板東英二の生い立ち~性格が銭ゲバと言われる背景に壮絶な幼少期が

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坂東英二アイキャッチ

元プロ野球選手でタレントとしても大成功を
納めた1人として知られる坂東英二。

水曜日のダウンタウンでのドッキリ企画で
リアル過ぎる2億円交渉をしたことで更なる
銭ゲバぶりが話題に。

本人の巨額脱税とイメージ悪化が繋がり現在
ではすっかりその姿を見る事が少なくなって
しまいました。

今回は球界のスター選手だった板東英二が
生涯をかけてお金に執着をしたのか、その背景と
なる生い立ちから見る性格などを追ってみようと
思います。

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坂東英二プロフィール

氏名:板東英二(ばんどうえいじ)
生年月日:1940年4月5日(80歳)21年3月時点
職業:日本の元プロ野球選手(中日ドラゴンズ・投手)
野球解説者、タレント、俳優、司会者
愛称:板ちゃん(ばんちゃん)
出生地:満州国東安省虎林県
国籍:日本
学歴:徳島県立徳島商業高等学校
身長:170㎝
配偶者:独身(2018年死別)
事務所:吉本興業
受賞:日本アカデミー賞最優秀助演男優賞
・ブルーリボン賞助演男優賞『あ・うん』(1989年」など

坂東英二の生い立ち~満州から日本へ

昨年11月、80歳となったベテランタレント
板東英二さん(80)の姿がラジオ番組を終了し
メディアから見えなくなり、実質的な引退かと
週刊文春で報じられ話題になりました。

実は昨年7月転倒し入院しており現在医師の
指導のもと仕事をセーブしているとされています。

板東さんは元プロ野球選手(中日ドラゴンズ)で
名をなし、引退後も俳優や司会などマルチな活躍で
人気を博し成功を収めています。

板東英二さんの生い立ちを辿ると満州国の
生まれで、小中学校時代は壮絶な貧困生活を
送ったという知られざる一面があります。

世間的には元プロ野球選手として活躍しその後
タレントとしても活躍した苦労とは無縁のイメージ
が強いのかもしれません。

また坂東さんは様々な顔がある事でも知られて
おり中日入団後、すぐ株式の取り引きや訪問営業
などのサイドビジネスを手がけるなど金への執着が
早くからあったことも知られています。

板東さんの実家は高級料理店で、姉2人と兄1人が
いる4兄弟の末っ子として満州国で生まれています。

敗戦後、母と3人の兄姉と命からがら引き揚げ、
満州から博多へと8か月に及ぶ旅についても、
自著『赤い手』の中で触れております。

当時僅か6歳だった坂東さんですが道中死と隣り
合わせで子供を置き去りにする親もいるのを目にし、
恐怖におびえる様が伝えられています。
(デイリー新潮:引用)

日本に到着しても厳しい寒さや飢えに襲われ、
ひもじい日々を過ごし道中数回手に入った卵と
母親の愛に救われたといいます。

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空腹に耐えかね中国人農家のニワトリ小屋に忍び込み
卵を盗みますが火をたくこともできず、生のまま
飲んで生き延びたそうです。

