タレントの生い立ち

副島淳の生い立ち~二人の父親とDVイジメ誘拐家出の波乱の半生

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今は無き「笑っていいとも」で見いだされた
英語を話せないハーフとして一躍人気タレントの
仲間入りをして現在も活躍する副島淳さん。

明るく好青年そのものの彼ですが、その過去は
想定外に波乱に満ちた人生を歩んできたようです。

最初から母子家庭として誕生した彼には2人の
父親がいたそうです。

副島淳さんの生い立ちに見える2人の父親やDV、
学生時代のいわれ無きイジメや誘拐に家出と
いった波乱の半生をまとめてみました。

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副島淳プロフィール

本名:副島淳(そえじま じゅん)
生年月日:1984年7月18日(34歳)20年3月時点
出身地:千葉県
身長:195㎝
血液型:O型
ジャンル:俳優・タレント
学歴:柏市立柏高等学校
   東京成徳大学日本伝統文化学科
所属事務所:有限会社リミックス

副島淳の生い立ちに二人の父親とDVの過去

副島淳

NHK情報番組「あさイチ」で目立つアフロヘアと
2メートル近い長身で視聴者をくぎ付けにしている
副島淳さん。

見た目とは違ってとても流暢な日本語で、明るく
優しい雰囲気の新しいタレントとして注目されており、
映画やドラマなどで活躍しています。

ハキハキとした好青年で東海テレビのリポーター
としても印象的で明るいイメージの副島さん。

だけど、そんな副島淳さんの生い立ちには意外にも
2人の父親とDVを受けていた過去がありました。

見ての通り副島さんは父がアメリカ人、母は日本人
のバリバリのハーフですが自分の出生時に両親が
結婚しておらず、父親の顔や名前を知らずに育った
そうです。

あまり良い言い方ではありませんが副島さんの母親は
父親が不在の状態で副島淳さんを一人出産しています。

小学2年生の頃、母親が結婚?再婚?しますが、
新しい父親は母親の連れ子だった副島さんに
冷たく、結婚後に誕生した実子とかなりの
差別をしたと言います。

その差別の内容は激しく暴力も受けることが
ありました。

そのため当然の如く自宅に居場所を見いだせなかった
彼は小学生の頃から家出を頻繁にする状態になって
いたそうです。

結局そんな状態の義理父だったので連れ子の副島さんも
再婚した当事者の母親も上手くいかず、再婚後わずか
1年足らずで離婚しています。

そして驚く事に両親離婚後に彼を支えてくれた人物
こそ義父の母親であった誼子(よしこ)さんが一緒に
生活し支えてくれたといいます。

誼子さんは琴や三味線の師範代でしつけに厳しかった
といいますが、礼儀やマナーを多く教わったそうです。

どんなに反りが合わず気に入らなかったとしても連れ子
で小学生だった副島さんにDVした義父のまさかの母親が
彼のその後の救世主となっていたなんて人生は分からない
モノですね。

母親ではなかったのが、個人的には謎なのですが…

副島淳の生い立ち~いじめ家出誘拐波乱の半生

冒頭でも言いましたが現在の彼からは明快な日本語
トークと明るい好青年ぶりから過去の義父からのDV
など予想もしなかったイメージではないでしょうか?

リポーターやタレント・俳優としてメディアで
活躍中の副島さんの半生には、義父からのDV意外にも
いじめや家出、誘拐
などちょっと信じられないような
波乱に満ちた半生を送ってきたようです。

今時珍しくはないと言え、子供時代も見た目の違いは
明らかで幼少期からハーフであることでイジメられた
といい、間違いなく英語が話せそうな見た目でありながら
英語も話すことができない等の理不尽な他人からの差別に
苦しんできました。

