現在はタレント業の傍らシングルファザーとして
情報発信を続けている河相我聞。
若い頃にドラマ「天までとどけ」でブレイクした
彼の生い立ちは父親が70歳の時の庶子として誕生。
複雑な家庭環境を生い立ちに持つ彼の兄は現役
医師でもあるそうです。
現在自身も二人の息子を持ち、彼らと共に今も
芸能界で活躍しており、家族の奮闘や絆を綴った
ブログが人気を博し、波乱万丈の彼の生い立ちも
注目されています。
河相我聞プロフィール
名前:河相我聞(かあいがもん)
生年月日:1975年5月24日(45歳)20年10月時点
出身地:埼玉県大宮市
職業:俳優・ナレーター・タレント・司会者・ミュージシャン
身長:177㎝
血液型:A型
配偶者:なし(離婚歴あり)
事務所:ウイーズカンパニー
河井我聞の若い頃からの芸歴~
河相我聞さんは子供時代から劇団に所属し
視聴率19%を打ち立てた人気ドラマ『天までとどけ』
に次男役でレギュラー出演。
内田有紀さん主演のドラマ『時をかける少女』にも
準主役で出演、1995年に放送された『未成年』での
演技も話題を呼び1990年代のイケメン俳優として
活躍しました。
企業のCMにも起用され、歌手活動など幅広く活躍
していた人気俳優ですが、二度の結婚・離婚で息子
2人を持つシングルファザーとしても知られています。
河相我聞の現在
1990年代その端正でアイドル的なルックスと
演技などで人気を集めた河相我聞さんの現在は
どうなっているのでしょう。
人気絶頂期に19歳で長男をもうけていたことが
発覚し隠し子騒動となりオファーが激減。
俳優活動が少なくなってきたこともあり、料理上手
だった我聞さんは2005年にラーメン屋「ラーメン我聞」
をオープンし人気を集め、なんと一日に600人客がくる
大当たりで、5店舗まで増えたといいます。
ところが儲かり過ぎて事務所との関係がこじれ、当時
経理を任せていた人に横領されるなど運もつき、2年後
には閉店してしまいます。
我聞さん19歳の時に日本児童劇団所属の女性との
間に長男・沙羅君さら(写真上・現在26歳)が誕生。
この元嫁と別れた後、復縁し1999年再婚後、次男
唯円君ゆいえん(現在18歳)が生まれています。
その後(嫁姑問題で2011年離婚)
沙羅(さら)と唯円(ゆいえん)だなんて、自分の
我聞と負けず劣らずの個性的な名前を付けましたね。
可愛いですが。
我聞さんは現在はシングルファザーで息子2人とも
芸能活動をしています。
長男は役者ではなく映画監督を目指し活動中で、
今年1月には親子でドラマ初共演も果たし順調のようです。
次男の唯円君が「高校に行かない」といったのを受け
中卒だった我聞さんは彼に何も言えなかったことを
悔やみ一念発起し高校受験に挑戦しますが失敗。
通信制高校に通い高卒資格取得に励んだそうです。
子供もそんな父親を見て再び頑張る決意を持つことが
できたわけですが、子供思いの優しいお父さんの
姿がにじみ出ています。
(我聞さんは2018年に高卒認定試験に合格しています。)
次男も高校進学はせず役者をしており、今年に
入ってからは長男と共に2人で暮らしているとのことです。
近年はサスペンスドラマなどに出演したり、
「家族全員フリーター、ニート」などと書かれた
自虐的ブログが人気となり、ブロガー我聞さんの
姿が再び見られ今後も注目されそうな気配です。
河相我聞の兄は医者で名前も個性的
河相我聞さんの兄は医者で名前も個性的と
いう噂がありますが、これは本当のようです。
河相我聞さんの兄は8歳年上で、名前は
「開流(かいりゅう)」というそうです。
我聞(がもん)さんも充分変わった名前ですが
開流(がいりゅう)とは何とも個性的で、とても
珍しい名前ですね。
その兄の開流さんの凄い所は、先の我聞さんの
息子ら同様に、高校に行かなかったそうですが
大検で埼玉医科大学の医学部に入り、現在は
外科医をしています。
医師になるには大変な努力があったのでしょうが、
これを見事にかなえたところは凄いですね。
兄の開流さんは埼玉県入間市に
「かあいファミリークリニック」という大変
おしゃれな立派な外観の病院を開業しています。
河相我聞の生い立ち~イジメと家庭環境
河相我聞さんの実父は福井県生まれで、おもちゃ屋
などを営む裕福な実業家だったといいます。
河相我聞さんの母親は父の本妻ではなく、愛人
(当時32歳)であり、父親が70歳という高齢の時
できた子だったそうです。
(8歳年上の兄開流さんは60代の時の子)
大変教育熱心だった父親で、勉強して東大に
行けと幼い頃からよくいわれていたのだとか。
ですが、この複雑な家庭環境に加え、「我聞」がもん
という変わった名前でイジメにあい、小学3年から
不登校となったそうです。
中一まで上履きをカッターで刻まれたり
仲間外れにされたりしたようです。
「我聞」がもん、とは浄土真宗を信仰していた
父が仏典の一節から取って命名したといいます。
宗教に詳しい人にしか理解できないだろう命名の
理由があったにしても周囲には奇妙に写ったのでしょう。
小学6年生までは時々、父親とも会う関係でしたが
それ以降は高齢で体調も崩しがちだったため会わなく
なってしまったようです。
我聞さんが中学の頃には父親は病院、母は事業で
多忙となり、兄も大学に行き家をでていき、彼は
7DKの実家で一人暮らしをしていたそうです。
実家は不良仲間のたまり場と化し知らない
人も出入りしていたといいます。
高校にいかず中学卒業後は1991年から8年もの間
放送された人気昼ドラマ『天までとどけ』の
オーデションに合格し、第一シリーズから次男
信平役で出演し俳優としてブレイクしていきます。
河相我聞の姉との年齢差が凄い
河相我聞さんには実兄以外にも40歳年上の
異母姉がいることもわかっています。
この異母姉は、父親が本妻との間に作った子で
河相我聞さんとの年齢差は姉というよりもはや
親子であり複雑な家系を思わせます。
本妻の方やこの異母姉についても詳しい情報は
見えませんが、他にも異母兄弟がいたという
噂もあります。
異母姉は既に84歳、現在45歳の我聞さんには
かけ離れた世代の姉がいたわけで、父親も姉も
かなりの高齢であったことがわかります。
我聞さんの母親は妾で父親の籍には入って
いなかったそうですが、父親は我聞さんの
芸能界入りに当初反対したものの後には応援
していたそうです。
異母姉も表には出ないものの我聞さんの
活躍ぶりを見つめてきたことでしょう。
おわりに
1990年代のドラマ「天までとどけ」の俳優のイメージが強い河相我聞さんの生い立ちや家庭環境は、かなり少数派の家庭だったのではないでしょうか。とはいえ高齢でありながらも教養のある父親らしい我聞や我流と言う一見現代のキラキラネームか?と思えなくもない名前でイジメにあったと言うのは意外な過去でしたね。でも自身の息子にもチャッカリと父親に負けず劣らずのキラキラネームを付けた我聞さんも笑えます。
現在もシングルファザーとして個性的な家族関係を持つ河相我聞さんは、やっぱり実の両親がそうだったように世間体など気にせず自分が良いと思った生き様を父親同様子供達に見せているのかもしれませんね。目に見えない血縁が今の彼の中に生きているように感じられます。
浮き沈みの激しい芸能界や家族関係もモノともしない河相我聞さんのタレントとしての活躍にも注目していきたいですね。
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