麻原彰晃の生い立ち~両親の育児放棄に極貧生活の9人兄妹時代の闇

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麻原彰晃アイキャッチ

2018年いよいよ年内に死刑執行が実行されると
いつなのかとこの数年話題となっている麻原彰晃。

彼が屈折して宗教家となるまでの生い立ちとは
一体どんな幼少期を送ったのか?

あれ程の世間を震撼させた事件を起こした麻原彰晃の
幼少期や両親、兄弟についてのルーツと関係があるのか
麻原彰晃の闇を追ってみよう~

麻原彰晃の生い立ち~両親は全盲畳職人

1995年3月18日に世間を震撼とさせた
地下鉄サリン事件を起こした信教宗教家
麻原彰晃こと(松本智津夫)は1955年3月2日
熊本県八代市に誕生する。

9人兄妹の7人目として6男3女の大家族だった。
内2人(姉と弟)は1歳で亡くなっている。

彼は誕生した時から先天性緑内障で左目はほとんど
見えず、右目の視力も1.0程度しかない弱視だった。

兄にも全盲の兄がいたそうだ。

父親は畳職人として働くも生活は貧しく両親は
共に朝から晩まで働き詰めで、幼少期の麻原の
面倒を見たのは彼の6人もの兄妹が見たという。

家は傾いた掘っ建て小屋のような家でいつも
子供達は生のサツマイモをかじっていたと近所の
人は記憶していたそうです。

後に麻原が貧しさ故に入れられる事となる盲学校小学部
の担当教員がその壮絶な貧しさをこう評している。

『傾きかかった小屋のような家で、土間にむしろを敷いて生活していた。長い教員生活の中でも、あれほど貧しい家は見た事が無かった。』

麻原彰晃の極貧生活と育児放棄

1961年に一度っは地元の八代市立金剛小学校に
入学するが弱視だったことから視覚障害者として
熊本県立盲学校の寄宿舎に移住させられる。

全盲の兄とは違い弱視でも目が見えた当時の彼は
相当抵抗して盲学校への転入を嫌がったというが
当時の松本家の経済状態から学費も寄宿舎代も食費も
不要な盲学校への転入を強引に押して入学させた。

当時の松本は相当この時に事を両親に捨てられたと
の想いで不満をぶつけ泣いて嫌がったそうだ。

『親に捨てられた』と言ってかなり泣いていたと
言われています。

ただ両親にも背に腹は代えられない思いはあったで
あろうがこの後盲学校から卒業するまでの13年間
両親はただの1度も面会に来た事はなかったという。

7歳から20歳になる13年間ただの1度もです。

たった7歳の子供を盲学校に放り込んで1度も面会
にこなかった両親を彼はどう思っていたのでしょう・・・

貧しい生活の中9人もの子供を設けて、学費や寄宿舎代
食費が必要無かったとは言え幼少期のこの経験が後の
麻原彰晃なるモンスターへの片りんを形成させた時期
でもあったのかもしれません。

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麻原彰晃の盲学校時代

盲学校時代の彼は寮母曰く全くしつけがなってなく
その様は『まるで猿の子供のようだった』
表現したほどひどい有様だったようです。

盲学校での生活は全くの全盲ではなかった松本は
全盲である他の生徒らにかなりの権力欲を見せたり
子分扱いしたり暴力を振るったりと相当な獰猛な
子供だったとの事。

外に連れ出しては食事を奢らせたり、窃盗を命令したり
自分の欲しい物を買わせたり、暴言の中でも盲学校故
目の見えなかっただろう同級生らに

『外に連れ出してやったんだから日当を寄越せ』
といいお金を巻き上げたりなどの行為も行っていた。

卒業するころまでに彼は巻き上げた金で300万円
手にしていたというから相当強引な行為をして金を
巻き上げていたことは間違いありません。

当然そんな松本が周囲の同級生から好かれる訳もなく
小学5年生の時に立候補した児童会長や中学や高校の
時に生徒会長に寮母など、とにかく常に人の上に
立とうとこうしたことに立候補するも全て落選していたらしい。

当然でしょう~と思うが、暴力的に権力をふるったり
命令したりしながらもオウム真理教の時のように
どこか力だけで強引に他人を思い通りにコントロール
する力が自分には備わっていると勘違いしている部分は
このころからあったようだ。

今風に言えばとんでもないKYだが・・・

麻原彰晃の金儲けなら宗教家しかない

1975年に盲学校を20歳で卒業した彼は
何を思ってかこの頃から成績はさしてよくも
なかった癖に熊本大学医学部を志望しだす。

盲学校時代には異例の柔道二段を取得したり
鍼灸免許も取得したりもしている。

そして何を思ってか東大も受験して75年3月に
一端東京へ移住するも、当然合格するわけも無く
その後は一時的に故郷の熊本市に戻り長兄の店を
手伝ったりもする。

この地でも鼻っ柱が強かったのか兄の元同僚である
人物が兄を侮辱したと言い頭部を打撲させ怪我を
させたりして1976年9月6日に熊本八代簡易
裁判所から1万5千円の罰金刑を受けたりもする。

そんなことから地元にもいられなくなり結局
彼はまたも1977年春に再上京してその後
代々木ゼミナールで受験勉強をして3度東大受験
を経験して最後は諦めます。

このころ知り合ったのが妻となる松本知子と結婚。

結婚と同時にヨーガ教室を開いたり千葉で
「松本鍼灸院」を開院したり~とオウム真理教の
片りんを少しずつ見せ始めます。

25歳から28歳まで新興宗教団体阿含宗に入信。

この頃自身でも目覚めたのかもしれません。

知人にこういったそうです。

「もっとも儲かるビジネスを知っているか?それは宗教だよ」

時を同じくして1983年に宗教サークル『オウム神仙の会』
を開き、麻原彰晃を名乗り出したそうです。

貧しくも弱視だった自分を盲学校に放り込んで
13年間ただの1度の面会にも来なかった両親
とそうではなく全盲が故に盲学校に入学していた
周囲の子供達との格差を彼は感じていたのかも
しれません。

大型休日や正月、お盆も麻原やその兄が実家に
帰る事はなかったそうです。

周囲の子供らがほぼ実家に帰る時でさえ・・・

そして両親は面会も衣類や下着の1枚でさえ
差し入れはなかったとか・・・

この幼少期の両親のいわば育児放棄的な行為が
彼に何等かの影響を与えたのは間違いなくその後の
行為に残忍性をと自身を神と見立てて人を跪かせ
言いなりにさせる絶対的な権力や力を得る為に
必要なものを常に探し求めた彼が行きついた先が
オウム真理教だった・・・

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おわりに

麻原彰晃がモンスターとなった所以とこの幼少期の生い立ち時代に形成されたであろう人格は誰もがそうであるようにまた彼にも大きなルーツとなったのではないでしょうか。求められたい~と強く願いどうしたら人から大くを求められ絶対的な存在になるのか~そう人一倍強く望んで渇望したであろう幼少期からの舞台がオウム真理教だったのだと思うと親の罪はあまりにも大きいですね。だとしても違う形て見つける事が出来なかった麻原彰晃自身も40歳からとらわれの人となり今では作病か?壊れてしまったのか?と言われる状況の中死刑執行を待つばかりの彼の人格はもう既にずいぶん前に死んでしまっているのかもしれませんね。

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    • タワラ
    • 2018年 7月6日

    1.0じゃ健常者だよね?