太宰治の生い立ち~5度の自殺に死因も驚愕の人間失格な恋愛名言

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太宰治アイキャッチ

「走れメロス」「人間失格」などで知られる
文豪太宰治は名士の家で生まれ、幼少期は
優秀な成績を修めていたそうです。

38歳という若さでこの世を去ることとなった
太宰は5回も自殺を行い、それら自殺を題材にした
作品も多い中、多くの恋愛に関わる名言も
残していました。

死して尚語られる過去の文豪太宰治の生い立ちと
儚くも短い生涯を作品や名言から追ってみようと
思います。

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太宰治の生い立ち~幼少期の文豪は開校以来の秀才!

 

太宰治は、1909年に青森県津軽郡
金木村で生まれます。

県下有数の大地主であった津島家の
六男として生まれ、両親に居る11人の
子女のうち10番目
だったそうです。

この時代には珍しくありませんが
大家族ですね。

父親は県会議員、衆議院議員なども務める
名士であり、津島家は「金木の殿様」
呼ばれるほどだったのだとか。

しかし母親は病弱だったため、太宰治を
育てたのは乳母や乳母が辞めた後は叔母と
女中だったそうです。

 
小学校では、津島家の子弟は実際の成績に
関係なく、全て「甲」が付けられていたと
いいますが、太宰治は実際の成績も良くて
開校以来の秀才と呼ばれていたといいます。

旧制青森中学校に在学中の17歳の頃『校友会誌』
に習作である「最後の太閤」を書き、友人と同人誌
『蜃気楼』を12号まで発行しています。

この頃から作家を志望するようになったそうです。

旧制弘前高等学校に優秀な成績で入学します。

当時の弘前高校は全寮制であり、1年次は自宅
通学以外は寮生活をするという決まりだったそうです。

それでも彼は、母の考えもあり病弱と偽って
下宿生活をしていたといいます。

太宰治は学生時代から自殺未遂が闇過ぎる?

下宿生活を続ける中、ある夏休みに金木への帰省中
芥川龍之介の自殺を知り衝撃を受け、弘前の下宿に
戻った後はしばらく閉じこもっていたといいます。

この後も同人誌を発行したり懸賞小説に応募したりと
執筆活動を行いますが、「改造社」への懸賞小説への
応募に落選した後、カルモチン自殺を図っています。

自殺未遂の理由については、太宰本人は自分の
身分と思想の違いとして語って居ます。

でも、この自殺未遂後に弘前高校の左翼学生が
相次いで逮捕されるという事件が起きており
島津家から事前に情報を得ていた太宰が逮捕を
免れるために自殺未遂を起こしたのではないか~

との見方もあるそうです。

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太宰治の自殺歴5回のメンタルがヤバい!?

太宰は、前述の20歳時の自殺未遂騒動の後にも
度々自殺未遂を繰り返すことになります。

2回目は21歳の時、島津家から分家除籍された
直後に広島出身の銀座バーホリウッドの女給と
鎌倉の海岸で心中を図っています。

太宰だけは療養所へ収容されましたが、女給は
既に亡くなっていたとのこと。

3回目は26歳、東京帝国大学を落第し、新聞採用
試験失敗の後のこと。

鎌倉八幡宮で首を吊ろうとしたようです。

しかし紐が切れて失敗に終わっています。

同年に腹膜炎の手術を受けた時、入院中に鎮痛剤として
パビナールの注射を受けますが、以後中毒となっていました。

その中毒が酷くなり薬を得るため妻の初代の
着物を質に入れたり借金をして歩いていたといいます。

その中毒治療のために強制入院させられますが
その入院中に妻の初代と津島家親類の画学生との
不貞行為を知らされ、妻初代とカルモチンによる
心中を図ります
が、これも未遂に終わり妻初代と
離別します。

これが4回目で29歳の時でした。

そして最後5回目は太宰治38歳の時、服毒して
玉川上水に入水して自殺。

遺体発見は6月19日だったそうで、この日は
太宰治の誕生日であったそうです。

度重なる自殺行為でしたが、全てが全て
死ぬつもりがあったわけでは無いだろう
という見解もあります。

 
それは5回目の本当に死ぬことになった
自殺以外の4回についての考察で、共通
している事は、全て生家との関係が絡んで
いたと言われている事。

どの自殺未遂も太宰本人が決定的な自殺方法を
採っていない事。

事件後にはこれらを題材としたとみられる小説を
書いている事などが挙げられています。

実際、長女が生まれてからは一度も自殺未遂を
しておらず、敢行したのは最後の最後、本当に
命を絶った5回目だけであることも、この見解
理由に挙げられています。

小説の題材の為だったにしても2度目の女性との
自殺は相手女性だけ亡くなっている事も考えると
かなり迷惑な話で正直現代でいう所のメンヘラ
だったのでしょうか・・・

流石に精神状態が普通とは思えません・・・

太宰治が残した恋愛名言!

 

ここまで記事にしてきたのは自殺未遂の話が
多くありましたが、太宰治には確かに自殺を
テーマと絡めた作品が「魚服記」「学生郡」
「苦悩の年鑑」「葉」「道化の華」「虚構の春」
「狂言の神」「東京八景」「人間失格」「姥捨」

など多くあります。

 
しかしこれらの作品の中にも登場する太宰の
名言といえば、恋愛に関する名言も多く残されています。

それらの一部を少しご紹介します。

「恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意志だと思う」

「てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ」

「人は、本当に愛していれば、かえって愛の言葉など、白々しくて言いたくなくなるものでございます」

「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」

「愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない」

「愛することは、いのちがけだよ。甘いとは思わない」
 
などが有名ですね。

自殺を題材にすることが多くあった太宰の
言葉として、生と恋愛についてを思わせる
言葉が多くあるのも印象深いところです。

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おわりに

38歳という若さで自ら命を絶った文豪太宰治。その作品は今でも愛され評価されるものが多くあります。生について、愛について、読んだ人にもそれぞれの捉え方があると思いますが、まだ太宰作品に触れたことが無い方、読んで共感できないところがあるのは当然とは思いますが、色々な考え方があるのだという気持ちを持った前提で読まれてみてはいかがでしょうか。

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