田中角栄の生い立ち~学歴は小卒でも吃音を乗り越えた天才の名言

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田中角栄アイキャッチ

日本の歴代総理大臣の中でも現在でも語られる程の
非常に有名な元総理田中角栄。

その生い立ちを調べてみれば小卒だと思っていたら
一応中卒から総理大臣にまで上り詰めたとのことです。

その学歴や天才と言われた幼少期から建築関係の
仕事を経て政界に参加し、残した名言格言についてなど
希代の総理大臣田中角栄の生い立ちを調べてみました。

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田中角栄の生い立ち~父親の事業失敗と貧困生活

 

田中角栄は、1918年に新潟県に生まれ、1993年に
亡くなった日本の政治家です。

第64代、第65代と二期に渡り総理大臣を務めた
人物として非常に有名でありますね。

 
田中角栄の父親角次の度重なる事業の失敗の為、田中角栄は
極貧の中で少年時代を過ごしたといいます。

田中角栄の学歴と天才と言われた成績

 
田中角栄は小学校時代から天才と言われる
成績を残しています。

当時の評価段階は数字の1~10で表され、10が
最高評価でした。

その中で、1度だけ体育で9を取った以外は
オール10だったそうです。

貧困生活の中にあった田中角栄には家庭教師が
着くことや塾通いなどありえません。

全て自身の努力と才能からくるものでした。

 
その貧困生活のため、高校進学もできませんでした。

最終学歴としては中卒になるようです。

ただし中央工学校、専門学校の卒業生ではあります。

どちらにせよ大卒や高学歴が当たり前のような政治家達の
中で、非常に珍しいですよね。

田中角栄は吃音持ちだった

 

幼少期の田中角栄は吃音(きつおん)持ち
だったと言われています。

いわゆるドモリというやつですね。

言葉が上手く話せない病気と捉えると
解りやすいでしょうか。

 

吃音持ちの人は、生まれつき頭のいい子
天才の証、などとも言われています。

代表的な偉人としてはアインシュタインや
ダーウィン、ナポレオンなどもそうだったと
言われています。

田中角栄と土建屋と結婚

 

田中角栄は中学校を卒業後、土木現場で
働き始めますが、すぐに他の土木関係派遣所で
働くことになります。

 
そして1934年に理化学研究所からの誘いが
あったそうです。

秀才ぶりを聞きつけての勧誘だったと言われて
いますが、実際に行ってみれば井上工業という
会社の住み込み仕事だったとか。

この経緯については不明なのですが、田中角栄は
そこで腐ることなく中央工学校夜間科で働きながら
勉強を続け、1936年に無事卒業して建築事務所で
働き始める事になります。

 
1937年には建築家として独立を果たし、事務所を
構えて働きながら商業学校へ行き、経営や商業に
関する勉強をします。

後の政治家になるために必要な知識や経済の見方
名言格言を生み出す根幹などを、こういった経験から
学んでいったのだと思われます。

 
途中に徴兵されますが、肺炎の発症により内地送還され
治療後に除隊してから再び建築事務所を設立しています。

 
その時の事務所の家主の娘「坂本はな」さんと結婚し
「田中土建工業」を設立したそうです。

その後は業績を伸ばし続け、全国有数の実績を残しています。

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田中角栄政治家へ~

 

会社の顧問弁護士との付き合いから切っ掛けを得て
新潟2区から初出馬します。

この時は惜敗してしまいますが、次の総選挙では
自ら選挙活動を勢力に行い、新潟3区にて「若き血の叫び」
というキャッチフレーズを掲げ、29歳で初当選します。

若いながら、しっかりと主義主張をしていく田中角栄は
当時の総理大臣吉田茂の興味を強く引くことになります。

そして30歳の時、第二次吉田内閣で法務政務次官に
就任しています。

 
ここから田中角栄の本領発揮がされていくこととなります。

六法を記憶していたという頭脳と、実行力が発揮され
33件もの議員立法を成立させました。

 
官僚に頼ることなく、自身で発送して法律を作り、根回しを
行い成立させていくその姿は衝撃的で、その頭脳と実行力は
「コンピュータ付きブルドーザー」などと言われるほどでした。

 
第二次岸内閣では郵政大臣に就任し、新聞社と
テレビ局の整備などを行っています。

 
池田内閣では、44歳で大蔵大臣に就任。

大蔵省(現在は財務省)は、エリート中のエリートの
集団として有名であり、中卒でありながら大臣に就任
したことは大きな反響を呼びました。

当然エリート集団からの反発も予想されましたが、心に
響く名言と、一人一人の名前と家族構成を覚え、常に
声をかけるという人心掌握術を使いこなし、官僚の心を
掴んで実績を残しました。

 
そしてついに54歳で、第64代内閣総理大臣に就任します。
 
就任2か月で国交断絶していた中国に、総理大臣として
訪問し、日中共同声明を発表「日中国交正常化」
成立させた事は、驚きをもって称えられました。

 
現在ではもちろん政治感の違いなどから賛否あることは
間違いないですが、偉業であることも間違いない事ですね。 

 
総理大臣として実績を残しながらも、金権政治への
批判や娘の自殺未遂問題などがあり、辞職する
ことになりますが、名言格言で官僚や政治家の心を
つかんでいた田中角栄は、辞職後も政界に力を
発揮し続けていました。

 
しかし58歳の時にロッキード事件が勃発し、長い
裁判の末に有罪判決を受けてしまいました。

 
67歳で脳梗塞となり、車いす生活となってしまいます。

そして、72歳で正式に政界引退をし、75歳で亡くなりました。

田中角栄の名言ベスト3

 

多くの格言名言を残した田中角栄の名言を
紹介したいのですが、さすがに数が多すぎるため
独断と偏見で選んでおります。

読者の方々が思うものと違っている可能性が
非常に大きいですが、悪しからずご了承ください。

 
見出しの通りベスト3形式でお届けします。

3位「約束したら必ず果たせ」

田中角栄はこの格言通りに有言実行の人でした。

「出来ない約束しない、貸した金は忘れるな、貸した金は忘れろ」
という言葉でも表現されています。

2位「自分の置かれている立場をありがてえと思わんとダメ」
 
おそらく田中角栄自身の育った環境からくる
言葉だと思います。

幼少期は恵まれているとは言い難い環境だったわけですし。

不満ばかり募らせず、今の立場になったからこそ出来る
事があるはずだ、それを吉として這い上がれ、と言われている気がします。

・1位「人のために」

 
田中角栄が初当選した時に、長男を亡くされています。

その時に残した言葉に
「いつも残った自分が十分なことをしてやれなかったという悔いを感じた。生きているうちに家族にも、友人にも出来るだけのことをしてやりたいという気持ちが一層強くなった。人のためになるように生きたいと思った。」

というものがあります。
 
私自身もこの気持ちを根本に置いて生きていきたい
と思える言葉だったので1位に選ばせて頂きました。

 
これら以外にも当然多くの格言名言があります。

「日本列島改造論」は、田中角栄の政策論であり
格言名言が詰まっています。

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おわりに

「日本列島改造論」をまだ読んだことが無い方は、ぜひ読んでみて欲しいです。購入するのはちょっと…と思われるのであれば、ネット検索すれば要点は出てくるかもしれませんよ?政治感的には賛否両論あるのは当たり前ですが、根本的なところは参考になる言葉が多いと思います。

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