なんとか乗り切った感の否めない第三次安倍政権の
地位を虎視眈々と狙うポスト安倍の第一候補として
呼び名の高い小泉進次郎さん。
彼の父親はご存知小泉純一郎元総理だが彼には悲しい
生い立ちがある。
生き別れとなった母と血を分けた弟との別れは父親と
その親族によってなった運命の別れ。
無情な父親が彼ら兄弟にした仕打ちはあまりに酷すぎる。
いつ総理大臣になってもおかしくない小泉進次郎の
生い立ちを改めて追ってみよう~
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小泉進次郎の生い立ち~母と弟との別れ
今や若手政治家の中でもその存在感はピカ一。
誰もが次期総理大臣になる事を疑わない類まれな
政治家として活躍する小泉進次郎氏。
だが彼の幼少期は振り返ると結構壮絶な過去がある。
実の母親宮本佳代子さんと進次郎はわずか1歳半で
実の母親とまだ見ぬ母のお腹の中にいた三男の弟佳長
さんと別れる事になります。
母親の佳代子さんと父親の元総理純一郎さんは
佳代子さんが青山学院大学生在学中に知り合い
1978年に結婚。
同年俳優の兄孝太郎が誕生。
1981年には次男の進次郎が誕生。
でも1982年に二人は離婚。当時佳代子さんのお腹
の中には6ヵ月の三男佳長さんが居ましたが、わずか
4歳の兄孝太郎と2歳前の進次郎を置いて(取られて)
佳代子さんは小泉家を追われる事になるのです。
お腹には6か月にもなる子供がいたのに・・・
佳代子さんはわずか5年の結婚生活の中二人の幼い息子を
取られる形で小泉家とその後数十年断絶状態で暮らす事に
なるのです。
小泉進次郎の両親の離婚理由
ここで気になるのが離婚の理由です。
これこそが小泉家とは家れっきとした政治家一家
として地元では知られる存在のお家柄だったそうで
当然小泉家の実権を握っていたのは小姑の姉二人と
姑だったそうです。
当時から小泉純一郎元総理の秘書を姉の信子が見ており
何かにつけ兄妹で脇を固める小泉家、新妻なりに努力
しようと選挙活動にも力を入れる佳代子さんとがかみ合わず
最終的には、そんな佳代子さんの行動が小泉家の女達の目に
あまりほとんど追い出すような形で佳代子さんは精神的に
離婚当初相当参っていたと言われています。
若く小泉家でたった一人の見方もいなかった佳代子さんが
家を出た後、元総理の小泉純一郎さんはこう言ったそうです。
『君子、去る者追わず、来るもの拒まずだな』と・・・
怖い(汗)
小泉進次郎の母宮本佳代子さんとは?
とは言え母親の宮本佳代子さんと父親の純一郎さんは
お見合いで出会い出会ったその日に小泉純一郎さんは
佳代子さんにプロポーズしたのです。
そうです。
佳代子さんの実家も相当なお嬢様として知られる実家で
エスエス製薬の元会長泰道照山を祖父に持つお家柄の超の
付くお嬢様です。
結婚当初既に30代半ばで政治家としての活動をスタート
していた小泉純一郎氏との結婚を祖父泰道氏は大反対。
『結婚するなら身一つで出ていけ』
そういわれて不安がる佳代子さんに
『心配はいらない』と
『政治家の世界は何も知らなくていい 』と
言い張り結婚へと押し切った小泉純一郎氏・・・
そんな経緯でよくもまぁ子供2人を取り上げて
腹にいた6ヵ月の佳長さんも出産後は親権を主張
してきたそうです。
現に調停を経て三男の佳長さんを引き取る事が
出来たそうです。
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小泉進次郎の母と弟のその後
『出て行くなら身一つで出ていけ』と言われ
大反対を押し切っての結婚と破局となった佳代子さん。
実家を頼るのは簡単だったけど彼女にも意地があった
のでしょう。
