下重暁子生い立ち~両親の反発が若い頃から夫婦の子供を絶った理由

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下重暁子アイキャッチ

若い頃はアナウンサーとして活躍され
その後は作家として活躍される下重暁子さん。

2015年に出版され、ベストセラーになった
『家族という病』で、家族の在り方を問い
世間に波紋を投げかけた下重暁子さん。

もともとはNHKのアナウンサーで、フリーに
転身後、執筆活動をされるようになります。

そんな下重暁子さんの生い立ちから現在までと
全ての人に共通する家族との在り方や置いていく
老後についての考え方などを追ってみたいと
思います。

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下重暁子の生い立ち~軍人の父の没落

1936年5月29日生まれの下重暁子さんは18年
現在で82歳の戦前生まれの女性です。

この昭和初期に誕生した下重さんの父親は、士官
学校を出たエリートの職業軍人だったそうです。

もともと画家を志望しておられたそうですが
軍人の家に生まれたために絵の道は諦められたとか。

それでも父親の書斎にはたくさんの画集や
描きかけの油絵などがあったそうです。

戦時中、幼かった下重さんは軍服を着た凛々しい
姿の父親を誇らしく思っておられました。

エリート軍人ということもあって大勢の部下
を従えて颯爽とした姿は幼心にもとても
カッコよく映ったでしょうね。

ところが、下重暁子さんが小学校3年生の時に
終戦を迎えると、職業軍人だった父親は公職追放
となります。

当然軍人が必要なくなった下重暁子さんの父親は
仕方なく慣れない事業に手を出すもうまくいくはずもなく
徐々に没落していきます。

下重さんにとって父親は、それまで尊敬とあこがれの
対象だっただけに、没落していく姿はその反動も
あってとても情けなく感じてしまったようです。

下重暁子の生い立ち~母の矛盾

下重さんの母親は、下重さんによると
「度胸があって、判断力も優れて優秀な母親だった。」

と、当時の母親を振り返り語られています。

母親の二人の弟・下重さんの叔父たちはそれぞれ
学者と医者になられているそうですが、そんな兄弟
二方ともが母親のことを「一番頭が良かった」
とおっしゃられていたそうです。

にもかかわらず、母親は「軍人の妻」で「専業主婦」
の道を選びます。

下重さんからしてみれば、母親は現在ほど自由な
時代ではなかったにせよ、その覚悟さえあれば
もっと自分としての人生を歩むことができたはずだった。

だが、母親は、そうはせずに専業主婦の道を選び
自分のためではなく、娘のために生きようとした
ことがどうしても歯がゆく感じてしまったようです。

「愛情の押し付け」という感じがとても
重荷になったと語らています。

また先ほどの下重暁子さんの戦前の軍人から戦後
事業家として様々な事業を起こすも失敗し自暴自棄に
なり没落していった父親の家での振舞いにもいつも
怯えるように顔色を伺っていた事が、とても卑屈に見え

矛盾した想いで胸がいっぱいだったようです。

当時の両親の夫婦の在り方こそが、その後の下重
さんの夫婦間や自己確立という考え方に基づく影響を
受けたのは間違いないでしょう。

自分こそ医師や学者の兄弟に一番優秀だった
と言われながら、人生を放棄して娘である自分に
人生のすべてを期待し、自己の可能性を放棄した。

そう見えて仕方がなかったようです。

彼女自身もその優秀な母親のDNAを引き継いだ娘
だったからこそ、利発故に自分の母親の期待が重く
そしてもどかしかったのではないでしょうか・・・

もちろん母親からの熱意もあったのでしょうが、
成程の経歴として下重さんは昭和初期のこの時代に
早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。

若い頃
面影かなりありますが・・・滅茶綺麗な人ってか可愛いです・・・

1959年にNHKにアナウンサーとして就職される程の
エリート街道を歩いていくのです。

1学年上には昨年亡くなられた女優野際洋子さんが
見えて野際さんが途中女優に転身された同じ年に彼女も
フリーアナウンサーとして独立をされています。

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下重暁子の若い頃の決意

彼女の母親は、下重さんが就職しても、母親の
「娘のために生きる」という姿勢や考え方は
変わらなかったようです。

仕事の人が家に来られると、お茶・お菓子は
もちろん夕飯まで用意されていたようです。

母親にしてみると
「どうぞ娘をよろしくお願いいたします」
というつもりだったのでしょう。

それが下重さんにとって、とても「しんどい」
と感じる日々だったようです。

やがて、父親が他界した時、ついに母親と
距離をおくために別々に暮らすことになりました。

母親を一人にするのはおそらく忍びなかった
でしょうが、お互いに自分の人生を自分として
生きていこうというメッセージだったんだと思います。

下重暁子の夫婦でも子供を持たない選択

下重さんは現在、彼女曰くの「つれあい」として
夫と暮らしていますが、子供はおられません。

著書の中でもテレビの取材でもこう語られていました。
家族
これリアルで見てました・・・凄いな~っとひたすら関心!

「もし自分に子供が出来たら、自分もあの母親のように子供に期待を寄せ、子供のために生きていくという選択をするかも知れない」

と思われたからだそうです。

あんなに母親のご自身への愛情を「しんどい」
と思っていたのに、です。

想像ですが、下重さんはご両親の愛情をちゃんと
理解され、それに応えたかったけれどもきちんと
理解できていたが故に応えきれない自分が
歯がゆかったのかも知れません。

そして、同じような感受性の豊かさゆえに
悩まれている人たちのために「悩まなくていいんだよ」
というメッセージを『家族という病』というちょっぴり
過激な表現で伝えたかったのではないでしょうか。

彼女の過激とも取れる発言
『産みたくなければ産まなくったっていいんだよ。』
はまさに革新的な言葉で世間からも大反響でしたね。

どちらにしても実の母親の愛情が反面教師的な重しとして
あれ程の美貌と才能を持ちながら、子供を持つ選択を敢えて
しなかった~これが事実なのでしょう。

ちょっぴり一般人的には理解し難い理由ですが優秀で
利発な女性だったが故のこの選択だった、そう思えて
仕方ありません。

だって現代人であるならば理解出来なくもありませんが
彼女の年齢からしたら、あれほどのキャリアと美貌が
ありながら、わざわざご縁があった男性を「つれあい」と
呼び夫婦別姓を名乗り、そして子供も持たない選択をした。

私達からしたら母親世代よりゆうに年上の女性です。

かなり革新的な考え方を持つ超優秀な女性だから
こそ現在に至り堂々とその意思を著書にして語られる
のだろうな~と思うばかりですね。

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おわりに

現代は色々な価値観があり、特に人間関係は複雑で人それぞれで悩みは尽きません。「家族はそうであるべき」という一種の固定概念に一石を投じた下重さんの意見には、おそらく賛否両論があると思います。しかし、何事も疑問を持って考えてみるということは大事ですよね。これからも下重さんの生き方に注目していきたいですね。


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