板東さんのゆで卵好きは有名ですがこの時の
経験からきているのですね。

板東さんは満州から日本に帰国後、母の実家がある
神戸市に移住し小学校に入学しますが、父の復員に
より徳島県へ転居します。

日本に移住後は父親の仕事が定まらず貧しい
暮らしだったことがわかっており、板東さんは
中学時代も養蚕農家の手伝いをし家計を助けて
いたそうです。

板東さんは小学校三年生の時、救援物資の中に
おさめられていたグローブを使い始めて野球を
知り、中学2年生で先輩の勧めで野球部に入ります。

この時からめきめきと野球の才能を発揮していきました。

坂東英二の生い立ち~少年から青年へ

板東英二生い立ち
板東さんは中学校3年生で野球部エースとなり、
徳島商業高校時代も厳しい練習に耐えエース
として活躍。

1958年の夏の甲子園で出した、1試合25三振、
大会通算83奪三振の成績は今も甲子園歴代1位の
記録で大変注目されました。

高校時代は
「1試合15三振以上取らないと罰として1日中走らされた。」

「練習がきつすぎて部員が8人にまで減った。」

など当時の須本憲一監督に、しごかれるのですが、
三振を言われた通り取るというすごさに大物らしさ
がみえますね。

貧困な生活を経てきたとは思えないほど輝かしい
記録と幸運に恵まれ、徳島商業高校を卒業後、
19歳で中日ドラゴンズに入団した板東さん。

11球団からスカウトを受ける大人気ぶりで入団時の
契約金は2千万円、現在の価値では数億円だと
いうから驚きです。

王貞治さんをもしのぐすごい金額で、投手として
活躍しましたが1969年に現役引退、タレント業へ
まい進していきます。

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坂東英二の性格はプロ野球選手時代から銭ゲバ?

板東英二さんは野球引退後、「テレビの帝王」
と呼ばれるほどバラエティー番組やクイズ番組の
司会で名をなす裏で、財テクに精を出しタレントの
間では「銭ゲバ」といわれ敬遠される人物だった
といいます。

金儲けに目が無く、あらゆる副業に手を出し
失敗すれば後輩や芸能人から借金をしていたとか。

財テクを売りにした自著「金はこうして儲けるんや」
(主婦と生活社)では、脱税を指南する内容も
記載しているといいます。

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2012年年末に板東さんの個人事務所
「オフィスメイ・ワーク」が名古屋国税局から
7千5百万円の申告漏れを指摘され問題になり、
社会的に批判を浴びたこともありましたね。

所得隠しを非難されタレント生命も尽きた
とまで噂されました。

ですが財テク生活はプロ野球選手時代に、すでに
始まっており、プロ入りして1年目から財テクを
していたことがわかっています。(後述)

金への執着は、もはや彼の人生になくては
ならないものであったのはなぜか深い理由が
ありそうです。

坂東英二のお金への執着は幼少期の貧困が原因

板東英二さんは、幼少期中国から日本に渡り、
貧困を経験したことや、父親が契約金を株に
使い大損したことなどからお金に対する執着が
強かったと言われています。

どんな時もお金が生きる上の支えになる
大事なものであると言う認識が、食べるものも
なくいつ死ぬかという恐れを経験したことで
自然と身に付いたのでしょう。

そしてプロ野球入団後も南海の杉浦投手の
ボールに圧倒され、

「プロはこんなすごい球を投げるのか。自分には絶対にできない。」

「野球だけでは一生食べていく事はできない。」

と力の限界をも感じとり、プロ1年目から
色々な財テクを始めています。

牛乳屋、弁当屋、雀荘、マッサージ店、サウナ、
ナイトクラブ、ジュークボックス販売、ステーキ屋
割烹料理、中日ドラゴンズグッズ販売
に至るまで
手掛け、野球選手の傍らまさに実業家たる分野に
手をかけていたことにはびっくりですね。

野球でも大活躍しながら、副業に、いそしむのは
どうかという人もありますが、板東さんはいずれ
引退していくのが定めのプロ野球選手にとって
安住できる場を探すことは必然ということを
教えてくれています。

自身の人生をお金で切り開いていくという
たくましさ、誰にでもできることではなく
チャレンジ精神の旺盛な板東さんならではの
やり方だったといえるでしょう。

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おわりに

元プロ野球選手でタレントの板東英二さんの生い立ちは、貧困と恐怖に耐えてきた壮絶なものであり、その生い立ちが彼の金への執着の原因と言われています。先見の明で財テクや副業に精を出しうまくいったこともあり、脱税として非難されたこともあり波乱万丈ではありますが、彼なりに必死に生きてきた証であったといえます。
高齢となりメディアでもあまり見かけなくなりましたが、今後もまた元気のよい姿がみられるよう祈っています。


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