彼女は離婚後実家を頼らず身一つで不動産の勉強をして
サラリーマンとしてシングルマザーで佳長さんを育て
あげています。
今では2013年11月に佳長さんが結婚。
30年ぶりの再会として進次郎氏の奔走もあり家族
全員が揃っての弟佳長さんの結婚式に出席されたそうです。
今では佳代子さんは鎌倉で一人暮らしをしながら
これまでの辛い半生を講演会などで話すなどの活動を
されているそうです。
小泉進次郎が信じた母親とは~
それにしても~です。
4歳の孝太郎と1歳半だった進次郎を育てたのが
『ママ』と言って育てられた小泉純一郎氏の実の姉
であるもう一人の姉道子さんだったそうです。
実の姉を息子二人に『ママ』と呼ばせて育てた純一郎氏。
当然我が子のように可愛がり愛情たっぷりで育てて
くれたといわれますが・・・
実際に道子さんが『本当のママ』ではないと純一郎氏の
口から息子二人に語られるのがその後孝太郎が高校二年。
進次郎が中学二年生の時だったそうです。
おっそ。
正直遅すぎます。
父親の言葉を聞きながら震えて泣き出す孝太郎に
『知っていたのか?』と聞く父親に
孝太郎氏は誰に聞いたのか、自ら気が付いただけ
なのか『知っていた』と答えたそうです。
でも最後まで『嘘だ』と信じなかったのが
進次郎氏だったそうです。
『ママじゃないの?』
父(純一郎)『本当のママじゃないんだよ』
進次郎『本当の母親だよ』そう言い切ったそうです。
そんな道子さんは16年8月28日に84歳で
亡くなられました。
最後まで兄弟(孝太郎・進次郎)の事を気にかけて
いたそうです。
愛情たっぷりで育ててくれた道子さんを『本当の母親』と
中学二年で言い切った進次郎氏。
でも酷ですよね~やっぱりどんなことがあったにしろ
実の母親と息子二人を引き離してしまった事は・・・
何と言う悲劇なのでしょう。
どんなに環境が素晴らしくても(父の方が)
何もなくとも母親がいるだけでそれに叶う
モノなどあるはずもないのですから・・・
小泉進次郎の父小泉純一郎の無情さが怖い
そう考えたら、小泉純一郎氏にもやむに止まれぬ
事情と流れがあったとは思いつつ。
それでも離婚の時の『去る者追わず~』は
あまりに無情かな~と思えて仕方ありません。
泣く涙がなくなるのでは~と思う程泣いたという
佳代子さんはその後何度小泉家の訃報(祖母の通夜)
など聞きつけ小泉家に駆け付けても、表だって焼香さえ
することを否定され、親子であるにも関わらず三男の
佳長さんにも純一郎さんは会う事をしようとしなかった
そうです。
晴れて会う事が出来たのはそれから二十数年後です。
三男の佳長さんの結婚式2013年11月には当時
政界を引退していた事もあって家族そろって佳長さんの
結婚式に参加されたそうです。
両親が離婚して母親の佳代子さんが家を出る時
当時2歳前だった進次郎さんは泣きながら母親を追いかけた
そうです。
それを引き留めたのが二人の姉と父親の純一郎氏です。
4歳の孝太郎さんはじっと唇を噛んで我慢したそうです。
それ以降どんなに忙しくてもキャッチボールをするため
家や学校にも駆け付けたという純一郎氏ですが、この光景を
想うだけで何と言う悲劇だったのかとその非情な決断に目眩
がしそうです。
おわりに
如何でしたか?壮絶すぎる生い立ちに絶対通常トラウマになりそうな母親との別れを本当の幼少期に経験している進次郎氏ら兄弟。そう遠くない未来の総理大臣の悲しい生い立ちを乗り越えて幼かった進次郎氏が世襲政治を乗り越え父親に並ぶ活躍をされています。最年少総理の道は直ぐそこだと思うと今後もますます進次郎氏から目がはなせませんね。
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