お笑い芸人の生い立ち

ノンスタイル石田の生い立ち~実家の両親は無敵?壮絶貧困エピに泣く

ノンスタイル石田の生い立ち~実家の両親が無敵!壮絶貧困エピに絶句 お笑い芸人の生い立ち

お笑いコンビ・ノンスタイル(石田明、井上裕介)は『M-1グランプリ2008』で優勝したのをはじめ、数々の受賞歴を持ち活躍中ですが、その石田さんが、1月29日放送の「人生最高レストラン」(TBS系)などで、その貧乏過ぎの生い立ちを語り大変話題になっています。

ノンスタイル石田さんの生い立ちにまつわる様々なエピソードが泣けると評判で、両親の無敵キャラエピソードも注目されています。

ノンスタイル石田の生い立ち、貧乏過ぎる実家の両親キャラが無敵をお伝えします。

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ノンスタイル石田プロフィール

氏名:石田明(いしだあきら)(NON STYLE)
生年月日:1980年2月20日(41歳)
出身地:大阪府大阪市
所属:吉本興業
身長:173㎝
体重:49kg(2021年時点63㎏)現在ダイエット中で57㎏が目標
職業:お笑いタレント(NON STYLEのボケとネタ作り担当・相方は井上裕介)、俳優、演出家、脚本家
両親:石田信行、石田みや子

ノンスタイル石田の生い立ち~実家での貧困生活

NON STYLE・石田明が、1月29日放送の『人生最高レストラン』(TBS系)で、子供時代の壮絶な貧乏生活を語り話題になっています。  

石田さんは、6人家族の末っ子で、大阪府の市営住宅で暮していたそうですが、貧しい上に奇妙な同居生活を明かし世間を驚かせています。

元々父親は板前でしたが、オーナーと喧嘩するたび給料をもらわずに帰ってくるような破天荒なキャラクターで、それでいて家族もいるのにギャンブル三昧だったそうです。  

その暮らしぶりも両親ときょうだい4人の合計6人家族で、家賃4万2000円の3DKの市営住宅に暮らしていたが、「お金がなくて払えなかった」というエピソードがあります。

決して6人家族が暮らすのに高いとは言えない4万2000円の家賃ですが、その家賃さえ支払うのに四苦八苦する始末だったようで、挙句の果てに両親が家賃削減の為思いついての行動は、なぜだか見知らぬシングルマザーと子供2人の3人家族と同居し、家賃を折半することにしたのだとか。

3DKの間取りは5畳、6畳、4畳半で石田曰く「結構広めやったと思います」と豪語、でも結局家賃のやりくりに困った両親が出した結論は、その間取りで6人家族にも関わらず5畳の部屋をシングルマザーに貸しだしたそうです。

それだけでも驚きなのですが、その後それでもやりくりが、しんどくなった石田家は、驚く事に、その後更なる家族として他のお婆さんも加わり3家族で3DKの市営住宅内で共同生活を送っていたのだそうです。

3DKに3家族です。しかも石田家は両親と兄弟4人の6人家族、正直メチャクチャですよね。

明治や大正時代ならイザ知らず、1980年生まれの石田さんの年代では、ちょっと聞かないレベルの超貧困エピソードではないでしょうか。

ただ、そんな壮絶な実家での超絶極貧な生い立ちでさえ石田さんは「シェアハウスです。『テラスハウス』の走りと思ってもらったらいいです」と苦笑。

当時、石田によると、父は「インコは金になる。繁殖がボロい」とインコを育てて売ろうとした。だが「インコのせいで、子供が全員ぜんそくになった」と失敗に終わったことを話しています。(引用:ヤフーニュース)

父親がどこからかシングルマザーと子供2人を連れてきて同居し、家賃を折半していたとはびっくりですね。

「同番組で石田さんは、食事について、茹でたもやしが多く、一番豪華な夕食は『白菜と豚肉を炊いたもの』で『初めて食べたときはホンマ感動しました』と回想していました。 『基本的に塩、こしょうとか調味料も同じアパートの住民に借りに行って。兄弟がバラバラに行くと(相手も)断りにくい』と近隣に借りに行っていたという。  一度だけ父親が働いている店の系列のレストランへ行き、ハンバーグステーキを食べたものの、当日になると緊張とストレスで兄弟全員が口内炎に。それでも石田さんは『痛いけど、うまくて』と話していました」(ヤフーニュース:引用)

他にも給食のパンに付けるジャムやマーガリンを我慢して食べずに、持って帰り近所の業者に売って小遣い稼ぎしていたとか。

ノンスタイル石田の家にはテレビが無く、中学の途中でお父さんが粗大ごみから持ってきた、コンセントのないテレビを「飾ってる時期があった」などその極貧エピソードの数々にあぜんとしますね。

ノンスタイル石田の生い立ち壮絶貧困エピに泣く

ノンスタイル石田さんの幼少期の実家での生い立ちエピソードが壮絶過ぎて泣けるといった声が多くみられます。

前述のシングルマザー家族とのシェアハウスの様子は、周囲の驚きと極貧エピソードの最たるものとして世間をあっといわせました。

またノンスタイル石田さんは、「小学校1年生の頃、僕は喘息に悩まされていた」と子ども時代を回想しています。

貧乏な家にペットを買うお金などあるはずがないはずだったのですが、父親が知り合いに土下座して譲ってもらった7羽のセキセイインコを飼ったことがありました。

インコを育て売ろうという無謀な父のはからいのおかげで、一家は喘息に。

石田さんは鳥かごの掃除を担当して可愛がっていましたが、うっかり逃がしてしまったところインコの羽が原因だったらしく、それから喘息が治ったのだとか。

他にも子供の頃の遠足のお弁当が蓋を開けたら「食パン2枚だった事」
高熱を出し学校を休みたくても「給食を食べないと勿体ないと休ませてくれなかったこと」
もやし、だけの鍋を鍋料理・すき焼きだと思い込んでいた事
学校の音楽の時間に必要なリコーダーが買ってもらえず手作りだった事
夏休みの宿題である絵日記をどこにも行ってないのに「想像で書いた事」

