姜尚中の生い立ち~母(オモニ)から見る反日と国籍への想い

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姜尚中アイキャッチ

日曜朝のサンデーモーニングにも出演する政治学者の
姜尚中さん。

現在も東大名誉教授として活躍する姜尚中さんは在日
二世として日本の地で誕生されている。

そんな彼の生い立ちは著書であるオモニ(母)で読んで
から一層反日や国籍について考えせられるきっかけとなった。

未だに日本でも問題とされる日韓両国の国籍や反日問題に
幼少期から、その渦中の中で複雑な国籍感情を持って生きて
きた姜尚中さんの生い立ちとオモニ(母)への想いを追ってみよう~

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姜尚中の生い立ち~国籍と永野鉄男として

1番近くて1番遠い国と言われ未だ反日との表現が良く
使われる韓国と日本との関係は知っての通りこの
日韓の過去の歴史上刻まれている1910年8月29日から
1945年9月9日までの35年間続いた日本統治時代にある。

日本でのこの時代の事を日本統治時代と呼び
韓国ではこの時代の事を日帝強制占領期間と言われている。

それは現在進行形の今も変わりません。

この時代に彼(姜尚中)氏の父親は文字通り既に韓国が
日本とされていた時、現在の韓国から同じ国であった日本へ
職を求めて移住した地が九州の熊本県だったのです。

右も左も言葉さえもままならない地で生活の糧を求めて
移住した熊本県で苦労しながらもクズ屋を開始。

姜尚中氏はここの姜家の次男として在日二世として
1950年8月12日(67歳)18年7月現で誕生
されています。

これ余談ですが私の父親と同じ年。

しかも誕生日も同じ月。笑
勝手に身近に感じたりしています。

話は戻ってクズ屋として企業したのは母親(オモニ)の
提案でその後、しがないクズ屋から永野商店として
古紙問屋として成功。

ただそこまでの道のりは長くつらい日々の連続で姜尚中
さんの両親は今とは比較にならないレベルの反日感情や
差別の中日本の地で韓国人として生活をしていたのです。

そして姜尚中さんも在日二世としての孤独や目に見えない
無言の差別を肌で感じて思春期にはかの日本が誇る作家
夏目漱石をメンターとした時期もあったと語っています。

それがこの姜尚中さんの名前にも表れています。

彼は現在の(姜尚中)を名乗るようになる22歳
までの名前は(本名)は永野鉄男さんです。

何故この名前を名乗る必要があったのか?

それこそ在日朝鮮人として、日本の地で生きるために
多くの在日朝鮮人がそうしたように彼もまた日本名を
名乗り、そして故郷や両親オモニの想いを知った事に
よって早稲田大学在学中の韓国文化研究会に参加し、その後
昭和47年に訪韓したのをきっかけに、それまで名乗っていた
永野鉄男から現在の氏名姜尚中を名乗る事を決意する。

彼はこの経緯を振り返ってこう語っている。

『生まれは熊本県で本名は永野鉄男です。22歳の時思うところあって姜尚中を名乗りました。』

この姜尚中氏の思う所こそ、彼自身が何不自由なく日本の地で
生まれ暮らしてきた、そのルーツとなる両親の過去(生い立ち)
苦労や国籍への(日本統治時代)の想いと合えて在日朝鮮人として
向き合った瞬間だったのでは~と推測できる。

壮絶な苦労の元異国の地で必死になって生きるべく韓国人と
しての誇りをもって生きてきた母親を嫌い避けてしまった少年時代。

それを悔いるかの如く祖国の歴史と向き合って名をそのルーツで
ある姜尚中と名乗る事にしたのは、氏があえて避けてきたであろう
母国の痛みや悲しみや声にならない慟哭を理解したに他ならない
証拠ではないでしょうか・・・

姜尚中のオモニ(母)と反日への想い

自身の両親のような苦労をせずとも両親の壮絶な
過去と何故チェサ(法事)になるたび、泣き叫ぶ
ような慟哭を止めない母親。

それを見るのが嫌で嫌で仕方なかった少年時代。

でもまだ見ぬ父親をいいなずけだと言われて、祖国
(韓国)を離れて異国の地(日本)でたった16歳で
単身朝鮮から日本へ渡ってきた母親(オモニ)
の心の
内と始めて向き合ったのもこの姜尚中を名乗る頃だった。

在日の集落に身を置きながら、統治時代に移住したにも
かかわらず原住民の日本人に差別され正業に就くことも
出来ず、祖国に帰る事も許されず、そして祖国は分断した。

そんな母親の気持ちと芯から向き合ったのが22歳の
早稲田大学在学中の訪韓がきっかけだったという。

どれだけ心細かったか・・・

オモニがどれだけ心が打ちのめされた中で家族を守る為に
身を粉にして働いてきたか・・・

それらを知った時彼の心の中で姜尚中を名乗り
生きていく事を決意したのだと思う。

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姜尚中の妻は日本人

とは言えそんな両親(特にオモニ)の懸命な働きに
よって彼が大学進学をする頃には時代背景が父(私の)
とたまたま重なる事もあって容易に想像できるがかなり
永野家の家系は裕福になっていたと推測できる。

それは姜尚中氏の学歴(早稲田大学)私大である事や
高校卒業後にドイツ留学を経験されている過去からも
いかに在日朝鮮人の中でも永野家が成功者であったかが
分かる経歴です。

そして大学在学中に出会った妻に一目ぼれした
姜尚中氏は自身から猛烈なアタックの末恋仲となり
結婚されています。

だけど妻の両親の反対はこの時代にしては開けた両親
だったようでなかったそうですが、姜尚中さんのオモニ
にはそれ相応の想いがあったようで猛反対。

でも、それしき?オモニの反対とは言え、オモニの
想いや苦労を考慮しても在日二世として誕生し、しっかりと
教育も受けた故に中立の立場でもの事を見られる視野の広さ
があり日本人女性であっても自身のひらめきを信じてゴールイン。

その後オモニの許しも得て二人は結婚し、二人の男女の
子供にも恵まれています。

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おわりに

日本に生まれ統治された時代の両親を持つ姜尚中さんの心中は日本人側の歴史上の認識と統治された側の痛みを一番身近な人物オモニの存在とのはざまで迷い苦しみつつも当事者(在日)として目を背けず中立の立場で正しく日韓の歴史を真っ向から論ずる事の出来る政治学者として今も活躍されています。どの言葉も日本人としてのうのうとこの地に生きている私達からしたら重く決して無視してはいけない言葉なのだと身につまされる存在として今後も姜尚中さんの活躍と言動に目が話せそうにありません。だって日本人である以上きっと歴史上の当事者でもあるのだから。

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