野球評論家で元プロ野球選手の金村義明さん。
野球漫談が物凄く好評なのとたま~に出演する
バラエティでお毒舌なしゃべりも独特ですが面白くて
個人的にも大好きです。
そんな金村義明さんの生い立ちは在日三世としての
ルーツと子供時代に受けた差別など金村さん特融の
生い立ちが背景にあるようです。
母親の教えと自身の母国への想いも含めて金村
義明さんの生い立ちを追ってみようと思います。
金村義明の生い立ち~在日三世として
何故か勝手に親近感の沸く金村義明さんは自身の
著書「在日魂」でも明かしているが在日三世として
日本で誕生している。
兵庫県宝塚市で誕生し両親と兄の4人家族として
育った金村義明さんは兄弟共に野球少年として
幼少期から青年期を送る。
生活は楽ではなかったものの、母親は自らが内職した
金で兄弟二人を当時から名門だった報徳に進学させ
野球道に邁進させるも、金村さん曰く自分より
才能のある兄は高校途中で腐ってしまい野球もとん挫
してしまったという。
当時は今よりも在日に対する差別的感覚が強かった
らしく幼少の頃から母親にこういって聞かされたという。
「ヨッちゃんは日本人ではなく朝鮮人や。引け目を感じんでもいいが、絶対に(日本人に)負けたらあかん」
こうして育てられた背景にはあからさまな差別的
言動がやっぱり影では色々あったようです。
既に先の野球の強豪校報徳学園時代にエースが
金村さんとの交代を命じられた時、そのエースの
母親が交代を命じられた息子にこういったそうです。
「せっかく監督に言って使ってもらうようにしたのにセンチョウなんかに取られて」
この「センチョウ」が逆読みで「チョウセン」を意味
する言葉であること。
同じ汗を流す子供同士に日本やら朝鮮やらが何の
関係があるのか?
全く意味をなさない言葉の暴力に当時から
金村親子もまた苦しめられてきたようです。
金村義明の母の教え
このような細かな差別発言を平気で口にする
日本人のお陰で当然在日朝鮮人である金村氏の
母親は常に息子である金村氏にこういったそうです。
「日本人に負けたらいかん。日本人の何倍も努力しないと、在日は認められない」
「よっちゃんは朝鮮人や。引け目を感じんでもいいが絶対日本人に負けたらいかん」
「野球でも勉強でも日本人と同じことをやってたら、絶対目だたへん。一番でなくてはダメなんや。」
金村義明の韓国をルーツとして~
そんな母親の願いと想いを一心に背負って高校球児
として報徳学園のエースとして甲子園でも見事優勝を
決める活躍をする。
優勝を決めた時の伝説となった金村義明さんのジャンプ!
そして甲子園優勝後に訪れた韓国遠征に選出された
その韓国の地で彼はインタビューでこう答えている。
「自分のルーツの国でプレイできるのを誇らしく思う」
私生活でも学生時代でもヤンチャだった金村義明の
ヤンチャな中にも一本筋の通った野球道とその生い立ち
は母親からの在日魂の教育の賜物でもあるでしょうが
高校生だった彼のこの発言だと思うと何とも男らしい。
やはり母は強しではないですが素晴らしいですね。
当然高校卒業後は今は無き近鉄バッファローで
ドラフト1位で1981年に入団。
彼の生き様そのものという力で相手をねじ伏せる
打線は「いてまえ打線」と言われ人気野球選手と
しても活躍。
入団決定後に阪神球団から接待で神戸牛を御馳走
された母親は感激のあまり泣いてしまった程だった
そうです。
とても誇らしくて感激したのでしょうね。
在日魂をしっかり受け継いだ息子が在日三世と
して見事並み居る日本人を後目に阪神球団から
接待される立場となったことを。
その後も見事、近鉄バッファローズに入団した金村
さんは母親に焼肉店を経営させたりとっても親孝行
な息子として母に至れり尽くせり。
お母さんが大好きだったのでしょう・・・
嫌いな男の人はいないと思いますが・・・
嫌いだとしたら、それもまた不幸ですし・・・
おわりに
如何でしたか?金村義明さんの在日魂は母子の夢としても見事願いを成就させた孝行息子としても破天荒なイメージとはまた違う一面で明るい金村さんの影の一面なのかもしれません。でもそれを吹き飛ばすパワーと勢いがあった金村義明さんは自らその運命を在日魂で切り開いたのでしょう。国籍など親同様誰も選べない事を考えたらどこかでどうやって乗り越えるかは、その人の持つパワーやスペックにもよるのかもしれませんね。益々の活躍に期待したいと思います。
コメント
おいおい!
何やねん!その「阪神バッファロー」て!?
それ、どこの国のチームやねん!!!???
頭、大丈夫か!!!???
爆笑
コメントありがとうございます。
全く気が付いておりませんでした。
只今、確認をして修正しました。
教えて頂きありがとうございました。
金村さん楽しくて割と好きですね。
素直というか。
「初めてプロ入ったときに2軍の選手見て、自分では歯が立たないと思った。全員が化け物」と言ってたとことか。
彼は甲子園優勝投手でドラ1だったはずですが。
その後は投手ではなく、バッターとして大成します。
プロとしてやってく中での苦労もあったと思うけどそれいちいち細かく言わないあたりが好感持てますね。
金村さん楽しくて割と好きですね。
素直というか。
「初めてプロ入ったときに2軍の選手見て、自分では歯が立たないと思った。全員が化け物」と言ってたとことか。
彼は甲子園優勝投手でドラ1だったはずですが。
その後は投手ではなく、バッターとして大成します。
プロとしてやってく中での苦労もあったと思うけどそれいちいち細かく言わないあたりが好感持てますね。
「才能のある兄は高校途中で腐ってしまい」はどうか知りませんが「野球もとん挫してしまった」は嘘です。
お兄さんは、金村の2つ上で最後の夏は報徳の4番、ちょうど同じ世代に東洋大姫路の岡田龍生(履正社前監督)、浪商の牛島-香川などがいました。
当時の報徳は、前年の夏の甲子園ベスト8メンバーから大幅に入れ替えがありながら、直前の選抜でベスト4の東洋大姫路、ベスト8の尼崎北、前年秋季大会準優勝の滝川とともに兵庫の4強視されていました。
ここは自分の記憶は曖昧ですが、春季大会は優勝したように記憶しています。
コメントありがとうございます。
金村義明さん大好きです。相当昔の話とはいえ、地元民しか分からないような貴重な情報を
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。