綾子との熱愛の噂
もある彼ですが未だ独身を貫いています。
今回はそんな大御所お笑い芸人の志村けんの意外
な生い立ちと想定外な父親が教育者だった事や哀しい
最後の様子など幼少期から若い頃の話題まで追って
みようと思います。
志村けんの生い立ち~家系に武田信玄が?
志村けん[本名 志村康徳]は1950年2月20日に
東京都北多摩郡東村山市に住む父憲司と母和子の
間に生まれました。
兄弟は長男知之と次男の三佐男がおり彼は末っ子
として育ちます。
ところで皆さんは志村という名字を聞き何か思い当たる
ことはありますか?
実は志村家の出身が山梨県とされており、志村は武田家が
あった甲府に多い名字だったそうです。
そのことから志村家は武田と何かしら由縁が
あるのかと言われています。
もう少し詳しく触れていきますと武田信玄には志村
という家臣が沢山おり、その中の一人志村又左衛門と
いう人物が志村家の祖先の有力候補として挙げられます。
武田が滅亡した後志村の祖先達は武蔵の国[現在の東村山]
に移住します。
理由は武蔵の国に入る時に通る関門を守備させる
為でした。
武田に関係するという明確な証拠はありませんが、これらの
情報から志村家と武田信玄が結び付けられているわけです。
志村けんの生い立ち~厳格な父と兄弟の末っ子として
志村けんと言えばドリフターズのメンバーとして
昭和を代表する今や大物有名人で、バカ殿様や
志村動物園など様々な番組に出演し独特の芸風で
お茶の間を賑やかにさせています。
そんな志村には二人の兄と何事にも厳しい亡き父親が
いました。
小学校教師をしていた志村の父憲司はとても厳しい
人物でした。
それもそのはず柔道五段の強さを持ち教師としての
キャリアに重きを置いた人物なのですから。
その為当時の志村家はいつもピリピリとした緊張感が
流れており、志村はそんな重苦しい雰囲気のなかで
育てられました。
いつもテレビで笑いを誘う志村のイメージとは全く違う
父親ですが、漫才や落語を見ていた時だけは思わず
笑わずにはいられなかったそうです。
こうした父親の意外な一面を知ったことで中学の時に
お笑い道を志すきっかけになります。
前述したようにお笑いを見る時以外には暗く厳しい
父親とは打って変わり志村は落語や漫才が大好きで
よく笑う明るい子供でした。
しかし突然父親がバイク事故で倒れたと知らせが入ります。
全身打撲と骨折をしたものの命に別状はなかった
父親ですが、事故の後遺症なのか三年後には脳にある
記憶を司る部分に異常が見つかります。
厳格な父親のあまりの変わりように流石の志村も
狼狽していたかもしれません。
その後は母親が一家を支えることになり上の兄二人は
公務員に就くことになったわけですが、末っ子の志村は
そうした普通の人生を送るのがつまらないと考え
そのままお笑い芸人を目指します。
あの有名なドリフターズのメンバーになりたいと
思ったのは高校生の時で、初めて公演を見に行った
時は会場の雰囲気を肌で感じ取り興奮したそうです。
そこでドリフで師匠となるいかりや長介に何度も必死に
頭を下げて弟子入りします。
最初は荷物持ち等の雑用をこなしていた志村ですが
先輩方の芸を観察するうちに自分だけの芸風を
考えていきます。
人間観察をするのが得意な彼ですから、意外と
良いところを上手く取り入れたんじゃないでしょうか。
実際に大人気になったのは東村山音頭という幼少期から
よく聞いていた曲で勝負に出たからです。
いかりやなど先輩方も賛同したほどの曲は、それは
それは凄い人気で東村山音頭とい言えば志村あり!!
とまで志村の名を世間に広めます。
こうしてドリフターズのメンバーとして人気を
博した志村ですが、そこに亡き父親の大きな影響が
あったことは事実でしょう。
志村けんの父親の晩年が悲しい
志村の父親は交通事故で後遺症を負ってから
何度も入退院を繰り返すようになります。
そして彼がドリフターズに入ろうと本格的な
活動を始める頃には父親は、記憶障害の影響で
街を徘徊するようになっていました。
勿論そのことや家を支える母親のことが心配な
志村でしたが、ドリフターズに入るには今しかない
と思い立ち父親にも何も告げず家を飛び出します。
後にそのことを知った父親はどう感じたのでしょう?
何故不安定な道に進むのか心配だったのかもしれません。
記憶障害がなかなか治らない父親は自分の子供に
[どちら様ですか?]と聞いたり、食事をしたかも
分からないぐらい症状が進行していました。
それでもある程度は志村のことを分かっていたようで
彼がドリフターズに入団することは最期まで認めて
いませんでした。
ですがやはりそれは親子で密かに息子の活躍を
喜んでいたのかもしれませんね。
おわりに
志村けんが栄光を掴むまでには様々な苦労があったんですね。父親が後遺症になったりいかりや長介の元で厳しい修行をしたりと・・・それでも夢を諦めなかった彼は尊敬に値すると思います。
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