政治家の生い立ち

仏マクロン大統領の生い立ち~夫人との出会い年齢を凌駕した結婚

マクロン大統領アイキャッチ 政治家の生い立ち

フランス史上最年少大統領マクロン氏の
政策や支持率が話題です。

華麗なる生い立ちや、同級生の母親でもあり
二回り以上年上の夫人との結婚が大統領選の
支持率を左右した事はフランスと言うお国柄と
しても有名でした。

現在では米会議での演説と側近の問題行動など様々な
問題が浮上する中、彼のルーツとなる生い立ちから
現在までを調べてみました。

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仏マクロン大統領の生い立ち~同級生の母親と結婚!

 

第25代フランス大統領のエマニュエル・マクロン氏は
1977年にフランスはソンム県アミアンで神経学者の
父と医師の母との間に生まれます。

 
地元の私立校ラ・プロヴィダンス高校在学中の
1994年に仏語で「コンクール・ジェネラル」を受賞します。
 

高校生だった当時15歳の頃、同級生の少女の母親であり
自国語教師だった現在の婦人24歳年上の女性ブリジット
オジエールに愛の告白をし、そのままキスしたそうです。

当初自身の教師でもあり同級生の母親でもあった現夫人の
ブリジットの娘の同級生でもあったマクロンはブリジットの
自宅に週末招待された時花束とシャンパンを持ってブリジット
宅を訪れたと言います。

当時から成績優秀だったマクロンを当時のブリジットの
夫も未来の娘のボーイフレンドとして快く受け入れて
いたとの事・・・
夫人
素敵ですけどね~

当時からマクロンの心には既に娘ではなく現夫人で
母親のブリジットに心を奪われていたなど誰が想像
出来たでしょう。

ブリジットの夫もきっと想像だにしなかったに
違いありません。

でもマクロンの心は既にこの頃からブリジットを
運命の人として捉えていたのです。

 
マクロンの両親は二人のあまりの熱愛ぶりに動転し
転校させたといいます。

その後1年間は転校先のパリの超名門公立校アンリ
4世高校
で学びます。

 
その間も遠距離交際などを経て、ブリジットの離婚が
成立した翌年2007年、マクロンが29歳の時に結婚
することになります。

 
学生の頃に話は戻り、マクロンはフランス教育相が
発行する中等教育レベル認証国家資格である「バカロレア」
に合格、そのままグランゼコール準備級に進学し、高等師範
学校試験に2度失敗後パリ第10大学へと入学してヘーゲル
哲学に関する論文で学位取得しました。

 
その後はパリ政治学院、国立行政学院という
フランスにおける官吏養成のエリートコースを
卒業しています。

 
2006年には社会党に入党しセゴレーヌ・ロワイヤルを
支援しています。

 
2008年にはロスチャイルド家の中核銀行である
ロチルド&Cieに入行し、2010年には副社長クラス
にまで昇進しています。

学歴も経歴も超の付くエリートのマクロン大統領・・・

 
2012年から大統領府副事務総長としてフランス大統領
フランソワ・オランドの側近を務めるようになります。

マクロンが有権者の心を掴み新星!最年少大統領に!

 

2014年には第2次マニュエル・ヴァルス内閣の
経済・産業・デジタル大臣に就任します。

 
同年12月に、オランド政権が目指す主要な経済改革
政策を盛り込んだ「経済の成長と活性の為の法律案」
通称「マクロン法」を議会に提出しましたが、多くの
反対意見を呼び、与党である社会党からも反発の声が
上がることになりました。

しかし法案成立を急いだフランス首相マニュエル・ヴァルスは
年に一度しか行使できないフランス共和国憲法49条3項に訴え
国民議会の表決を経ることなく法案を採択させ、同年8月7日
憲法評議会での審議を終えて法案は発効されました。