こうした極端な食生活の貧しさから、石田さんは早くから骨年齢は72歳、血管年齢は73歳と診断されたのだとか。

そして貧しさにテレビも置けなかったノンスタイル石田さんは、なんと中学生頃までドリフターズやダウンタウンといった“お笑い”を知らず、吉本興業の劇場で初めて芸人を見たというからびっくり。

中学生頃までテレビ番組を見たことがなかった石田さんは、姉から吉本興業・心斎橋筋2丁目劇場に連れて行かれ初めてお笑いを見て、最初に登場したお笑いコンビ・シェイクダウン(久馬歩、後藤秀樹)に「こんなにおもしろい娯楽があるのか」と衝撃を受け、なかでも久馬(現・お~い!久馬)に憧れて「この人みたいになりたい」と思ったのだとか。

ノンスタイル石田さんは、自身のお笑いの原点についても以下のように語っています。

シェイクダウンは2000年に解散したが、お~い!久馬はお笑いユニット「ザ・プラン9」のリーダーとして活躍しています。

石田明は『人生最高レストラン』で「僕はずっと久馬さんを追いかけているだけ」とリスペクトしており「僕を変えてくれた人であり、久馬さんがいなければこの世界に入っていないし、演劇なんか絶対にやってない」とも話していた。

今ではオリジナル脚本・演出を手がけるセリフなしの新感覚舞台『結 -MUSUBI-』(2022年2月4日開幕)が注目されるまでになったのは、久馬を追い続けた影響かもしれない。(エキサイトニュース:引用)

極貧ゆえにテレビでなく、劇場で始めて生のお笑いに出会うことができたことが、彼の人生につながるとは、まさに運命的なものを感じますね。

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ノンスタイル石田の父親がヤバ過ぎ無敵キャラ

ノンスタイル石田の父親のヤバ過ぎ無敵キャラが注目を集めています。

1月25日、テレビ朝日「徹子の部屋」で石田家について話が及ぶと、相方の井上裕介が「ここのお父さんのほうが荒くれものというか、昭和に家に帰ってこないタイプの親父やった」と話し、石田も「やっと帰ってきたと思ったらお金もっていく、みたいなそんな感じ。僕は貧しかったので」と苦笑した。(ヤフーニュース:」引用)

ギャンブル三昧で、家賃も払えないのに、シングルマザーと同居など、どう見ても破天荒すぎな父親ですね。

「人生最高レストラン」でも石田さんは父親について

「マジで親父信じれんほど強かったんですよ。マジでメチャクチャ怖くて。うちのきょうだい、反抗期ないんですよ。ずっとみんな敬語でした」。キャッチボールは1回したことがあるが、「子どもに投げるスピードじゃないです。それで終わりました『なんやお前下手やの』言うて」。(スポニチアネックス:引用)

芸人になってからも父親が作った借金の返済が原因で”うつ”を発症して一時は本当に症状が酷い時もあり、家のベランダに自殺防止のネットを張っていた時期もあったのだそうです。

その後ブラックマヨネーズの吉田さんなど芸人仲間に、そうした悩みを吐露する事で何とか酷い症状から回避され復活をしているようですが、父親のあまりの破天荒さに、幼少期から振り回されているのも確かなようです。

無敵キャラ全開の父親ですが、それでもお笑いという夢に出会い目標として頑張っているノンスタイル石田さんをずっと応援してくれているようです。

ノンスタイル石田の母親も無敵キャラ

父親と同様に、ノンスタイル石田の母親も無敵キャラといわれているようですね。

石田は「(母親は)明るかったですけど、貧しかったんで、言うことがちょっと変ですよね」と回顧。

「中学の時に成績がよくなってきたんですよ、普通母親だったらほめるのに、オカンが言ったのは『あんた、まさか高校行く気ちゃうやろな!』って言ったんです」と驚きのエピソードを披露。

さらに「僕が『プラモデルがほしい』ってねだったら、『分かった用意したるわ』って言って、次の日ぐらいに、大量の段ボール箱を持ってきて、『プラモデルだから好きなだけ遊び!』って言って…。僕は遊んでたんですけど、後々気付いたらただの内職やったんです。内職をずっとやらされていたっていう」と苦笑いを浮かべた。(ヤフーニュース:引用)

父親同様、面白すぎるほどのツッコミを見せる石田さんの母親、それに抗うでもなく乗っかってしまう石田さんもなんだかおかしいですね。

無敵キャラの両親のおかげで、極貧でも常に明るく前向きに強く育っていったことが伺えます。

1つ間違えると両親を逆恨みしても可笑しく無いレベルの、生い立ちではありますが、それでもそうした極貧生活を糧にして面白がって過去を話しお笑いに生かしているところが石田さん本来の人の良さを感じてしまいます。

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おわりに

お笑い界の人気者ノンスタイル石田さんの生い立ちは、意外なことに想像を絶する貧乏過ぎの子供時代でしたが、自らの努力と持ち前に人の良さで今では実家での極貧生活ぶりをネタにして売れっ子芸人として活躍しているところが素晴らしいですね。
明るい両親の無敵キャラも今となてっては自分の追い風として受け止めているところも人の良さが感じられて応援したくなってしまいます。
テレビがなかった極貧のおかげで、劇場に出向くという劇的なお笑いとの出会いや、それを胸に刻み研鑽を積む石田さんのひたむきな思いが胸を打ちます。


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