
来年18年の大河ドラマ「西郷(せご)どん」が
決定してまたも注目を集めるエッセイや作家として
活躍する林真理子。
彼女のエッセイや本などから醸し出す人となりと
野心の持ち方にはいつも感銘を受けていますがこれには
大きく彼女の母親や家族との生い立ちにも関係があると
思います。
夫との関係や愛すべき一人娘小説家としての地位、全ての
女性が欲しがるモノを持った彼女のこれまでを追ってみよう。
Sponsored Link
林真理子プロフィール
林真理子(はやし まりこ)
生年月日 1954年4月1日(62歳)
出身地 山梨県山梨市
教育 学士(芸術)
最終学歴 日本大学藝術学部文芸学科
林真理子の生い立ち~書店経営の母
大正4年生まれで今ご健在ならちょうど100歳の
母親と銀行員だった父の元母親が38歳の時誕生
した林真理子。
彼女の原点となったのがこの母親です。
戦前のこの大正時代に今で言う大学(女学校)
まで卒業した母親はとても優秀な女性で戦前は
教師として、その後は出版社に勤務した女性です。
時代はまだ戦前の混沌とした時代、そして戦中、
戦後も体験しながら戦勝招集を掛けられて満州
から終戦後も帰ってこない夫。
食べる為に母親の実家で書店を始めた母の元に
父親がかえってきたのが8年もの歳月がたっての
事だったそうです。
出典:laughy
そこで誕生したのが林真理子と、翌年には彼女の
弟も誕生します。
彼女の言葉によると当時としては破格に教養の
深かった母親と、終戦後も満州の地で享楽的に
毎朝、中国共産党の歌を歌う父が合う訳がなく
どうして離婚しないのか不思議なくらいだったそうです。
(野心のすすめ)引用
母から言われた言葉はこうでした
『私らの時代は十の努力しても戦争のせいで三しか狙えないけど、
あんたらの時代は二十でも三十でも狙えるよ。』
子供の頃母から見せてもらった1枚の写真にも
衝撃を受け、それが反面教師にもなったんだと。
写真の中の女性は颯爽と毛皮を着て帽子をかぶった
とてもお洒落な女性だったそうです。
これが母親が出版社に努めていた時の写真だった独身時代
の写真だそうです。
この衝撃が彼女のこの後与えた影響は測り知れなかった
と人生の無常を感じた~と思ったそうです。
Sponsored Link
林真理子のイジメ脱却法とは~
とは言え学校では壮絶なイジメにあっていた彼女。
それは現在の彼女からは想像できない卑劣で壮絶
なイジメでした。
「椅子の上に剣山を置かれたり」
「画鋲(がびょう)を載せた手を握らせる」
『林真理子を泣かせる会』と、どんどんエスカレート
するイジメっ子たち~
これらのイジメを懸命に書店で働く母親にはどうしても
言えなかったと言います。
心配かけるから・・・
そこで打って出たイジメ脱却法が彼女らしい「新規まき直し法」
で当時のイジメっ子らを出し抜く方法を思い付くのです。
当然イジメっこはクラスの中でも成績の悪い子ばかり
そんな同級生と絶対同じ高校に行きたくない彼女は
中学3年だった事もあり担任に頼み込んで、当時の成績
では到底無理だったらしいのですが、
「いずれ大学に行くから日川高校に行きたいです」
こう言い切っり内申書のあて名を書き換えて
貰ったと言います。
手段を選ばない”抜け駆け作戦”戦法に売って出て
見事成功した彼女は高校では、信じられない位楽しい
学校生活を送れ凄い人気者となったそうです。笑
林真理子の夫に尽くすのは母親譲り
その後の快進撃は彼女位有名作家なら今更でしょうから
割愛させていただいて、作家としても大成功を収めた
彼女がもう一つ絶対に欲しかったモノはやっぱり旦那と
子供です。
出典:http://aoba-mama.com/903.html
全てを手に入れたい林真理子の旦那との結婚は36歳の
時お見合い結婚でサラリーマンの東郷順さんと結婚されます。
子供も紆余曲折ありながら見事に44歳で初出産。
一人娘は現在高校3年位かな?彼女が44歳で出産してる
から現在62歳の彼女からしたらちょうど卒業で来年が
大学生ですね。
話は戻って旦那様とっくにリーマンショックの煽りで
リストラとなって退職されてます。
ヒモ旦那とか揶揄する世間の声などどこ吹く風で
彼女自身がエッセイの中でこう豪語しています。
「林家は代々男に貢ぐ」
かなり潔くって大好きですね。
Sponsored Link
おわりに
指を食わえて「してもらったり、貢いでもらったり」が当然の女性が多い中、いやいや「私が稼げますから~」と言わんばかりに高級車をポンポン買い与える林真理子。甲斐性あるよねぇ~さすが林真理子「野心のすすめ」是非為になるのでお勧めですよ。来年の「西郷(せご)どん」も今からかなり楽しみですよね。
この記事へのコメントはありません。