現在ではコメンテイターとしても顔を見なくなった
作詞家のなかにし礼さん。
妻に元女優の石田ゆりさんを持ちその姉にいしだあゆみ
さんが見えるなかにし礼さんの生い立ちや家族と兄について
壮絶な過去を追ってみようと思います。
昭和歌謡曲の作詞を多数担当し、数々のヒット作を
世に送り出したなかにし礼さん。
1998年からは小説家としても活動し、2000年には
『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞されています。
またラジオやテレビ番組でのコメンテーターなど様々な
顔を持ち活躍を続けています。
そんななかにし礼さんの生い立ちから兄に振り回された
半生などをまとめてご紹介します。
なかにし礼プロフィール
本名 中西 禮三(なかにし れいぞう)
生年月日 1938年9月2日(80歳2018年9月現在)
職業 小説家、作詞家
出生 満州国の牡丹江省牡丹江市
学歴 東京都立九段高等学校、立教大学文学部英文科
大学在学中にシャンソンの訳詞を手がけました。
1964年に『知りたくないの』のヒットを機に
作詞家になり、『今日でお別れ』『石狩挽歌』
『時には娼婦のように』など約4000曲の作品を残し
日本レコード大賞など数々の賞を受賞されています。
その後は作家活動を開始し1998年に『兄弟』次作に
『長崎ぶらぶら節』など作家としても数多くの
作品を残されています。
なかにし礼の生い立ち~裕福だった満州時代と家族
なかにし礼さんの両親はなかにし礼さんが
生まれる前に北海道の小樽から、旧満州(中国東北部)
に渡りました。
醸造業を営むなかにし礼さんの両親は関東軍に
お酒を納め、ガラス工場やホテルも経営し成功を
収めていたそうです。
なかにし礼さんは従業員に「坊ちゃん」と呼ばれ
当時は相当な裕福な家庭で育ちました。
その後なかにし礼さんが小学1年生の時に終戦し
満州から引き上げて8歳の時に小樽に戻りました。
その時に家族とともに何度も命の危険に遭遇し
その時の体験が以後の活動に大きな影響を
与えたと言われています。
戦前戦後を生きた人特有の壮絶な体験をなかにし
さんも体験されていたようですね。
今では想像もつかないような壮絶な経験から
数々の作品が誕生しているのかもしれませんね。
なかにし礼さんは当時の混乱の様子を実体験に
基づいて『赤い月』という小説を書かれています。
なかにし礼の家庭崩壊の始まりは戦後の兄の傍若無人から
なかにし礼さんには14歳も年の離れた兄がいました。
14歳とかなり年齢の離れた兄弟だったため恐らく
なかにしさんの年齢(現在80歳)では徴兵制度で
戦争に駆り出される年齢には届いていませんでした。
だが14歳も年上の兄は当然徴兵で日本男児の義務と
して戦争に駆り出されているはずです。
兄は戦時中特攻隊に所属していて生き延び、終戦後
何とか命からがら生き延びた少数派の一人として
なかにし礼さん達家族の元へ帰ることができました。
父親の死後、一家の大黒柱として祖母、母、姉から
頼りにされましたが、戦後の兄は人が変わったように
破滅的で大金を投資しては失敗し、一家はすぐさま借金を
抱える事に没落したそうです。
頼りにするどころか兄の自暴自棄な精神状態に巻き込まれて
一家はどんどん貧乏になっていったそうです。
戦争が一人の青年に与えた影響はやはり生還してきた
極一部の強運を持ったなかにし礼さんのお兄さんであれ
人生観を破壊される程のインパクトとショックがあって
の変貌だったのでしょう・・・
なかにし礼の兄に振り回された半生と絶縁
ただこの時代の長男と言ったらもうそれはそれは特別な
存在で14歳も年下の弟が意見うぃ言えるような立場では
ありません。
どうにか家庭を立て直したいなかにしさんら兄弟を
傍目にちっとも元に戻りそうにない兄の尻拭いがこの
時代特有の兄弟関係でかなり壮絶な目にあうことに・・・
なかにし礼さんには兄の借金を肩代わりしていた
時期があるそうです。
作曲家として起動に乗り世間でいう成功者となりつつ弟が
夢に向かう最中になかにし礼さんは兄に振り回され
憎しみを抱くようになったそうです。
なかにし礼さんがどんどん有名になりお金を稼ぐように
なっても兄がどんどんなかにし礼さんから借金して
浪費してしまいます。
最後にはなかにし礼さんの名義でお金を借りて
全てを使い切ってしまうほどでした。
なかにし礼さんは兄の借金を返済するのに
大変苦労されたそうです。
その金額も破格の7憶円もの大金を肩代わりしていたとか。
普通なら返しきれない量の借金だったんですね。
ただそんな兄を疎ましく思いつつ兄を憎むが兄嫁が
長男の嫁であるため、献身的になかにしさんらの
母親の介護をしていたこともあり兄を切り離すことが
できなかったそうです。
だがそれも母親が生きているうちは何とか我慢しても
母親が亡くなり家族ができたなかにし礼さんは兄と縁を
切る覚悟をしたそうです。
当然でしょう・・・
あまりにも傍若無人な兄の振舞いは限度を超え過ぎです。
なかにし礼さんもほとほと嫌気がさしていたのでしょう。
縁を切ってからは16年間一切会わず兄が亡くなったと
電話があったときは内心喜んだそうです。
この辺りの心境がなんともリアリティがあります。
そんな兄との関係を自らの体験に基づいた自伝小説
『兄弟』は直木賞候補にもなり1999年にはテレビ朝日の
開局40周年スペシャルとしてドラマ化されています。
「兄さん、死んでくれてありがとう」
という有名な台詞がありますが聞いたときは
衝撃的でした。
今書いてても相当インパクト大過ぎます。汗
でも自分に置き当てたら、死んでくれてありがとう~では
済まされないとは思いますが・・・
だって7億ですよ。
せめて自分が稼いだ金で借金して欲しいものです・・・
兄弟とは言え人のお金を、身勝手過ぎます。
なかにし礼さんのデビュー作にして代表作の『兄弟』
を読んだことがない方はぜひチェックしてみましょう。
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おわりに
現在は2012年に食道がんを患い完治するも2015年に再発しこれも克服したなかにし礼さん。
戦争が幸いして精神状態が破綻したであろう兄弟の莫大な借金を身勝手で理不尽な借金と分かりながら返済を続けてきたなかにし礼さんは絶望的な半生を送って相当苦労されています。とは言えそんな兄さんもお亡くなりになられましたし改めて戦争の恐ろしさを考えさせられるエピソードでした。
現在も精力的に活躍を続けどんな状況でも希望を失わずに生きてきたなかにし礼さんの作品をぜひ読んでみてください。
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