舛添要一の生い立ち~子供時代神童と呼ばれた男の若い頃の嫁が意外

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舛添要一アイキャッチ

元東京都知事として散々のバッシングの中
辞任劇へと追いやられた舛添要一氏の今が話題
となっています。

想えば子供時代には神童と呼ばれたらしい彼の
ルーツとなる生い立ちや若い頃の女性遍歴など
を振り返ってみようと思います。
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舛添要一の生い立ち~

都知事時代には大名外交や公用車での
湯河原別荘通いが散々のバッシングの的
となって辞任劇に追いやられた舛添要一氏。

そんな彼は福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)
で女ばかり上に4人でやっと授かった5人目にして
待望の長男だった。

在日朝鮮人の両親の在日二世として誕生されている
事を自身のルーツとして明らかにされています。

戦前は鞍手で石炭商を営む父彌次郎、母ユキノの
間に誕生するも父は石炭商の傍ら政治家を目指して
若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補して落選
したものの、政治に関心は強かったようだ。

今よりもっと日本が男尊女卑への思考が強かった時代に
やっと授かった男児と言う事で彼が幼少期の頃には
青果店を営みながらも上の姉4人や両親にとても大事に
育てられたそうです。

ただ時代背景もあり彼が小学校2年生の時木材店の火災
が原因で飛び火した事がきっかけとなり、それ以降父は
酒に溺れ舛添氏中学2年の時に亡くなっている。

そんな傾いた舛添家の家系を支えたのが4人の姉らの
働きと、自宅の土間で売る八百屋の売り上げで凌いだ
ものの当然生活は困窮していたそうだ。

舛添要一の子供時代神童と呼ばれた男

それでも幼少期の彼は周囲が一目を置く存在で
図抜けた知能を持っており、そのあまりの常軌を
記した頭の良さから地元では『神童』と呼ばれる程の
存在だったそうです。

どうりで彼の経歴を見たら一目瞭然。

地元の八幡市立祝町小学校(現:北九州市立祝町小学校)
を卒業後同大倉中学校を卒業、福岡県立八幡高等学校を卒業
してそのまま現役東京大学法学部に進学している。

舛添要一の若い頃の嫁と女性遍歴

そして都知事時代にあまりの悪評から色々持ち出された
若い頃の女性遍歴もそうとうな艶福家である事が話題
となりました。

現在の嫁雅美さんにたどり着くまで舛添氏には過去
2人の妻がおりました。

最初の妻は留学先で知り合ったフランス人。

2度目は自民党国会議員の片山さつきと結婚するも
わずか3年後の89年に離婚。

この間(片山さつき)さんとの同時進行で婚外子で
2人の女性との間に出来た子供が3人いる。

現在の嫁雅美さんとも彼の元秘書と上司の関係で
1996年6月結婚。

2000年に長女。2003年に長男誕生しています。

そして無情にもこの婚外子で2人の女性の間に出来た
子供さんとの間の一人に重度の障害を持った子供さんが
誕生されてますが、彼はただの一度もその子供に会った
事がないそうです。

どころか子供の養育費の減額を巡って元愛人と
家庭裁判所で相当揉めに揉めた過去があるそうです。
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舛添要一の非情な一面も~

このように調べていくと非情な一面がチラホラ
出てくる舛添さんですが、幼少期に神童と呼ばれた
彼は英雄色を好むではないですが、やはり女性から
しても魅力のある男性だったのかもしれませんね。

だって経緯がどうであれ、彼と関係を持って子供を
産む選択をした女性が嫁を含めて3人も見えるのです。

男性としての魅力もあったのでしょう。

その後の女性に対する対応がかなり鬼レベルですが・・・

元嫁で実質結婚生活は3ヵ月にも満たなかったという
片山さつきさんが実際舛添氏の口からこう語られるのを
聞いたそうです。

『公私ともに人は利用するだけのもの』

これほど厳しい言葉を一応嫁となった女性を前にして
堂々と言い放つ舛添要一と言う人物はやはりある意味
常軌を規した『神童』と呼ばれた男に違いないのかも
しれません。

彼が都知事になる前に既に有名人であり国会議員で
あった時代2007年に実の姉(4番目)の姉が
長年に渡って生活保護を受けていたことが週刊文春
に掲載されました。

我が子のように幼少期から大学進学にも金銭的な
強力を惜しまなかった姉に対して彼は手を差し伸べる
事はなかったようです。

姉の住む地域(北九州市)の生活保護率が全国1位だった
事から問題視され生活保護の適正化の一環として実の弟である
舛添要一氏に何度も頼みに自宅に伺ったそうです。

『1万でも2万でも良いから仕送りをしてほしい~』
当時ゆうに億単位を稼いでいたと思われる舛添氏は
そんな職員を追い返したそうです。

可愛がってくれた実の姉に出す1万や2万が彼には
惜しかったのでしょう。

この思考こそが残念ですが『神童』と呼ばれた所以かも
しれませんね。汗

いくら頭が良くても仕方ない~って事のお手本みたいな
悲しいお知らせを聞いた気分です。
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おわりに

如何でしたが?世間を沸かせた元都知事の生い立ちは成程の『神童』と呼ばれる程優秀な子供時代だったことが良く分かりました。でもそれと同時に思い浮かんだ言葉が”天は二物を与えぬ”幾ら他人が驚愕するほどの頭脳を持っていたとしても優しさや人情という気持ちが無い人に人としての魅力を感じる事は出来ません。悲しいだけですね。『神童』だっただけにそのギャップが悲しいです。今後の舛添要一さんの生き様も変わらないのかもしれませんね。

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