芥川龍之介の生い立ち~狂人の母と死因の関係に恋文の名言が泣ける

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芥川龍之介アイキャッチ

数々の作品を残した中でも「鼻」や「芋粥」「蜘蛛の糸」
「地獄変」などの多くの小説を残す芥川龍之介。

彼の生い立ちを調べてみれば、狂人となった母や
自身の養育先となった養父母の家での環境がその
作品や死因に大きな影響も与えていたようです。

そして龍之介が残した数々の名言などを生い立ちと同時
にご紹介します。

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芥川龍之介の生い立ち~叔父の養子となって芥川姓に

 

芥川龍之介は1892年に東京都で生まれます。

牛乳製造販売業を行う新原家に生まれ、姉が
二人居たそうですが、長姉は龍之介が生まれる
1年前に6歳で病気により亡くなっているそうです。

また龍之介の生後7か月ごろに母親が精神に
異常をきたした
ため、龍之介は母の実家の
芥川家に預けられ、伯母に育てられたそうです。

龍之介が11歳の頃に実母が亡くなり、その翌年に
叔父である芥川道章の養子となって芥川姓を
名乗ることになったそうです。

芥川家は旧家の士族であり、家中が芸術・演芸を
愛好して江戸の文人的趣味が残っていたといいます。

芥川龍之介の母親が狂人となった理由は?!

 

龍之介の生後間もないころ、母親が精神に
異常をきたしたという話ですが、これの理由に
ついて確定的な情報があるわけではないのです。

調べてみればある程度こういう事か、と思われる
説がありましたのでご紹介します。

龍之介が生まれた年は父43歳、母33歳で、女の
厄年にあたっており、大厄の年の子
であったそうです。

そして旧来の迷信に従って形式的に捨て子
されたようです。

今思えばヒドイ話のように聞こえますが、封建時代の
風習が強く残っていた当時としては、こういう縁起を
担ぐ習慣は珍しい事では無かったそうです。

龍之介の父は牛乳販売業者として成功者の誇りを
持った人物で、激しい性格の人だったといいます。

その激しい性格の夫を支える立場であった母親ですが
龍之介が生まれる1年前には長女を幼くして亡くし
次いで生まれて来た龍之介も捨て子の形式をとって
育てなければならなかった。

これが女性にとってただでさえお産と言う命を懸けた
出産をして心身ともに不安定な状態の中、大きな
精神的苦痛となったのではないかと言われています。

そのため母親の肉体も精神も締め付け、龍之介が
7か月になるころに発病し、その後10年間も狂人
として生き続けたということです。

現代ではとても考えられない酷い風習のせいで悲運な
半生を送られたのですね。

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芥川龍之介に母親が与えた影響が大きすぎる?!

 

母親が狂人となって亡くなった事実は
物心ついた頃の龍之介に大きな影響を
与えたと考えられます。

 
狂人の子であるという自覚が、やがて狂気の
遺伝を恐れる心となり、龍之介自身の肉体の
衰弱とともに、後に発表する作品にも影響を
与えたと言われます。

 
また、育ての親と言われる伯母は龍之介を
産みの母のように愛し育てたといいます。

しかし江戸自裁の迷信を強く信じる養父母から
夏の世の縁台や、寝る前の床の中で話聞かされ
さらには家の本箱の中や暗い土蔵の中の古い
書物の挿絵から、怪奇の世界を見て育って
きたといいます。

 
その時の戦慄の記憶は成人した後まで消えずに残り
それが文学表現の中に流れ出たと言われています。
 
芥川龍之介の作品の傾向は、初期から晩年にかけて
大きく変わっていったと言われています。
 

初期は説話文学を典拠とした「羅生門」「鼻」「芋粥」
など歴史物、加えてキリシタン物が有名です。

中期には芸術至上主義的な面が全面に出た「地獄変」
などを書き、長編「邪宗門」に挑んでいました。
 

そして晩年には自殺を考えていたのか、自分の
これまでの人生を見直したり、生死を取り上げたり
した作品が多く見られます。

晩年の代表作「河童」は、河童の世界を描くことで
人間社会を痛烈に批判しており、当時の人々に問題を
提起したと言われています。

芥川龍之介の自殺動機は?

 

芥川龍之介は、36歳薬物自殺により
その短い生涯を閉じました。
 

その自殺の動機となったのは一つだけではなく
それまでの人生を振り返って積み重なっていった
ものではあるのでしょうが、残された遺稿から読み取れば

「死にたがっているよりも生きることに飽きているのです」

「彼は彼の一生を思い、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった」

「僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」
 
などが挙がり、また終生の問いとして
残ったと言われる言葉に

「何故生きてゆくのは苦しいか、何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか」

「何の為にこいつも生れてきたのだろう?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ」
 

というものもあったりと、常に付きまとう
「生きる」事自体への悩みが彼を苛んでいたようです。
 
そして遺書として綴った、旧友へ送る手記にある

「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安である」
 

という言葉もあり、思索の果ての
自殺だったとされています。

芥川龍之介が残した名言に泣ける!

 

芥川龍之介が残した名言の中には、女性に
対する恋愛や自然に対する愛、また幸福について
謳った物がいくつも見られます。

代表的なものをいくつがご紹介しましょう。

「恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものである」

「結婚は性欲を調節する事には有効であるが、恋愛を調節する事には有効ではない」

「女人は、我々男子にはまさに人生そのものである。即ち、諸悪の根源である」

「あなた方のお母さんを慈しみ愛しなさい。でもその母への愛ゆえに、自分の意志を曲げてはいけない」

「自然を愛するのは、自然がわれわれを憎んだり、嫉妬しないためでもない事はない」

「幸福とは、幸福を問題にしない時をいう」

 
などが挙げられます。

母親に関することもやはり心に強く
残っていたのだろうと思えるものがあります。
 
恋愛については少し穿った見方を
していたように思える言葉があります。

 
しかし芥川龍之介の恋文には、すごく純粋な
印象を受けるものもあるのです。

最後にそれをご紹介いたします。

有名な文なので、ご存知の方も多いでしょう。

「僕のやってる商売は、今の日本で一番金にならない商売です。その上、僕自身もろくに金はありません。ですから、生活の程度からいえば、何時までたっても知れたものです。それから僕は、からだもあたまも、あまり上等には出来上がっていません。あたまの方は、それでもまだ少しは自信があります。
うちには、父、母、伯母と、としよりが三人います。それでもよければ来て下さい。
理由は一つしかありません。僕は文ちゃんが好きです。それでよければ来て下さい。芥川龍之介」

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おわりに

 文豪となる方には、恋愛や生死に関する葛藤を持つ方が多く居るという印象を受けます。だからこそ多くの人の心を打つ作品を残せるのでしょうけれど、少し悲しい事でもあると感じますね。私見ではありますが、芥川龍之介の短い作家人生の間に大きく作風が変わったと言われるのは、その葛藤のうちの振れ幅両端の気持ちを真摯に捉えてそれぞれ深く思索したからではないかと思えます。しかしそうしてしまったことで、傷つきやすかった彼は耐えきれなかったのかな、とも。

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