樋口一葉の生い立ち~壮絶借金生活と代表作までや早すぎた死因とは

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樋口一葉アイキャッチ

5千円札の人で皆様ご存知の樋口一葉は
幼少期から成績優秀であったけれど、父親の
事業失敗から一転借金生活となったといいます。

そんな生活の中で小説家として残した名作の
たけくらべや十三夜などが有名ですね。

数々の名作を残し確かな才能がありながら早すぎた死
その死因までを調べてみました。

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樋口一葉の生い立ち~借金生活

 

樋口一葉は1872年に東京府(現在の東京都)の
長屋に生まれます。

 
本名は「樋口奈津」と言います。

「一葉」はペンネームだそうです。

 
両親と5人兄弟姉妹の次女として生まれたました。

父親は農業よりも学問を好み、母との結婚が
許されなかった為、駆け落ち同然で江戸に
出て来たそうです。

父親は、江戸で幕府直轄の洋学研究教育機関の
藩書調所で使用人として働き、その後は運よく
幕府直参となって、不動産売買斡旋などを副業
として生計を立てていたそうです。

 
その父のおかげで、一葉は少女期までは中流家庭で育ち
小さなころから読書を好み、7歳の時には『南総里見八犬伝』
も読破したと伝えられています。

 
1881年には市立青海学校の高等科第四級を主席で
卒業するほどの優れた学力をもっていましたが、母の
「女に学問は不要」というポリシーのために、それ以上
進学することができませんでした。

あまりに落ち込む一葉を見た父親から、中島歌子の
「萩の舎」に入門させてもらい、和歌や古典文学を
学ぶ機会を得ます。

その頃から法律も学び、自由民権運動に参加していた
渋谷三郎と結婚の約束をしたそうです。

 
しかし、父の借金によって状況が一変し、この約束は
破談となってしまいます。

 
一葉が15歳の時に兄が亡くなり、次いで17歳の時に
父の事業が失敗して多額の借金を残して亡くなってしまうのです。

 
また、文豪夏目漱石との縁談もあったといいますが
同じ理由でまさかの金が無い等の理由で立ち消えて
しまったのだとか。

当時の男どものなんとも世知辛くリアルな損得勘定だこと・・・

その事実を知ってまだ今でいう所の小娘だった一葉は
どれほど自分の人生を悲観した事でしょう・・・

想像に容易い程の屈辱と絶望だったのではないでしょうか。

そんな中でも一葉は17歳で樋口家を支える事になります。

母と妹は、針仕事や洗濯などで収入を得ようと
していましたが、一葉は元婚約者の自由民権運動や
男女平等思想の影響を受けていたために、当時では
当たり前とされていた女性特有の針仕事などの仕事に
興味が無かったそうです。

 
一葉は「萩の舎」に見習いとして住み込みで
働くことになります。

そして同じ見習いの三宅花圃が小説を書いて収入を
得たという話を聞くと、一葉も迷うことなく小説
を書くことを始めます。

 
19歳になった一葉は、プロ小説家を目指して大手新聞社の
専属作家半井桃水の許で勉強し、20歳で「闇桜」を書いて
念願の小説家デビューを果たしました。

 
半井は借金返済に追われる一葉の生活の面倒をみるという
心優しいイケメンだったそうです。

一葉は恋心を抱いたそうですが、当時の社会では
結婚前提ではない男女交際はタブーとされていたため
泣く泣く半井の許を去ったそうです。

 
その後、半井は小説を書きつつ雑貨屋を始めて生活して
行く一葉に、出版社の大橋乙羽を紹介します。

この出会いが、天才女流作家樋口一葉を
生み出すことになります。

天才女流作家樋口一葉として駆け抜けた代表作

 

