元TBSアナウンサーでタレント・エッセイストとして現在も活動中の小島慶子さん。
第一線で活躍していた彼女が40歳を過ぎて発達障害を公表したことは、かつて世間に大きな衝撃を与えました。
現在はオーストラリア移住し、日本でも仕事をこなすキャリアウーマンの小島さんですが、その生い立ちや母親との確執、夫との不思議な関係が話題になっています。
小島慶子の生い立ち、母の愛が重すぎて苦しんだ摂食障害や発達障害、夫との不思議な関係についてお伝えします。
小島慶子プロフィール
氏名:小島慶子(こじまけいこ)
生年月日:1972年7月22日(49歳)21年11月時点
職業:タレント・エッセイスト・ラジオパーソナリティ・元TBSアナウンサー
出身地:オーストラリア・パース
国籍:日本
身長:172㎝
最終学歴:学習院大学法学部政治学科
所属事務所:株式会社ビッグベン
小島慶子の生い立ち~帰国子女として
小島慶子さんは、1972年7月、商社マンだった父親の仕事の関係で、赴任先のオーストラリアのパースで生まれ、3歳まで育った帰国子女です。
両親と姉の4人家族でその後一度、日本に戻りますが、父親の仕事の都合で小学1年生の9月にはシンガポールへ赴任。
転校先は当時世界最大の日本人学校だったそうです。
翌年には香港に再び転居し、小学3年生で日本へ帰国。(日野市立三沢台小学校)、そして中学受験を突破して学習院女子中・高等科に進学します。
「そこには、自分よりはるかに勉強のできる子がたくさんいて、とんでもないお金持ちの子もいる。自分は井の中の蛙なんだと気づきました。友達との関係にも悩み、若い男性教師にも反抗する問題生徒で、どんどん孤立していきました」(週刊女性プライム:引用)
「ひねくれ者とか育てにくいとか癇が強いとかわがままとか、ずっと言われ続けてきた。姉からは“小島家の失敗作”とまで言われました(笑)。だから、ずっと自分を責めてきました」
授業中に誰かのシャープペンをカチカチする音が聞こえると「誰だろう?」と思って気になってキョロキョロしたり、喋っている人が何かの小動物に似ていると気がつくと誰かに言いたくてしかたなくなったり……。
周囲から“変な子”と煙たがられていた。(同上)
小島さんは、大人になってからそれはADHD(発達障害)の特徴だと知りますが、当時の彼女は学校や家出も浮いた存在であったといいます。
とは言えその経歴は間違い無く今で言う所のハイスペック女子、小島慶子さんは、1944年TBSアナウンサーとして入社、『日立世界・ふしぎ発見』のミステリーハンターを務めるなどし世間に知られる存在となります。
28歳の時、制作会社・ディレクターと結婚し、30歳で長男を出産、産休後も主に報道番組などを担当、ラジオのレギュラー番組『久米宏 ラジオなんですけど』でパーソナリティを務めました。
2010年、10年前から独立を考えており、幅広く自身の可能性を追いたいとTBSを退社。
(後にTBS関連会社のキャスト・プラスに所属~オスカープロモーションに移籍)
そして小島さんは、夫の退職を機にオーストラリアのパースに移住し、日本の仕事場と行き来する生活を始めました。
(2009年株式会社ビッグベンヘ)
2020年世界的コロナ流行により、パースに行き来できなくなり、現在は彼女のみ日本での生活を拠点に暮らしているそうです。
小島慶子の生い立ち~母の愛が重すぎて
小島慶子さんは、高校に入ると、摂食障害に苦しみますが、原因は、母への拒絶と反抗心だったといいます。
干渉の強い母との関係に悩み、ダイエットの反動や失恋も重なり、食欲が止まらなくなった彼女は、体重が16~17キロ増えてしまったこともあり、食べたいだけ食べて、吐くことを覚えたそうです。
アナウンサーになってからも、過食嘔吐(おうと)は続いていたとか。
小島さんは母親について、「私への愛はストーカーのよう」と語っています。
自分は母親にとってペットのようなもので、いつも葛藤を抱え、摂食障害や不安障害を引き起こしたといいます。
母親は小島さんの出演した番組の感想を、感熱紙のファックスが束になるほどの長文で、送ってきたりしたこともあったとか。
小島さんは結婚し娘が生まれるのが怖くて神仏にも祈ったといいますから、かなり母親との関係に悩んだことがわかります。
母親は現在84歳で、オーストラリアに移住してからはネット通話で話す間柄となっているようです。