だって日本で生まれて日本で育って今だかつて外国へは
行った事さえないのだそうです。

小学2年生の頃に母親が再婚しますが、幼心にそれが
いやで度々家出し、夏休みなどはホームレス状態で
公園で生活してきた幼い少年時代。

そんな家出が当たり前状態のある時、公園を寝床に
うろうろしていた彼は外国人に連れ去られ、拉致監禁
された事もあったそうです。

カタコトの日本語で話しかけてきた外国人に

「アイス買ってあげる。」

と言われアパートまでついていき、当然ながら手足を
縛られ誘拐されてしまいます。

身代金要求をするところが、継父が無職だったため
電話も止められており連絡不可、ついには副島家の
貧乏さに同情した誘拐犯は彼を開放したといいます。

8歳の少年がどんなに怖かったかと思うと笑うに
笑えない出来事ですが、正直に話していた副島さんに
嘘はないとわかったのでしょう。

不幸中の幸いと考えるべきでしょうか、
開放されてよかったですね。

その後紆余曲折ありつつも学生時代に持ち前の前向きな
性格から自らの外見を悪く言う同級生に自分から悪乗り
して明るく自虐で返すようになった副島さんは同級生とも
馴染み、自分なりの処世術を身に付けます。

時には同級生からのイジメに耐えかねて

「何で俺だけ肌が黒いんだ」と母親を罵倒することも
あったとか。

当然と言えば当然ですよね?

だって彼には生まれた時から彼のルーツとなる父親は
おらず自分とは肌の色が違う母親や自分に暴力を振るう
赤の他人の男しかいなかったのです。

そして同級生には、日本人でありながら日本人では
無いとナジられる。

一体自分な何なんだ。

どうしたらいいんだ。

明らかに他人と違う自分の容姿に劣等感を持つのは
思春期なら尚更当たり前の事だと思います。

そんな周囲のイジリも乗り越えて自らを本当の意味で
認めるきっかけとなったのがバスケとの出会いだった
ようです。

学生時代のバスケットボール部での活躍は彼にとっての
自信につながり自分の存在自体をい否定し続けていた彼
にはアイデンティティを確立する体験になったようです。

彼の才能を認めて伸ばしてくれた部活の顧問の先生には
とっても感謝していると「徹子の部屋」で語られていた
ようです。

ちなみに高校はバスケの強豪で知られる柏市立柏高校
195㎝の高身長を生かしてウィンターカップ2002年など
メンバーとして活躍されたそうです。

柏市立柏高校はバスケットボールの強豪校の中でも
全国ベスト8だったのでいかに副島淳さんに実力が
あったのかがわかりますね。

この当時のバスケでの活躍が副島さんの断固たる自信に
繋がったようです。

高校卒業後は東京成徳大学の日本伝統文化学科に進学
そこでもバスケを続けて活躍したようです。

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副島淳のデビューのきっかけが意外?

いいとも

そんな副島淳さんの芸能界デビューのきっかけは、
あのバラエティーの先駆け「笑っていいとも」
2010年素人さん出演コーナーで登場し、想定外の
観客からの大うけから数週にわたり出演します。

大宮市の居酒屋でアルバイトしていた副島さんは、

「ウチのショップの王子様」というイケメン紹介の
コーナーの紹介者だったのです。

出演者が注目したのはイケメンのほうでなく
紹介者だったというのも身長やルックスなどで
視線が向いてしまうオーラがあったのでしょう。

やはり超日本人の名前と、外国人らしい外見の
ギャップがとてもうけたようで、意外にも幼い時に
感じたコンプレックスがこのような世界では
生き生きとして映る不思議さも感じたことでしょう。

今やドラマや映画など多方面でも活躍できる
タレントになっていますが、苦難の過去を
感じさせない明るく誠実な人柄が魅力に
なっているといえます。

本当に生い立ちにDVやイジメがあっただなんて
感じさせない人の好さが感じられる副島淳さんは
もともとの性格の良さが感じられますよね。

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おわりに

「あさイチ」の朝の顔としてもすっかりおなじみになった副島淳さんの生い立ちには2人の父親が存在し、アメリカ人の父の素性はわからず、継父からはDVを受けハーフならではのいじめも経験するなど波乱の過去があったことがわかります。
小2での家出の際、外国人に公園で拉致されるという危ない体験をしましたが貧乏すぎて開放されるというエピソードも残っており、今の明るいメディアでのキャラクターからは見えない壮絶な時代を経験します。
デビューのきっかけは「笑っていいとも」のイケメン紹介コーナーの紹介者出演で、特徴あるルックスや名前、人情あふれる優しい人柄が好かれたといえます。
生い立ちの大変さを糧に、ひがんだりすることなく明るく肯定的にとらえ、いつも笑顔を見せてくれている副島さんの活躍を見守っていきたいですね。


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