タレントの生い立ち

アンミカの生い立ち~韓国国籍の壮絶極貧子供時代が過酷過ぎて驚愕

アンミカアキャッチ タレントの生い立ち

モデルやタレントとしての活躍するアンミカ。

いつも明るく朗らかな彼女のルーツとなる国籍が
韓国にある事は知られた事実だと思います。

今回はゴージャスなアンミカの壮絶過ぎる子供時代
の生い立ちを追ってみようと思います。

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アンミカプロフィール

氏名   アンミカ(安 美佳)
生年月日 1972年3月25日(46歳)18年7月現
出身地  韓国 済州島
身長   174㎝
サイズ  85-60-89
血液型  O型
最終学歴 大阪府立住吉高等学校

アンミカの生い立ち~韓国国籍の家族と共に

韓国の済州島で韓国人の両親の元誕生した
アンミカ。

家族は大家族で、両親と姉と兄にアンミカの下にも
弟や妹がいる5人兄妹の7人家族です。

姉弟は上からみな年子・・・お母さん凄いです。汗

だって5人年子って・・・ねぇ(笑)

当時恐らく韓国済州島での暮らしが大変だったの
でしょうが、若い両親は仲良しだったのでしょう。

日本への移住を決意した理由や真相は定かでは
ありませんがアンミカが3歳の時に日本の大阪
への移住を家族は決意します。

そしてアンミカ3歳からの日本での生活がスタート。

当時日本の時代は高度経済成長真っただ中とは
言え韓国で育って言葉もままならない両親の日本での
暮らしは決して楽な生活ではなかったそうです。

場所は大阪府大阪市生野区阿倍野区を家族の
住まいとして選んだそうです。

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アンミカの壮絶極貧生活

ただ暮らし向きは相当な極貧生活を強いられたそうです。

住居はボロボロの長屋でバラエティでも明るく話して
ご本人が話されていましたが、そのボロボロの長屋も
7人となる大所帯のアンミカ家には狭すぎたのか

他人の家の二階を間借りして7人家族で四畳一間で
暮らしていた
との事・・・

四畳一間に7人は結構きついです。

いかに日本での暮らしを選んだとは言え両親も
アンミカら子供達も貧しい生活ぶりだったのかが
分かるエピソードですね。

もはや選択の余地などなかったのでしょう。

また食べる事にも事欠き、一家は人が寝静まった
深夜にリュックサックを背負って誰もいないだろう
深夜の青果市場に出かけていき、売り物にならず廃棄
してある野菜や果物を拾って飢えを凌いでいたんだとか・・・

両親もつたない日本語を必死に使い働くも
それだけ日本での暮らしも楽ではなかったのでしょう。

アンミカら含む兄妹もそれぞれがバイトなどで働き
家族を必死で支えていたそうです。

アンミカもわずか小学生の頃から朝刊の新聞配達を
7年間勤めていた
というから強烈です。

正直ほぼ同年代の私からしたら、そんな子は私の
知る限り同級生でもほぼ皆無です。

甘やかされて、いかに親から少しでもお小遣いを
くすねて欲しい物を買おうかくらいしか考えて
いなかった当時の自分を知っているだけに、この
アンミカの小学生から7年間の新聞配達は胸を打つ
生い立ちですね。

彼女自身は何の苦労でもなかったよ~と言った
明るい口調でテレビで発言していましたが、当時の
周囲の親友ら同級生とは明らかに自分の置かれた境遇が
貧しかったのは理解していたはずです。

そんな生活の中彼女が中学3年の時最愛の母が
ガンで亡くなります。

2001年には当時ようやくモデルとして一端の活躍を
仕掛けていたアンミカでしたが父親も他界。

慣れない土地日本で苦労を重ねてまともな医療も
受ける事が出来なかったのかもしれません。

だってアンミカ自身が病院にかかった事もなく
18歳までお風呂のある家で暮らしたことがなかった
というのですから・・・

何事もなかったかのように壮絶な苦労を乗り越えて
自らの力だけで現在の場所にたどり着いたアンミカの
力強い生命力と明るい凛々しさが改めてカッコいいと
思える生い立ちでした。

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おわりに

あれだけ明るく利発な彼女がこのような壮絶な貧困を極めた生い立ちを経験しながら、それでも両親に感謝していたことと決してそんな貧困生活を恥じていない事。これが素晴らしいと個人的に感動しました。何かあれば両親がその環境を用意してくれなかったと自分より富めた友人と比べては悪態をついた過去を持つ私には胸に詰まされる思いです。環境など関係なく全ては自分の心のありようで人生は開けるのだな~と言う事を身を持って教えてくれているアンミカさんのこれからにも目が離せませんね。

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