1892年3月『闇桜』のデビュー作から1年に
3-6作のハイペースで書き続けます。

 
1894年『おおつごもり』、1895年『たけくらべ』を
発表し、この『たけくらべ』が森鴎外や幸田露伴らから
絶賛され人気作家として頭角を現していきます。

 
同じく1895年に『ゆく雲』『うつせみ』『にごりえ』
『十三夜』と連続発表し文芸評論家から絶賛を受けています。

『にごりえ』『たけくらべ』は1950年代に映画化され
読書に興味がない人にも広く知られる事になったと思われます。

メキメキと頭角を現し始め世間にも認知されてきた矢先に
またも悲劇が一葉を襲います。

確実に売れ始めた頃、既に当時は治療法が無かった肺結核
進行しており、1896年11月に24歳の若さで亡くなりました。

一葉の作家生活は、たったの14か月だったといいます。

死後の1897年には『一葉全集』『校訂一葉全集』が刊行されました。

何と不出世の短命な作家だったことか・・・

悲しい程悲運の人。

それが一葉の短い生涯だったのかと思うと同じ同性ながら
悲しくなってしまう程の短命さと悲運さではないでしょうか・・・

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樋口一葉が民間女性で初!?お札の肖像画に選ばれた理由

 
樋口一葉は、2004年に5千円札の肖像画として
選ばれました。

「民間」女性では初の抜擢!と「民間」と強調
したというのも、日本初の紙幣肖像画に神功皇后
(じんぐうこうごう)がいらっしゃいます。

この紙幣が1881年に発行され、女性第1号と
いうことになりますね。

つまり女性では二人目となります。

この間123年です。

他にも偉人は多くいる中、なぜ樋口一葉が選ばれたのか。

ちょっと気になりますね。
 
日本では「男尊女卑」という、今となってはあまり
良い響きではない言葉があります。

これを真っ向から止めようとする法が1999年に
公布施行されました。

「男女共同参画社会基本法(法律第78号)」
 
が、それです。

男女平等を推し進めるべく施行された、男女が
互いに人権を尊重し合い、能力を充分に発揮
できる男女共同参画社会の実現のための法律。

とされています。

それまでは、一般的モラルというか、考え方として
男女平等を主張される事しか無かったですが、明確に
法によって男女平等を謳うものでした。

 
男女平等は良いことだと思うのですが、反面この法律
規定によってフェミニストたちの発言力が強くなって
混乱を招くという事態もちらほら見かけることになりましたね。

この頃からどんどん女性議員も登場し、男女共同
参画社会という形が目に見えて来た2004年、日本の
紙幣肖像画を刷新することになります。

 
この刷新機会ですが、この2年前には、紙幣の肖像画には
何とか女性を起用しよう!という事に決まっていたそうです。

樋口一葉がお札肖像画に起用された理由の一つが
この法案ですが、もう一つ理由があるのです。

それが「偽造のしにくさ」という面です。

皺やヒゲが多い男性肖像画の方が複雑な絵面となって
偽造するのが困難になるため、男性肖像画の方が
好ましいとされていたようです。

それが印刷技術の向上と、先述した法案との兼ね合いから
女性肖像画でも十分対応可能という事で、女性起用と
なったようです。

もともと、その人間性と実績が評価されて、樋口一葉が
紙幣肖像として候補には挙がっていたことがあったそうです。

しかし偽造の観点からその当時は見送ることになったのだとか。

 
男尊女卑、男女平等、などの大衆意識と、本人の人間性実績
印刷技術、それらの総合的な理由からの抜擢だったという事ですね。

それにしても死してからの偉人扱い・・・

生きているからこその人生なのに~儚く悲運で短命だった一葉の
無念さはいかほどだったのでしょうね・・・

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おわりに

あまりにも短い作家生命でしたが、驚異的なスピードで名作を世に出した樋口一葉、後の法案の男女平等を当時に意識して活動されていたという事からも、芯が通った女性という印象を抱きます。これからの紙幣にも女性肖像画が増えていくと思いますが、次は誰が抜擢されるのでしょうね。お札の肖像画となると、「絵」ではなく「お金」という意識が強くなるため、バックストーリー等は注目され辛いかもしれませんが、そこにも注目すると興味深い話に触れる機会になるかもしれません。

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