 
2016年4月「左派右派のあらゆる良き意思を結集」
「左派でも右派でもない政治」を目指すと宣言して
政治運動「アン・マルシュ! (前進!)」を結成します。

 
大統領選への出馬が噂されつつも、同年8月に
経済相を辞任します。

辞任の理由については
「フランスの景気低迷や社会的な格差拡大に対し、独自の解決策を打ち出せるようにするため」

と説明し、苦境に陥ったフランスに「変革」
もたらすという決意を述べたものの、次期
大統領選への出馬を表明はしませんでした。

 
しかし、経済界からも厚い支持を集める左派閣僚
として注目され、経済相辞任は大統領選出馬を
見据えた動きとみられていました。

 
2016年11月に、2017年大統領選挙への立候補を
正式表明します。

2017年3月に自身が率いる「前進!」の支持を受けて
独立系候補として立候補しました。

第1回投票で首位に立つも、得票数が有効票の
過半数に満たなかったため、決選投票が行われました。
 
決選投票ではマリーヌ・ル・ペンを下して、得票率
66.06%を獲得して当選し、第25代フランス大統領に
就任しました。

この時の支持率に女性票が多かった事も話題となったそうです。
キス
今も当然ラブラブです・・・絵になるの・・・

アムールの国フランスで、わずか15歳当時の約束を
守り24歳年上の略奪婚んを成就させたマクロンに
女性票が集まったのはお国柄ならでは~と言われた程の
人気だったそうです。

確かにひと時の気の迷いではなくこれだけの
経歴を持つ優秀な24歳も年下の青年に愛を
貫きとおされたのです。

カッコいいですよね。

39歳での大統領就任は、40歳で大統領となった
ナポレオン3世の記録を更新し、史上最年少就任
となりました。

また2大政党の出身ではなく、選挙に出たのも
初めてという異例尽くしの新大統領として話題を
呼びました。

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マクロン大統領が米議会の演説で国家主義を攻撃!

 

マクロン大統領は2018年4月25日、米議会の
上下両院合同会議で演説し、国家主義と米国
単独主義を非難して話題を呼びました。

 
マクロン氏は巧妙に練り上げられた演説を、友好的
すぎると評する声もあった同氏とトランプ氏との
協調に触れることから始めました。

 
しかしその後は、トランプ氏の政策方針の自由貿易
について、科学の重要性について、不平等について
そしてトランプ氏の米国第一主義的政策についてを
直接的に攻撃する内容を話しました。

 
そして、マクロン氏はトランプ氏のアメリカを再び
偉大にというスローガンを大胆に借用し、環境や
米国が脱退した気候変動に関する協定の重要性に
ついて語り、今こそ地球を再び偉大にするときだと
述べました。

 
演説は拍手と喝采で何度も中断され、マクロン大統領は
常にトランプ大統領への愛想の良さを維持しながら
トランプ氏と競合しはっきりと異なる世界観を示す世界の
指導者としての姿を見せました。

マクロン側近がデモ市民に暴行?!前途多難!

 

大きな反響を呼んだ米会議での演説でしたが
マクロン大統領国内支持の前途多難さはまだ
続いているようです。

 
マクロン大統領の側近ベナラが、5月1日の
メーデーデモ参加者に対し、暴力を加えていた
疑いが持たれていました。

この件に関して、先日ソーシャルメディアに
投稿された動画で明らかになり、7月20日に
解雇される事となりました。

 
ベナラ容疑者は、集団暴行に加担した他にも、警官
バッジを付けるなどして警官に成りすました疑いなどの
容疑にも問われているようです。

 
マクロン大統領はこの事件を

「受け入れられない」

「無罪にはならない」
 
と約束したといいます。
 
この事件を巡り、警察官3人も訴追されています。

この3人はベナラ容疑者の無実を証明しようとして
監視カメラの映像を漏洩した疑いがもたれているとのこと。
 

マクロン氏が率いる政党「共和国前進」の職員も
問題の動画に映っているため取り調べを受けて
いるといいます。

 
また動画では数人の警官が暴行を止めず眺めている
姿も映っていたため、国民の怒りが拡大しているそうです。
 

事件から数日後にはベナラ容疑者は2週間の停職処分
を受けていたようですが、検察への報告が無く、大統領府は
ベナラ容疑者の行動について知っていた可能性があるという
話が流れ、大統領府に対する批判が高まっているようです。

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おわりに

米会議の演説はすごいですね。生い立ちも夫人とのなれそめもそれを成就させたハートも素晴らしくフランス大統領として人気と共に指示されるのが理解できる大統領だと思います。さすが最年少で大統領になっただけあると感じます。若い指導者が立てば、未来を担う若い層と、これまで国を支えて来た層との摩擦はやはりどうしても起こるのでしょうね。しかし暴行事件などは年齢層関係なくダメでしょう…。清濁併せ呑むなどと言いますが、なるべく良い方向に向かえば良いのですが。

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