彼女なりの母親との距離の取り方を、処世術として今では身に付けたようですね。
小島慶子の発達障害
小島慶子さんが、発達障害を公表したことは大きな話題となりました。
学生時代から摂食障害で苦しんできた小島さんは、30歳で長男を出産した頃から、育児が忙しくなったこともあり、過食することは自然になくなったそうです。
ところが次男を出産した33歳の時、理由もなく漠然とした不安に襲われる不安障害を発症、不安障害が落ち着いた後も、定期的にカウンセリングに通っていたことが、ADHD(注意欠如・多動症)の診断につながったといいます。
3年前にウェブのエッセーで、軽度のADHD(注意欠如・多動症)を公表した小島さんですが、時にはそれも役に立つものと前向きな思考を持っているようです。
「細かいことをいちいち考えているので、描写が的確で、物事を説明するときに要約したり詳細な説明にしたり自在に切り替えることができるんですね。長年の工夫の積み重ねと、診断をきっかけに得た知識と、周囲の理解のおかげでこの特徴は、今ではむしろ“ギフト”であると思えるようになったんです」
(週刊女性プライム:引用)
彼女の発達障害を知り、受診を考えたり、病気について理解を深めようとする人も増えているといい、彼女の強さとその影響力の大きさを感じます。
小島慶子の夫との不思議すぎる関係
ネット上では小島慶子さんと夫との不思議すぎる関係が注目されています。
2013年春、長年テレビ制作会社に勤務していた夫が「充電したい」と会社を辞めてしまいました。
当時はまだ長男が9歳、次男はまだ6歳の時のことで、小島さんは大きな衝撃を受けました。
2010年に小島さんも退社しており、事実上の夫婦が無職と言うのは到底、子育て真っ只中の夫婦にとってあってはならない事。
突然一家を支えなければならないプレッシャーから、夫へのモラハラともいえる攻撃的な発言も度々だったといいます。
そして小島さんは、子育てや夫との新しい環境を求め、オーストラリア移住を思い立ち実践する思い切った決断をしました。
「夫は、英語ができないところからだったので、大変だったと思います。でも、家事、育児の合間に一生懸命、勉強してずいぶん上手になりました。やはり日常的に触れている人のほうが早い。日常会話なんかは私よりも全然うまくなっています。リスニングもすごいし、学校とのやりとりもメールですから、すごい進化してますね。最近夫は、英語で新しい資格の勉強も始めました。その決断をリスペクトしています」
何より変化を感じるのは、家族の「絆」が深まったこと、と夫は言う。
(週刊女性プライム:引用)
移住で家族関係について再び思い直しながら、小島さんが2024年まで離婚約を決断したことが伝わっています。
離婚約とは法律的に結婚した状態のまま、将来に向けて離婚の約束をすることだそうです。
家族会議の結果「次男が大学に入学したら離婚する」と取り決めているといいます。
子育てが一段落する2024年で夫婦を解散し、別の人生を送るというからびっくりですね。
離婚約を決めた理由は過去の夫の過ちを許せない自分に気が付いたことだといいます。
産後の子育てで大変な時期、夫が繁華街で女性と遊び歩き、挙句の果てに性病をうつされたことがあったのだとか。
小島さんは今も夫は良きパートナーで、特別な存在であるということは変わらないといいますが、夫との不思議な関係に大きな注目が向けられています。
おわりに
発達障害を公表し話題となった小島慶子さんの生い立ちは、母親の愛情の重さゆえ苦しんだ過去があり、彼女の摂食障害や発達障害につながったことがわかります。
長く生きづらさを感じていた彼女がアナウンサーとして成功し、結婚し子供をもうけますが、その後発達障害を公表すると共に自身の家庭や生き方について独特の意見を発信し話題となっています。小島さんは、夫との離婚約という不思議な関係を提示し、その期限が2024年と残すところ丸2年となる中、本当に離婚約を決行するのか?したとしたら元夫婦としてどんな関係を築いていくのか?世間に新しい夫婦の形を示していますがこれからも思い切った決断を果敢にしていくのではないかと期待しています。
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